バスで片道35分、私たちは隣町まで来ていた。バスが停車し、ゆっくりと扉が開く。降車した先には港町があった。眼下に広がるのは広大な海で、透き通るような青だった。私は思わず歓声をあげる。隣に立つ垣原も、この景色に目を奪われているようで静かに海を見ていた。しばらくそうして居ると、何もない簡素なバス停に一台の軽自動車が停車した。すると運転席の窓がゆっくりと開いていき、中から女性が顔を出した。
「ちょっと!梓!急に迎えに来てって言われても困るんだけど!姉ちゃんまだすっぴんだよ!」
開口一番、目を吊り上げて貴音さんは言った。その勢いに黒縁のメガネがずり落ちるが、気にせず続けようとする。垣原はそれを静止し、後部座席のドアを開けると私を促す。
「貴音さん、ありがとうございます……。」
遠慮がちにそう言うと、私はゆっくり乗車し、奥へ寄る。その後ろから垣原が乗り込み、私の隣に座る。肩と肩が触れる距離だったが、垣原は気にしていないようだったので、私は窓の外を見るふりをしてもう少し奥へ行く。私たちが座ったのを確認すると、貴音さんはため息をつき、車を発進させた。
「……梓、今回は許すけど、次は許さないよ。ごめんね、平井ちゃん。急に怒鳴っちゃったりして。」
貴音さんは、先ほどとは打って変わって明るい調子でそう言った。私はそんな事ないですよー、と出来るだけ柔らかい表情を作って彼女に笑いかける。そんな私とルームミラー越しに目を合わせて、貴音さんは安心したようにほっと息を吐いた。
「そうだ、2人から聞いた本まだ見つかってなくてさー、探すの手伝ってほしいなーって。」
貴音さんの言葉に垣原は嫌だ、と雑に言い放った。それから苛立ちを隠さずに言った。
「そもそも姉貴が本借りたまま引っ越すから悪いんだろ。自分のと区別つかずに持って行きやがって。本当に姉貴は……。」
垣原は低い声で捲し立てた。その様子に貴音さんは本当に悲しそうな顔をしたので私は思わず手伝うと言ってしまった。それを聞いて垣原は呆れたような、貴音さんは心の底から助かったような顔を見せた。垣原は頭を掻くと、しょうがない、と言って貴音さんを見る。
「手伝うから、早く見つけろよ。」
なんとかこの話が終わったので、私はホッとして窓の外を眺める。遠くに見える海はまるで鏡のように光を反射し煌めいている。私はその光景から目を逸らす事ができないでいた。
車は小さなアパートの前で停車する。ついたよ、貴音さんはそう言うと私たちに降車を促した。私はくすんだクリーム色のアパートを見上げる。
「平井ちゃんどこ見てるの?こっちだよ〜。」
気がつくと貴音さんは鯖の目立つ階段から手招きしていた。それを追って私も階段を上る。貴音さんの後に続き、私はとある一室に入る。中を見渡すと、食べ終えたカップラーメンや、結ばれたまま放置されたゴミ袋など、ひどい有様だった。
「ごめんね〜、全然掃除してなくって。」
隣で垣原が呆れた様子で顔を覆うのが見える。それを見た貴音さんは、恥ずかしそうに頬を掻くと、肩からかけていた鞄を雑に放り投げた。そのまま窓に近づいて行き、カーテンを開ける。差し込む光が宙を舞うホコリを照らし出している。まずはゴミ捨てだな、そう言うと垣原は机の上に置かれたままのカップラーメンを近くのゴミ袋に乱雑にねじ込む。蒸し暑い部屋の中、大掃除が始まった。
時計を見上げる。時刻はいつの間にか昼前になっていた。
「ありがと〜2人とも!助かったよ〜!お礼にご飯連れてくよ、何が良い?」
キチンと分別されたゴミ袋を前にして、貴音さんは汗を拭いながらそう言った。窓から生温い風が入ってくる。
「じゃあ、港の方にある夏一番って定食屋が良い。あそこの海鮮料理が食べたい。」
私が声のした方を向くと、台所の掃除を終えた垣原が水の入ったコップを持って、私の後ろに立っていた。垣原は氷で冷やされたキンキンの水を私に手渡す。受け取った水を一息で飲み干すと、火照った体が冷やされていくのがわかった。
「私もそこが良いです!昔、家族で来た時に食べた記憶があって、行ってみたいです!」
私がそう答えると、貴音さんはわかった、と頷いた。その動きに合わせて、短い茶色の髪が揺れている。気づけば既に汗は引いていて、網戸越しに感じる風が心地良かった。
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