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リフェアリー
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要は、薪を割った。
毎日、朝から夕方まで。村の男たちと一緒に、山に入り、倒木を切り、担いで下り、割った。手に、豆ができた。豆が潰れて、皮が剥けた。剥けた皮の下に、硬いものができた。
二週間、要は、台帳の話をしなかった。
代わりに、村を見た。
村には、掟があった。諏訪の佐久間のような、一人の長が決めた掟ではない。四百年かけて、村が自分で作った掟だった。
田んぼの水は、上から順に引く。上の家が、下の家の分を、止めない。
山の木は、村の共有。切るときは、村長に言う。言わずに切ったら、その冬、薪の分配から外れる。
米は、収穫のときに、村の蔵に、一割を入れる。蔵の米は、病気の家、年寄りの家に、村長が配る。
誰も、紙に書いていない。全員が、知っている。知らない人間は、村にいない。
「これが、四百年の信用か」要は、薪を割りながら、思った。
記録がない。だから、ゼロは、入れない。顔見知りしかいない。だから、嘘をつけば、一生、村にいられない。それが、掟を守らせている。
御殿とも、甲府の市とも、違う。御殿は、権田が決める。市は、誰も決めない。村は、村が決める。四百年、少しずつ、決めてきた。
要は、これを、壊したいとは思わなかった。
でも、この掟は、山の向こうには、届かない。
二週間目の終わりに、隣村との交渉があった。
大畑が、村の男を四人連れて、山を越えた。要は、薪を担ぐ役で、ついていった。ひかりが、頼み込んだからだ。
隣村は、木曽の村より、少し大きかった。味噌蔵が三つ。薪が、山のように積まれている。
隣村の長は、六十代の男だった。大畑の父親と、同世代だったらしい。
「大畑の倅か」
「はい」
「親父さんは、気の毒だった」
「ありがとうございます」
挨拶は、そこまでだった。
「米と、味噌を、交換したい」大畑が言った。「冬の分。米、二百キロ。味噌、五十キロ。薪、百束」
「前は、そうしてたな」隣村の長は言った。「トラックで運んで、振り込みで」
「今は、トラックも、振り込みもない。担いで運ぶ。現物で交換する」
「担いで、十キロの山道を。米二百キロを」
「運びます」
「誰が、先に渡す」
大畑は、答えに詰まった。
要は、後ろから見ていた。これだ。甲府の市で、刺された男と、同じ問題だ。先に渡した方が、損をする。相手が、逃げれば。
隣村は、木曽の村を、信じていない。木曽の村も、隣村を、信じていない。四百年、隣にいたのに。トラックと振り込みが、顔を見なくていいようにしてくれたから。顔を見なくていい時代が、三十年続いて、お互いの顔を、忘れた。
「うちが、先に、味噌を半分渡す」隣村の長が言った。「米が、全部届いたら、残りを渡す」
「米を、全部運んだ後で、味噌の残りを渡さなかったら」
「うちが、そんなことをすると思うか」
「思いません。でも、保証が、ない」
「保証」隣村の長は、鼻で笑った。「親父さんの代は、保証なんて、言わなかった」
「親父の代は、親父と、あなたが、顔を知ってた」
沈黙があった。
要は、その沈黙を、聞いていた。これが、大剥離だ。顔を知らない相手と、記録で取引していた。記録が消えて、顔も知らないことに、気づいた。それだけのことだった。
交渉は、決裂した。
隣村の長は、「冬の前に、また来い」と言った。大畑は、頭を下げて、帰った。
帰り道。山を越えながら、大畑は、要に、初めて話しかけた。
「見てたか」
「見てました」
「お前なら、どうする」
要は、少し考えてから、言った。
「先に渡す側と、後で渡す側の、両方が、損をしない形を作ります」
「どうやって」
「三人の立会いと、紙と、木で」
大畑は、立ち止まった。
「他所者が、信用を語るな、と言った」
「言いました」
「撤回はしない」大畑は言った。「だが、話は、聞く。冬までに、味噌がないと、村の年寄りが、死ぬ」
大畑は、歩き出した。
要は、その背中を見た。四百年の信用を背負った、三十八歳の背中だった。
山の向こうに、木曽の村が見えた。谷の底。川沿いの、四十軒。
初雪は、もう、山の中腹まで下りていた。
(第22話「3人立会い」へ続く)
コメント
1件
「第21話」、読み終わりました。やっぱり惹かれるのは「顔を知らない相手とは取引ができない」という、この大剥離後の世界ならではのジレンマですね。四百年かけて培われた村の掟は「顔見知り同士」だからこそ成り立っていた。でも隣村とは顔を忘れてしまった——その温度差が交渉の沈黙に滲んでいて、切なかったです。要の「三人の立会いと紙と木」という提案、どんな仕組みになるんだろう。楽しみです。