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【お金持ち、怖い!】
ゲストルームとはいえ、一通りの設備はそろっているようで、キッチンには宗親と暮らす部屋ほど立派なものではないけれど、アイランドキッチンが完備されていた。
400リッターくらいの、そこそこの大きさの冷蔵庫もあって。
中身は入っていなかったけれど、作り付けの食器棚も備え付けられていた。
恐らく借りた人が用途に合わせて自由に中に入れたりできる仕様なんだろうな、と春凪はぼんやり思った。
「あっ。食器類はそこの箱に入れて来てますのよ」
夏凪に、気楽な感じで真新し気な無地の段ボール箱――よくスーパーなどで無料で入手できる、お菓子や野菜などの出荷用段ボールの使い回しではなさそうな箱――を指差される。
指示されるままに春凪が箱を開けてみると、白い発泡シートの緩衝材に包まれた、お皿やカップが出てきた。
「そこからケーキプレートをふたつ出していただける?」
サラリと言われて「これかしら?」と春凪がお皿らしきものの緩衝材を剥がしてみると、
「こっ、これっ」
庶民の春凪にもこれが高級なお皿だというのは分かる。
だってこれは春凪憧れの。
「マイセンですわよ?」
それがどうかしまして?みたいな感じで言われて、「ひっ、お金持ち怖い!」と思った春凪だ。
ふるふる震える手で白地に青の絵柄の〝ブルーオニオン〟のケーキプレートを取り出して、そぉっと慎重にキッチンカウンターに置きながら。
(ああ、憧れのマイセン〝ブルーオニオン〟! こんな形で手にする日が来るなんて!)
なんて思っているのは悔しいのでおくびにも出さず。
「こんな、ちょっと持ち運んでどうこうするような時は、紙皿や百均のお皿で十分です!」
でもどうしても我慢出来なくて、春凪は思わず声を荒げてしまった。
「まあ! 何をそんなに怒ってらっしゃいますの?」
途端キョトンとした顔で言われて、春凪は「まさかこの箱の中全部――」と恐ろしい想像をして、いくらなんでもそんなことは……とふるふると首を振った。
なのに――。
「春凪さん、もしかしてマイセンお好きなんですの? その箱の中はみんなマイセンですから、今日のお詫びに色々片付いたら箱ごとまるっと差し上げますわね?」
と言われて、春凪は思わず夏凪に「もっと物を大切にしてください!」と詰め寄る。
夏凪はキョトンとした顔をして、「あら、春凪さん。中古はお嫌でしたのね。ごめんなさい」と、春凪の怒りとは斜め上の方向に行ってしまった。
***
「やっぱりケーキはホールで買わないと見栄えがイマイチですわよねっ?」
カウンターキッチン前のスツールに春凪と夏凪、お行儀よく横並びに腰掛けて。
夏凪が持参して冷蔵庫に保管していたデパ地下に店を構える超有名店の季節のフルーツたっぷりタルトを、綺麗に8分の1に切り分けたものを2人仲良くもぐもぐ中。
「それにしても2人で6号は大きすぎると思います……」
(一体どれだけ食べるつもりなんだろう?)
ついさっき、夏凪が冷蔵庫から取り出した直径18センチの大きなケーキを目にした時は思わず溜め息の出た春凪である。
もしここに宗親が混ざったとしても到底食べ切れるとは思えない。
(3号か、せめて4号までで抑えるのが普通じゃないの?)
思ったけれど、きっとこの子の〝普通〟と、自分のそれは違うんだろうな、と思って。
(この感じだと宗親さんの方がまだ常識的かも?)
人とは金銭感覚がズレていると自認できているだけ、宗親の方がマシな気がして、春凪はもうひとつ小さく吐息を落とした。
夏凪の謎のこだわりのせいで、見事なナパージュでツヤツヤと光り輝くフルーツたちが無惨にならないよう、こんな風に切り分けるのに、春凪がどれだけ神経をすり減らしたかなんて、きっと夏凪は思いもよらないんだろう。
どうせここまで本格的に〝お茶会〟とやらをやるんなら、ついでにこう言うことに手慣れたお手伝いさんも連れて来てくださいよぅ!とか春凪が密かに思ったのも、きっと夏凪には分からない。
恐らく、夏凪の中では春凪もお手伝いさんに当たるのではないかという思いに捕らわれなくもなかった春凪だけど、そこは敢えて見ないようにした。
(それにしても。――何でこんなことになってるの?)
香りの良い、いかにも高級茶葉でござい♪といった風情の、ハロッズの缶入り茶葉で淹れた紅茶――イングリッシュブレックファスト――を口に含みながら、春凪はカップ越し、偽装結婚で出来た同い年の義妹を横目に眺める。
先程この紅茶を淹れるために使ったティーポットも、もちろんマイセンだった。
ご丁寧にティーポットだけでなく、いま春凪が手にしている、カップやソーサーも、全部同じ種類で統一された、ドキドキのシロモノだ。
こんなのを持ち運んで、ティーポットの注ぎ口とか、カップの持ち手とか……どこかにぶつけて割れちゃったりしたら!って思ったら、ゾクゾクの止まらない春凪だ。
一方夏凪の方は全然気にした風もなく、涼しい顔でまるで普段使いのように高級食器を淡々と使う。
何なら春凪と話しながらよそ見さえしながら。
(いや、多分実際に夏凪さんにとってはいつも使っている何て事のない食器なんだろうな)
思って、宗親が使っている食器類も、実は自分が知らないだけでめちゃくちゃ高級なものばかりなのでは!?と今更のように春凪は背筋をゾワリとさせた。
(宗親さんにお会いしたら、確認しなくては!)
そんな風に思った春凪の横。
夏凪が形の良い唇を尖らせる。
「お兄様だけ何でも勝手に決めちゃえるの、ズルイと思いますの。――ほら、いわゆる剛臆の試し的な感じでお兄様、いきなり外に出されたでしょう? それを良いことに好き放題なんですものっ!」
プゥッと頬を膨らませる夏凪に、「ごーおくのためし?」と思わず聞き返したら、「獅子は我が子を千尋の谷に落とすってやつですわ」と、こともなげに返された。
マイセンの食器の使いどころがおかしい世間知らずなお嬢様かと思いきや、やはりそこはそれ。
令嬢らしく学業などの教育はしっかり施されているらしい。
春凪の知らない難しい言葉を、マイセン同様まるで普段使いみたいにさらりと口にする夏凪に、春凪は内心感心する。
夏凪の話によると、宗親は父親の会社から外部へ勉強のために放り出されるとき、それでも住むところだけは!と心配した葉月からこのマンションを手配されたらしい。
「お母様は是が非でも最上階に!って仰ったんですけど、お兄様はそこだけは固辞なさったみたい」
それで、結局最上階はいま、別の人が住んでいるんだとか。
恐ろしいので「どんな方が?」とは聞けなかった春凪だけれど、夏凪はさして気にした風もなくそのまま話を続けた。
「跡取りだから仕方ないのかも知れませんけれど……アタシはずっとお父様とお母様の目の届く範囲。カゴの中の鳥ですのに……お兄様だけズルイと思うんです!」
夏凪から聞かされたアレコレの話の中で、このタワーマンション自体が織田家の資産のひとつなのだとサラリと告げられた春凪は、情報過多でフリーズ寸前。
宗親はそんなこと、春凪には話してくれなかったから、こんな大きな物件が織田家の持ち物だなんて、春凪は知らなかったのだ。
(偽装とはいえ、私、宗親さんの妻なのにっ)
そう思うと、春凪は何だかちょっぴりモヤモヤしてしまった。
話してくれないことがあるというのは、信頼されていないみたいで気持ちよくない。
でも春凪は宗親にこのマンションへ連れてこられた際、確かに思ったのだ。
いくら管理職とはいえ、うちの会社の給料だけで住むには、ここは高級すぎる気がする、と。
でも、そういう事情があったのならそれが可能なことにも納得できる。
疑問は感じていたくせに、そこまでは思い至らなかった自分の詰めの甘さにも、ちょっぴりうんざりした春凪だ。
でも、だとしたら、とも思う。
本当の意味で、世間の荒波に揉まれての社会勉強を望むのならば、宗親さんはここを出て身の丈に合った物件に住み直すべきなんじゃないか、と。
居候の身で言えた義理ではない気もするけれど、宗親が春凪に求めている「世間一般の感覚」を彼に教えるには、そういうところを改めるよう進言するのも自分の責務に思えた春凪である。
そんなことをひとりぼんやり考えていたら、夏凪が「春凪さん、聞いていらっしゃいます?」と春凪の手に触れてきた。
「ひゃあっ」
意識ここにあらず状態だったのもあり、急に触れられたことにびっくりして思わず肩を跳ねさせた春凪は、危うくマイセンのカップを落としそうになってしまった。
途端、ぶわりと身体中の血が一瞬で熱を帯びて感じられて。
「もぉ〜、春凪さんったら! そんなにびっくりなさらなくてもよろしいのに」
最悪の事態だけは回避できたものの、寿命が10年ぐらい縮んだ気がして心臓バクバクの春凪に、夏凪はいっかな意に介した風もなくクスッと笑うと、春凪が落としそうになったティーカップのことなど気にした素振りもなく話を続けた。
「お兄様だけ、ひとりでアレコレやらせて頂けるの、ズルイと思うんですのっ。お仕事だって外部。アタシなんて就職もお父様のそばで秘書とかやらされていますし、私生活だって……! ひとり暮らしなんてアタシには到底許して下さらないのに……お母様の息のかかった場所とはいえ、お兄様だけマンションの一室まで与えられて自由気ままなひとり暮らしとか……。羨まし過ぎると思われませんこと?」
そんな夏凪の言葉を聞いて、春凪は心の中で
(いやいや! でも、そのお兄様はいま、愛してもいない偽装妻と同居中でひとり暮らしでも何でもないですし……もっと言うと他人を住まわせたことで自由気ままな暮らしとも縁遠い窮屈な生活をしていらっしゃいますよ!?)
と思う。
「あの……夏凪さん、お兄さんにはお兄さんなりの苦労がおありなんじゃ……」
堪らず宗親を庇うようなことを口走ってしまった春凪は、自分でもそんなことをしてしまったのを不思議に感じた。
考えてみれば、春凪自身だって、勝手気ままなおひとり様から、気が付けばあれよあれよと言ううちに宗親と婚姻せざるを得なくなっていたのだ。
直属の上司との、蜜月期なしの同棲は、ハッキリ言ってしんどいことこの上ない……。
そのはずなのに。
それほど自分は無理を強いられていない気がして、実は宗親がそれなりに気を遣ってくれていたのかも?と思い至る。
「アタシはね、春凪さん」
と、夏凪がクルッと身体ごとこちらを向いて、ついでに春凪の身体もガシッと掴んで自分の方を向かせてきて。
(ひっ。マイセンッ!)
急に椅子の座面ごとクルリと回転させられた春凪は、カチッとソーサーと触れ合ってしまったマイセンのティーカップを、慌てて天板に置いた。
割れたり欠けたりしてないよね!?とバクバクする春凪の心臓をなだめる間も与えず、グイッと顔を間近に寄せると、
「アタシはね、貴女方の結婚前、お兄様から春凪さんの紹介を1度も受けたことがありませんでしたの。なのに――! ある日突然婚約したからって聞かされたんですのよ!?」
プゥッと頬を膨らませて、「酷いと思いません?」と語気を荒くする夏凪を見て、春凪は何となく得心がいった。
ああ、これ。夏凪さんはきっと――。
「宗親さんから事前に色々と相談、されたかったですよね」
言って、夏凪の手をギュッと握ったら、目の前の夏凪が大きく瞳を見開いたのが分かった。
スッと通った形の良い鼻梁も、艶っぽいメイクの施されたクッキリした二重まぶたも。
うるうるプルンの唇も。
そのどれもが春凪なんかより断然大人びて見える夏凪なのに。
今、春凪をじっと見つめ返す彼女からは、年相応の〝女の子〟が垣間見えるようで。
春凪自身も、あまりに急転直下にことが運び過ぎて、親友のほたるにでさえ殆ど相談出来ないままに入籍してしまった。
もちろん、そのことを自分も物凄く悔やんだし、ほたるからも水臭いってさんざん叱られてしまったのだ。
義理の妹である夏凪としっかり向き合ったのは、ここに連れてこられてからのほんの少しの時間だけれど、夏凪が兄である宗親のことを心の底から慕っているらしいことは痛いほど伝わってくる。
そのお兄さんが、自分には殆ど何も言ってくれずに婚約したよと事後報告してきたのは、さぞかし夏凪にとってモヤモヤしたことだろう。
結婚前の顔合わせの際、夏凪が自分たちのことを恨めしそうに睨みつけていたのはそういうことだったのね、と今更のようにストンと腑に落ちた春凪だ。
だからあの時、春凪は夏凪から避けられて殆ど話せず終いで、それ以後も機会に恵まれなくて今に至ってしまったんだ。
(てっきり嫌われているんだと思ってたけど拗ねてただけなのね――)
自分より数ヶ月後に生まれたという義妹は、春凪なんかよりよっぽど大人びて見えるけれど、内面はもしかしたら春凪より幼さを残しているのかもしれない。
その彼女が、ひとりそんな寂しさを抱えて悶々としていたなんて、春凪は思いもよらなかった。
「実は私も……親友からさんざん、何の相談もなく婚約しちゃうとか水臭過ぎる!って叱られちゃいました」
ポツンとこぼした春凪に、夏凪が瞳を大きく見開いて。
「春凪さんも、大事な方に不義理をなさったのっ!?」
身を乗り出した夏凪に大声で聞かれた春凪は、手元にあったマイセンのティーカップとソーサーなどを、大事のためにそっと向こうに追いやってから、小さくうなずいた。
「……はい、やらかしちゃいました」
あっという間に色々決まってしまったので、と付け加えたら、「まぁ! お兄様ったら! そんなに春凪さんを早くご自分のものになさりたかったのねっ!」と返ってきて。
(あ、いや、別にそう言うわけではないんですよ!? 夏凪さん!)
と慌てて心の中で叫んだ春凪だったけれど、言っても多分謙遜しているとか言われて信じてもらえないと思って、端から言わずにおいた。
(ごめんなさい、宗親さん! 何か私、ものすごーく、貴方に恋焦がれられて嫁ぐ幸せ者みたいになっちゃいました!)
宗親にバレてしまった時が怖い気もしたけれど、せめて今だけは――。
何だかそう思われているのも悪くないかも?とも思ってしまった春凪だった。
成瀬りん
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コメント
2件
かなさん、なかなかにインパクトのある子ですね(笑)
わあ、今回も春凪さんのリアクションが可愛すぎました!マイセンにビクビクしながらも心の中で「憧れのブルーオニオン!」って思ってるギャップがもう…庶民代表として共感しかないです(笑) それにしても夏凪さん、お兄さんに拗ねてただけだったんですね。最初はツンツンした印象だったけど「事前に相談されたかった」って本音を聞けて、二人の距離が縮まった感じがしてほっこりしました。春凪さんが思わず宗親さんをかばう言葉を口にしたのも、偽装関係が少しずつ変化してる証拠かな…と。 次回も楽しみにしてます!