「光刃《こうじん》、乱れ桜」
直彦の剣が光を帯びた。
それを振り下ろすと、その軌跡が光の刃となって女王に伸びる。
目で追える速度だと思いきや、光弾を当て続けられている女王の手前で、爆発したかのように無数の光刃となって降り注いだ。
「一撃で終わるような、お遊びじゃないからな」
その言葉通り、直彦は剣を振るい続けていた。
何度も何度も、無数の光刃が吹き荒れる。天使たちの放つ、豪雨のような光弾よりも遥かに凄まじい。
そしてそれは、時折り龍にも向けていた。
天使四人に囲まれ、光弾の嵐に耐えながら火炎を吐いている白い龍。そこに同じく、無数の光刃が届く。
龍は苦戦しているように見える。
光弾を撃つことに徹している天使は、倒すというよりは引き付けているようだった。女王と分けて戦いたいというのが、直彦の本音なのだろう。
そしてそれは、上手くいっているらしい。
しかも、ともすれば倒せるのではという、もがくような龍の動きと、咆哮《ほうこう》。
吐く火炎も、素早く飛ぶ天使には直撃しない。
そこに、直彦の光刃が白い鱗《うろこ》を割り、そして剥《は》がして行った。白い血が撒《ま》き散らされ、徐々に動きが鈍《にぶ》くなっている。
「龍が、死んじゃう……」
私は、尻尾で直彦を弾き飛ばした時に、やり過ぎだと非難したことを後悔した。
すでに殺し合いが始まっていたのに、私はまだ……平和呆けしたことを言っていたのだ。
「ごめん……なさい」
「お姉ちゃん、気にしないで。天使の方が強いみたい。それだけだから」
「ユカ……。でも」
「わたしも、お姉様も、なおひこも、けっきょくは強いほうが、生き残るの」
幼いはずのユカは、その目に感情の色無く、じっと戦いを見つめている。
この子にこんな目をさせる世界も、平和呆けしている私がいる世界も、同じものだというのが理解出来ない。不思議を通り越して現実味がないまま、それを見せられている。
なぜ、こんなにも違う世界が、紙一重《かみひとえ》でくっついているんだろう?
「貴様の力は、守護天使であったか。神にでもなりたいと思うたか」
激しい光弾《こうだん》の雨と、無数の光刃《こうじん》を受け続けている女王が、声を発した。
防戦一方なことを、龍の行く末と共に心配していたところだった。
「なれるならなりたいさ! 殺された皆を、生き返らせたいと願うくらいはね!」
そう叫ぶと直彦は、より一層に剣を振るった。
情け容赦のない攻撃。殺すために磨き抜いた、命を奪うための剣を。
「数は重要だが、重さが足りぬ」
女王はさも、余裕であるかのように言う。
そして何か反撃をしているのか、直彦が剣で受けるような動作を挟むようになった。
その回数が、徐々に増えていく。反比例して、直彦の攻撃の手が緩んできた。
「ああ、分かって……いるさ!」
余裕の無い声。
けれど、直彦は一瞬の溜めをつくると、次の瞬間に姿を消した。
それは私の目には、最後の一撃を女王に向けたように見えた――。
「――お姉ちゃん。危ないよ?」
「え?」
私にしがみついているユカが、見つめている方向――中空に目を向けると、直彦がもう後少しという近くまで、こちらに剣を向けて迫っていた。
けれど、どういうわけか数メートル手前で急停止したように止まった。
「な……に?」
何が起きたのか、理解が追い付かない。
傍観していた私たちの目の前に、直彦が居る。
巻き込まれないように、少しずつ後退っていたのに。
「なおひこがね、わたしを狙ったの」
ユカの、その言葉で全身が凍りついた。
違う。心が。
当の直彦は、何か苦悶するような顔をしている。
そう思った矢先に直彦のお腹から、女の人の手がヌッと出て来た。白くて綺麗な肌に、赤い――血のようなもの。と、その後ろからもう一つの白い腕が体に回ってきて、抱きついている。
女王が不敵な笑みを浮かべて、直彦に後ろから抱きついていた。
苦痛に歪む直彦の顔のすぐ隣に、可憐で美しい、女王の上気した頬《ほほ》が寄せられた。
「直彦よ。余のような美しい女に、剣を突き入れるとはとんだサディストだな」
「グ……ほざけ。人の腹に、腕を差し込むような猟奇的《りょうきてき》な奴が」
「しかしまあ、よくも妹分を狙ってくれたな。察していたが」
「まさか……ここまで読まれるとはね」
直彦も、その後ろから抱きつく女王も、会話を聞かなければまるで、イチャつくカップルのように見える。
女王の美しい微笑みと、直彦の苦笑い。そこだけを見れば。
「小娘が口を滑らせておったからな。分霊である余を倒すより、先に妹分を殺しに来ると思うておったわ」
「……あと一歩の間を、埋められると思った」
「貴様がうつけなのは、力量を読みきれぬところよ。まさか、妹分は弱いとでも思っておったか?」
「間違っては、いない……だろ」
直彦のお腹から、白くて綺麗な腕を伝って、おびただしい血が滴っている。
「魅了の力を舐め過ぎたな。魂まで魅入られて、己を保てる者が居るものか」
「く……そ。女王と、相打ちじゃ……意味が……」
「まあ、後ろ手にしてはなかなかの突き込みであった。褒めてやろう。余の胸を貫く者が、居ようとはな」
直彦の右手は、後ろに回っている。
それが女王の胸に、剣を突き立てているらしい。
「優香……。すまない。汚い、戦い方……だったろう。ユカ……。殺そうとして、すまない。もっと、別の、出会い方を……」
直彦が何を言っているのか、聞こえているのに理解できない。
「お姉様。一度、戻って。死ぬのは、いや」
「分かっておる。だがこの程度では死なぬ。そのように、心配そうにしてくれるな」
「うん……」
女王は、直彦のお腹から腕を抜いて、やわらかな草が茂る天然の絨毯に、彼の体を横たえた。
そのせいで、さらに血がこぼれた。
――どうして、こんなことになっているんだろう?
「小娘よ。臆しておらずに、うつけに別離の言葉を掛けてやらぬか」
――別離の、言葉。
それは、お別れ、ということだろうか。
「小娘! 呆けておる場合か!」
胸に剣が刺さったままの、女王の一喝で涙がこぼれた。
理解したくなかった今の状況を、現実を、受け入れてしまった。
このままだと、死んでしまう。
「長くはないと知れ。良いな?」
私は、頷いた。
立ち尽くしたまま、思ったままに話した。
馬鹿なことだと分かっていても、もうこれが最後だから。
「直彦……死ぬなんて嫌。天使とか、何か治癒魔法みたいなの、使えないの? ねぇ」
「そんな力……あるなら、とうに、使っている……さ」
本当は、もっと近くに顔を寄せたい。
なのに体は、こわばったまましゃがみ込んでくれない。
「いやだよ。そんな、弱々しそうに。ねぇ。うそだって言ってよ。女王も出来ないの? 治して。ねぇ、直彦を治してよ。何で殺すのよ。二人とも……何で、殺し合うのよ……」
「すま……ない。優香……僕の事はもう、忘れ……」
そこまで言いかけて、口から血を吐き出してしまった。
何かを言いたげに、だけど焦点が定まらないのか、私のどこかを見ようとしている。
「忘れる? そんなこと出来るわけないじゃない。それより――」
どうにかしないと、本当に死んでしまう。
焦っているのに何も出来ない。
何も言葉が出て来ない。
「それよりこの傷を――」
――その焦燥の間の、ほんのひと時のことだった。
こちらを見ていたはずの、直彦の双眸から光が消えた。
苦しそうにしていても、焦点が合っていなくても、そこにはまだ、命の存在を示す光が宿っていたのに。
瞼を閉じないまま、瞳の奥から何かを閉ざしたように昏く、濁ってしまった。
「うそ……。うそ。い……いやだってば……」
「小娘。そ奴はもう、事切れたのだ。瞼を下ろしてやれ」
「いや……。いやよ」
「……ならば、余が閉じてやろう」
「直彦? 直彦! 起きて! ねぇ起きて。起きてよ……」
「しょうのない子だ……。小娘でなくて、すまぬな」
女王はそう言いながら、屈んで直彦の瞼に手を置いた。
そしてゆっくりと、その手を離してゆく。
直彦は、ぴくりとも動かなかった。
一度も目を離していなかったのに、そこにあったはずの、生命の温もりが消えていた。
それだけが妙にクリアに浮き上がり、死というものが完了して、生々しい無機質さだけが残ってしまった。
認めたくないのに、本能的に、それが直彦の死であると理解してしまった。
「いやあああああああ!」
ひとたび声を出してしまうと、もう、止められない。
「うああああああ! わあああああああぁ! あぁっ! ぁああああああああ!」
「小娘……」
「お姉ちゃん…………」
「ああああああああああ!」
全身から力が抜け、崩れ落ちるところをユカが支えてくれた。それでも倒れそうになったのを、女王が血濡れていない方の手で、私の腕をぐいと掴んだ。
それはさっき、直彦の瞼を閉じた手だ。
もう、いっそその手で、同じように殺してくれればいいのに。
「――あれ? お姉様が封じていたはずなのに」
「余の力を振りほどき、出て来たというのか。火の鳥よ」
ピュイイイイイイイ――!
耳を貫通したかという程の響きわたる鳴き声に、私は一喝されたような衝撃を受けて泣き止んでしまった。
唐突に、中空に現れたらしい。
燃え盛る炎を纏ったキョエちゃんは、けたたましいひと鳴きをして宙を舞っている。長い炎の冠羽(かんう)と尾羽(おばね)を持ち、羽ばたく度に炎が煌(きら)めく。
その神秘的な姿はまるで、鳳凰(ほうおう)のよう。
――でも、私の意志で呼び出したわけじゃない。
そう思った瞬間の、目の前の出来事に私は絶叫した。
「キョエちゃんやめてええぇ!」
出したことが無いくらいの、大声を出した。
こともあろうかキョエちゃんは、火柱が立つほどの火炎で直彦を焼いたのだ。
「まだ燃やさないで! もう少しだけ! もう少しだけ側に居させて! お願い! 焼かないで! やめてよおおぉ!」
まだ、最後に触れてさえいない。
息があった時さえ、触れるだけで、死んでしまいそうだったから。
まだ、口元の血を拭ってあげていない。
私が、最後にそうしたかったのに。
「お姉ちゃん、あぶない」
抱き支えてくれていたユカと、そして腕を掴む女王に、がっしりと止められてしまった。
火柱の中に入って、一緒に燃やされてしまおうと思ったのを、見透かされた。
「やだぁ! いやぁぁぁ! なんで! なんでそんな! ……そんなこと…………」
地獄の業火でさえ、ここまで炎が立ち昇るだろうか。
「なんでよ……。キョエちゃん……。なんでここまでするのよぉ……」
自分の守護獣なのに、私は恨んだ。
確かに、間際に剣を向けられたけれど。それならどうして、その時に出て来なかったのか。
死んでしまった後で、どうして今更、彼をここまで焼き尽くす必要があるのか。
触れたかったのに。
怖くてすぐに、出来なかっただけで。
認めたくなくて、動けなかっただけで。
触れていたかったのに。
それを、事も無げに焼いてしまって。
跡形もないくらいに、焼き尽くす炎を放つなんて。
――悲しみと恨みで、頭がおかしくなる。
「……見よ、小娘」
私の腕を、掴んで離さない女王がつぶやいた。
それは私に向けただろう言葉なのに、彼女を見ると、目を見開いて火柱に見入っている。
飛び込ませる気がないくせに、今なお焼かれているそれを見ろだなんて。
「お姉ちゃん。これ……見た方が、いい」
ユカまでが、憎くて恨めしい火柱を見ろと言う。
遺体であろうと、好きな人が焼かれている姿を、見たいはずがないのに。
そう思って目を伏せようとした時に、その炎から、声がした。
「これは、一体……」
先ほど、つい今しがた、そこで息を引き取ったはずの、直彦の声。
幻聴であっても、最後の声をもう少し聴けるならと、私は前を見た。
火柱の中の、彼の姿を。
「傷が、消えている……」
もう一度聞こえた。
その中で、彼は体を起こしているように見えた。
それが夢でも幻覚でも構わない。
私はその中に、飛び込むつもりで駆け出そうとした。
「待たぬか。燃えぬとは限らんのだぞ」
女王の力がとんでもなく強く、掴まれた腕が全く振りほどけない。
「はなして!」
女王を一瞥して睨みつけ、もう一度振りほどこうと体をよじった時に、不意に手を離された。
「へ?」
思いきり腕を引っ張った瞬間だったせいで、かなりの勢いで火柱の方に突っ込むことになった。
でも、そこにはもう、火柱は無かった。
代わりに、座り込んだままの直彦が居る。
立て直せない体勢のまま、私はそこに、後ろ向きのまま倒れ込んでしまった。
「……何が起きたんだ?」
直彦は、器用に受け止めてくれた。座ったままの、お姫様抱っこみたいに。
その腕は力強くて、夢や幻覚ではなさそうだと思った。
「……本物?」
質問されたことよりも、私の方が聞きたくて、そう答えた。
「あぁ。たぶんね」
だけど、そう言われてもまだ、さっき見たはずの現実が怖い。
「それなら、もう少し……ギュッとして」
「こ、こうか?」
そうして抱き寄せられると、直彦の汗の匂いがした。
そして、鼓動の音も伝わってくる。
私も彼の首に腕を回すと、この手と頬に、体温も感じた。
「うん……生きてるみたい」
飛び跳ねて喜びたいけれど、離れた瞬間に夢から覚めてしまいそうで、出来ない。
まだ、これも現実なのかどうか、疑わしくて。
「……小娘の守護獣は火の鳥ではなく、不死鳥――フェニックスであったか。驚いたな」
女王は、優雅に空を舞うキョエちゃんを見上げてそう言った。
フェニックス――。
「お姉ちゃん、なおひこ。良かったね」
ユカの穏やかな声。
見ると、普段のあどけない少女の顔に戻っていた。
そうだ、戦いはもう、終わったんだ。
「ねぇ直彦。こう言うのは、アレなんだけど……」
「うん」
「もう、戦おうとか……しないでね」
「あぁ……僕は負けたからね。汚い手を使っても、勝てなかった。もうしない」
「うん。良かった。安心した……」
せっかく、生き返ったんだから。
確認のために、直彦の顔もまじまじと見てみた。
すると、ユカほどではないけれど、いつもの穏やかな顔に戻っていた。
「ほんとに、もうしないよ。天使どもも消えたままだろう?」
言われてみれば、直彦が一度死んだ時に、消えてしまっていたような気がする。
「うん。安心した」
「二人で良い雰囲気の所にすまぬが、これを抜いてもらおうか」
胸に剣が刺さったままの女王が、なぜか勝ち誇ったような顔で揚々と側まで来た。
「女王……。自分で抜けるはずだろう」
「何、貴様のサディストな性癖に合わせてやっておるのだ」
「よく言うよ。でも、これで死なないんじゃ、僕に勝ち目なんて無かったな」
これは、どういう空気感なのか分からないけれど……。
たぶんこの二人にしか分からない、何か良い感じなのだろう。
女王に敵意は感じないし、直彦も嫌そうにしつつ、殺気無く剣を引き抜いた。
その女王の胸には、あるはずの傷痕が無く、美麗な肌を露わに胸を張っているだけに見える。
「……仲良く、してね?」
わだかまりが、消えないとしても。
「この、うつけとか?」
「女王と仲良くは出来ないよ」
二人からの視線は、本気のような冗談のような、どちらにも取れてよく分からない。
「う。ごめんなさい」
だから私は、咄嗟に謝ってしまった。
するとユカが「お姉ちゃんの負け~」と言って笑い、女王と直彦も、クスリと笑った。
本当に笑っていいのか……だけどホッとしたのも事実で、私の頬を、また涙が伝った。
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