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パタッ、と
病院の待合室は、
どこも似たような音がする。
空調、足音、ページをめくる音。
人の気配は多いのに、
会話はほとんどない。
受付の横に、
新しいポスターが貼られていた。
啓発とも、案内ともつかない紙。
お子さんから結ばれた約束、守りましたか?
通り過ぎる人の多くは、
視線を落とさない。
診察のことで頭がいっぱいだ。
今の体調、今後の予定、
目の前の数字。
ただ、一人だけ、
ベビーカーを押したまま立ち止まる人がいる。
立ち止まった理由は、
問いの内容ではない。
字の大きさが、ちょうど目に入った
それだけだ。
その人は、何も考えず、
何も思い出さず、
ゆっくりと視線を外す。
問いは、答えられなくても、
そこに残る。
【後日譚】こんどは
会社のエントランスで、
彼は足を止めた。
来客用の記入台。
新しくなった受付システム。
その横に、見慣れない一文。
お子さんから結ばれた約束、守りましたか?
誰に向けたものかは、
書いていない。
彼は一度、
自分に子どもがいないことを思い出し、
それから、
自分が子どもだった時間を思い出す。
迎えに来る、と言われた日のこと。
濡れた長靴。
テレビの音。
不思議と、怒りはない。
悲しみも、もう形を持たない。
ただ、
あのとき何も言わなかった自分が、
今も同じやり方で、
黙って通り過ぎようとしていることに気づく。
彼は、問いから目を逸らさなかった。
守られなかった約束は、
消えていない。
形を変えて、
読む側に回っている。
そして、問いは今日も、
誰かが立ち止まるのを
待っている。