テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第199話:四畳半の美術館〜経費の幻想と、涙の小麦粉生活〜
北海道、帯広市。
築三十年、家賃四万円のボロアパート。
その四畳半の空間は今、異様な熱気と、神々しいまでの光に包まれていた。
壁に立てかけられた、三枚の巨大なアクリル板。
桜舞う美少女。
幻想的な星空の美少女。
サイバーパンクの世界で微笑む美少女。
エウリアン(絵画商法)の甘い罠と、「経費で落ちる」という魔法の言葉に完全に踊らされた結果。
俺——株式会社インフィニティ・ワン代表取締役社長、秋谷雪(40歳)が、個人名義の120回払いフルローン(ボーナス月18万円加算あり)で手に入れた、総額300万円の極彩色アートである。
「……綺麗だなぁ」
俺は、限界を迎えた三万円のゲーミングチェアの上で、力なく呟いた。
特殊なミクスドメディア技法で刷られた版画は、四畳半の裸電球の光すらも芸術的に反射し、美少女たちの瞳をキラキラと輝かせている。
まるでここだけが、ルーブル美術館か、メトロポリタン美術館か。
帯広の片隅に誕生した、狂気の『四畳半美術館』。
だが、その美術館の館長(俺)の腹の虫は、先ほどから無惨な音を立てて鳴り続けていた。
グゥゥゥゥ……。
「腹、減った……」
俺はふらふらと立ち上がり、台所と呼ぶのもおこがましい、サビついた流し台の下を開けた。
いつもなら、そこには俺の生命線であり、一日一食の限界生活を支える唯一の主食、【玄米】の袋が鎮座しているはずだった。
白米より少し高くても、栄養価が高く、腹持ちのいい俺の最強の相棒。
しかし。
「……空っぽだ」
玄米の袋は、一粒残らず完全に底を突いていた。
俺は震える手で、自分の財布を開く。
中に入っているのは、小銭が数枚。合計で三百数十円。
『ルシフェル様の今月の自由に使えるお金は、月々のローンを引いて、9,940円。1日あたり、約330円ですね』
数時間前の、冷徹秘書・結愛(ゆあ)の死刑宣告が脳裏に蘇る。
新しい玄米の袋(約2千円)を買うことなど、到底不可能な財政状況だった。
「玄米すら、買えない……。俺は、会社の社長なのに……」
『経費で落ちる』という言葉は、最大の幻想だった。
1点100万円以上の美術品は減価償却できず、法人の税金は1円も安くならない。
それどころか、見栄を張って個人で組んでしまった月々1万1千円超の借金が、俺の「月給10万円」という極限のライフラインを、根元から容赦なく削り取っていく。
「……これなら、どうだ」
俺が流し台の奥から引っ張り出したのは、いつ買ったのかもわからない、業務スーパーの【薄力粉(小麦粉)】の袋だった。
1キロ百数十円で買える、究極のカロリーの塊。
俺はどんぶりに小麦粉をドサッと入れ、水道の蛇口をひねって水を足した。
「ははっ……。水団(すいとん)だ。戦時中かよ、俺は」
自嘲気味に笑いながら、菜箸でドロドロの小麦粉と水を練り合わせる。
塩すらない。出汁もない。
ただの、小麦粉と水道水を混ぜただけのペースト。
それをフライパンに流し込み、ガスコンロで薄く焼き上げる。
ジュウウウ、と、なんとも言えない貧相な匂いが四畳半に漂った。
足元では、飼い猫のヨモが「そんなもん食うのかニャ」と呆れた顔でこちらを見ている。
「……いただきます」
焼き上がった『味のしない小麦粉の塊』を千切り、口に運ぶ。
モチャッ、とした不快な食感。
味はない。ただひたすらに、粉っぽい。
「……うっ……」
その瞬間。
俺の胸の奥で、張り詰めていた何かが、プツンと音を立てて切れた。
ボロボロ、と。
俺の目から、大粒の熱い涙がこぼれ落ちた。
俺は、40歳だぞ。
起業して、インフィニティ・ワンという会社の代表取締役社長になったんだぞ。
海外のリスナーから、一晩で何百万ってスーパーチャットをもらったんだぞ。
天才クリエイターのうめお先生から、「才能がある」「三億円の器だ」って言われたんだぞ。
それなのに。
なんで俺は今、帯広の四畳半で、味のしない小麦粉を練って、泣きながら食べてるんだ。
「うぅ……ひぐっ……まじぃ……この小麦粉、まじぃよぉ……っ」
涙でしょっぱくなった小麦粉の塊を噛み締めながら、俺は顔を上げた。
視線の先には、壁に立てかけられた300万円の版画。
桜舞う中で。
星空の下で。
サイバーパンクのネオンの中で。
世界最高峰のイラストレーターが描いた、三人の美少女たちが。
鼻水を垂らし、小麦粉を啜って号泣している月給10万円のスーパーボトム社長を見下ろしながら。
どこまでも優雅に、そして残酷に、微笑み続けていた。
「ごぢぞうざまでじだ……っ!」
俺は、四畳半の美術館の中心で、カビ臭い畳に突っ伏して泣き崩れた。
資本主義の罠と、己の見栄。
その代償はあまりにも大きく、そして、限りなく粉っぽかった。
コメント
1件
第199話、読み終わりました……切なさと笑いが混ざって、胸がぎゅっとなりました。300万円の版画が美しく輝く四畳半で、味もない小麦粉を啜りながら涙する社長。その温度差があまりに生々しくて、思わず「お金って、ほんとに難しいな」と感じ入りました。でも、それでも「綺麗だなぁ」と美術館を見上げる気持ちもわかる気がして、複雑な読後感です。ゆうきあきやさんの描く、哀愁とユーモアが絶妙でした。
まう
104
81
魚卵
75
ゆうき あきや
4,132