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―― それは目を疑うような光景だった。
遠目に見れば、たかだか光と炎のぶつかり合いだったかもしれない。
しかしごく細かにズームし見えてくるものは、あまりにも異様なものだった。
ロープのように張り巡らされた光のそれぞれから、さらに細かく触手のようなものが伸び、迫る炎に自ら絡みつき、齧りつくように養分を吸い取っていた。
小虫の口のようになった触手の数々は、それはイヤらしくジュウジュウと音を立てながら、セーキでも飲むようにゲェップと下品な音色を奏でた。
「き、気ぃ持ち悪ぃぃ、網が火を喰ってるぅ、姉ちゃん、なんだよコレ?!」
炎を喰らう光の網は、なおも形を変えながら一頻り空中を跳ね回り、これで最後だと膨らみ、黒い炎を包み込んだ。
直後、炎が消え、突発的な寒暖差が生じたことで、恐ろしいほどの突風が吹き荒れた。
正面からもろに風を受け、ミアを持ち上げていた人の山が一気に崩れ始めた。
「おい、ちょっと、ちょっと待てって、足場が崩れてくッ!」
将棋倒しのように人が転がっていく最中、空中に残ったまま蠢く巨大な網は、いよいよ炎を隙間なく覆い尽くし膨らんだ。
人々が散り散りに落ちていく阿鼻叫喚の悲鳴を聞きながらも、ロイは頭上に浮かぶ怪しい輝きから目を離せなかった。
周囲の空気を吸い付くし、巨大生物のように遠吠えをあげた光の網は、包み込んだ炎を養分として吸い上げた。そして秒ごとにサイズを縮小させながら、風船のようにヒューと昇っていった。
「何が起こっている?! なんなのだ、あの光の集合体は!」
消されていく炎を前に、そうはさせじとピートが追撃の炎を放った。
だが光の綱は、それすら待っていましたと言わんばかり、隙間から炎を吸収し内部へ引きずり込んだ。
ギュルルルと残った髄液を吸い取るような耳障りな音が響き、それぞれ傷つき転がった人々が自動的に空を見上げた。
グネグネと不規則に動くタコのような光網は、中に残っていた空気を吐き出しながらピートと同じ高さまで到達すると、ついに全てを吸い尽くし、《グェ~ップ》と端ない吐息を漏らした。
「やった、……黒い炎が消えた。炎が消えた!」
エネルギーを喰らい尽くし、タコの手足を解放し再び広がった網は、現世に解き放たれた幻獣のような咆哮を上げてから、役目を果たし空と同化するように消えていった。
いつしかミアの口から漏れていたナニカも止まり、ただ白目を剥いた間抜けな女が地面に転がっていた。
―― 助かった。ロイは大きく息を吐き、安堵した。
しかし消えた網のさらに向こうで、それを許さぬ小さな影が未だ微かに揺れていた。
「いや……まだだ、姉ちゃん、起きろ、起きろって!」
死んだように気絶し倒れているミアの元へと駆け寄ったロイは、頬をパンパン叩き、とにかく目を覚ませと必死に呼びかけた。なにせ雲すら消し飛んだ快晴の空の上では、未だピートが二人を狙い身構えていたのだから……
「ば、バカな。最大最強のミックス魔法を、あの愚かな女が相殺したというのか。そんなこと、そんなこと断じて認められるはずがない!」
怒りに震えるピートは、ならばもう一度するまでと魔力を溜め始めた。
異変を察知し、ロイはさらに慌ててミアの頬をビンタした。
「早く起きろ。もう一発撃たれたら、いよいよ街は終わりだ。ここにはギルドもないから、ミア以外魔法が使える奴もいねぇ、もうミアだけが頼りなんだって!」
×印になった目を無理矢理開かせ、散っていた子供たちも集まり、ミアの身体のアチラコチラを全員で一斉に弄った。「うぅん♪」だの「あふぅん♪」だの、色気のない吐息を漏らし微かに反応を示したミアに、もう面倒臭ぇと呟いたロイは、人さし指と中指二本を鼻の穴に突っ込みながら、思い切りミアの身体を持ち上げた。
豚のような鼻をしたミアは、意識もないまま身体を起こされ、子供たちにされるがまま、案山子のように立ち上がった。しかしそれら一連の動きが、空から全てを見ていたピートのさらなる怒りを買ったのは言うまでもない。
「ガキを味方に付けた程度で、この私に勝てるとでも言いたいのか。さっきのは何かの間違いだ。もう次はない、確実に全てを消す」
いよいよ限界まで絞り出した魔力を漆黒の闇へと変換させたピートは、再度巨大な炎を作り出し、解き放った。反応した住民から悲鳴が上がったが、ロイと仲間たちは先程と同じように気絶し大口を開けたミアの身体を高々と掲げ、炎に照準を合わせ、「いくぞ!」と声を重ねた。
磔刑に処されたどこかの偉人のように、両手を広げてだらんとしたミアは、希望の媒体となるべく回転し始める。
するといつかのように、ミアの身体が熱を帯び、きらきらと輝き始めた。
「これならイケる!」とロイが思ったのも束の間、次の瞬間ミアの口から飛び出したのは、紛うことなき胃の内容物、いわゆる《寝ゲロ》だった。
「うげぇ、きったねぇ、ゲロが、ゲロが手に、手に付いたぁ!」
ロイを含めた子供たち全員が蜘蛛の子を散らすように散り、ミアはグリュンと一回転し、後頭部から地面に落下した。
あまりの痛みに悶絶し目を覚ましたミアは、頭をこれでもかと擦りながら、周囲をキョロキョロ見回し、また意味もなく「ギャー!」と叫んだ。
「お、起きた。ミア、上だ、上を見ろ!」
正気かどうかもわからないミアに駆け寄り、ロイはミアの顔を真っ直ぐ上へ向け、再び魔法が迫っていることを伝えた。ギョッとして記憶を取り戻したミアは、釣られた魚のように背筋をピンと伸ばしてから、シュビシュビと電車ごっこする子供のように腕を前後させた。
「な、なんだよその変な動き。いよいよ壊れちまったのかよ、姉ちゃん!」
しかしミアは激しく首を横に振った。
それから自分が信じられないと、両の手を見つめながらバタバタ動かした。
「……戻ってるの。全部使っちゃったはずの魔力が戻ってるの。どうして?!」
「んなこと知るか。なんでもいいから、空のアレをどうにかしてくれって!」
コクリと頷いたミアは、消えずに残っていた地面の陣に右手を付いた。
するとこれまでと比較にならないほどの雷光を伴い、陣から茶色の柱が飛び出すように立ち昇り、空中で飛散し四方へ散らばった。
「え゛? ……なにあれ、私、あんなの使ってないんだけど(困惑)」
辺りを覆った見るからに薄汚い茶色の傘は、さらに膨張しながら街全面を覆い隠すまでに広がっていった。かと思えば、今度は霧状に飛散しバリバリと音を立て、電気をまとったかのように発光(発酵?)し固まっていく。
そして最後にキノコが腐ったような臭いが漂い始め、子供たちは思わず鼻を摘んだ。
「くせぇ、なんだよこれ……?」
「ええと、……なんだろう、……私にもよくわかんない」
ロイと顔を見合わせ、ミアが不細工にテヘッと舌を噛んだ。
そんなことをしている間にも、ピートの炎が頭上の巨大な傘に接触した。
ドンッという突き抜けるような衝撃に、穴の空いた傘の中央がグジュグジュと溶けて垂れ下がった。
しかし今度は、垂れ下がった傘の端が花弁のように鮮やかなピンク色へと姿を変え、炎を押し返すように少しずつ持ち上げていくではないか!
「なぁ姉ちゃん、今度はなにやったんだよ……?」
「わかんない……、なんだろう、アレ……」
茶色の傘からおどろおどろしいピンク色のラフレシアへと変貌を遂げ、衝撃的な腐臭を撒き散らしながら黒い炎を囲った花は、風呂上がりにビールを煽るジジイの如く、喉を鳴らし炎を飲み込んでいく。
そして極限まで圧縮されて細くなった炎の筒を花の幹にあたる部分に吸引したかと思えば、激しく紫色に発光し始め、最後にはグチャッという破裂音とともに弾けて街中へ散らばった。
粘つく不気味な液をいたるところに撒き散らし、黒い炎と巨大な花は消えてなくなった。
真顔のまま、ネチャつく臭い粘液を顔面に浴びた人々は、そのあまりの臭いに悶絶し、卒倒した。
力を使い果たし地面に降りたピートは、項垂れて肩を落とした。
しかもその最後が語るも無残なほどの馬鹿馬鹿しさとなれば、台詞の一つも出てはこなかった。
こうして街の全員が白目を剥き立ち尽くす中、
後に語られる『リール激臭事変』は、終わりの鐘を鳴らしたのだった――
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