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強面顔の実篤に、怒気を滲ませた視線を向けられた男が、雰囲気に気圧されたみたいにエレベーターの外に後ずさる。
そこで折り悪しく扉が閉まりそうになったから、片手でグッと閉じないように押さえてから。
実篤は腕の中にくるみをしっかりと抱きしめたまま男をじっと見据えた。
「俺はくるみの婚約者の栗野実篤と言います。――今日は彼女、うちの妹と一緒に来ちょったはずなんですけど……何で妹じゃなくて貴方がくるみと?」
そもそも実篤が乗っていたのは上に向かうエレベーターだ。
九階より上は客室しかないのは、エレベーター内の階数表示下に書かれていて知っている。
絶対くるみに良からぬ事をしようとしていたに違いないと思った実篤は、思わず無意識。
くるみの〝婚約者〟だとハッタリをかましてしまった。
瞬間、腕の中のくるみがピクッと身じろいで実篤を見上げたのだけれど、頭に血が昇った実篤はそれには気付かないまま。
「くる……木下が具合悪そうじゃったんで僕がたまたま取っちょった部屋で休ませてあげようと思うただけです。――今日は僕、一応幹事の一人なんで」
そこで、男がニコッと人畜無害そうな笑顔を向けてきたけれど、腕の中のくるみが明らかに震えているのが分かる実篤は、男を見つめる目から敵意を外さない。
(たまたまとか絶対嘘じゃろ)
男が胸に付けたままのネームプレートに『鬼塚純平』と書かれているのも見逃さなかった実篤だ。
(こいつ、くるみちゃんが会いとぉないって言いよった奴じゃし……)
「でしたらもう俺が交代しますんで大丈夫です。お手間を取らせましたね。ああ、あと、申し訳ないんですけどうちの妹――栗野鏡花に、至急長兄に連絡する様伝えて頂けますか?」
(あの鏡花が、こんな状態のくるみちゃんから離れちょること自体おかしいし、くるみちゃんのこの怯え様からしたら、鏡花も安全じゃないんかも知れん)
何となく直感的にそう思った実篤だ。
鏡花に自分から電話をかけて呼び出すことも可能なのに、わざわざ鬼塚にそう頼んだのは、彼を牽制する意味もあった。
「ええ……分かりました。ただ、会場も広いですし何しろ参加人数も多い。すぐには見つけられんかも知れんのんですけど……」
ここへきてわざとらしく渋る鬼塚に、実篤はチラリと冷たい視線を向けると、「先程も申し上げた通り至急の用件なんですよ、鬼塚さん。失礼ですが、幹事さんならその辺何とでもなりますいね?」と穏やかな――でも聞く者が皆ゾクリと背中を震わせるような低音で畳み掛ける。
わざと〝名前も覚えたぞ〟という意思表示を込めて、「鬼塚さん」を織り交ぜたのもあるだろう。
「ああ、それもそうですね。緊急事態っちゅうことで鋭意努力します」
すぐに鬼塚がそう答えて。
だがこの鬼塚という男もなかなか肝が据わっているらしい。
実篤のその声音に、笑顔の仮面を崩さないままに返せたのだから。
(こいつ、相当腹黒いな)
実篤は今までの経験から、そう判断した。
***
「実篤さん……ここは」
「あー、ちょっと成り行きで取ってしもうた部屋なんじゃけど……あんまり深ぉ考えんで?」
――恥ずかしいけん。
ゴニョリと小声で続けたら、くるみがギュッと抱きついてきた。
「あのっ、せっかく助けてもろうたんに……ごめんなさい……。うち……鬼塚くんと……ちゃんと話をせんと……いけんのん」
さっきだってあんなに怖がっていたくせに、気丈にもそんなことを言ってくるくるみに、実篤は瞳を見開いた。
今も、言いながら明らかに分かるくらい震えているのだ。
どうにも堪らなくなって、実篤はその震えごと包み込むみたいにくるみの小さな身体を抱き締めた。
「さっき、鬼塚とのやり取り、聞いちょったじゃろ?」
恐らくくるみがこんなことを言ってくるのは、鏡花がネックになっている。
そう思った実篤は、くるみの頭にチュッと口付けた。
こんなにか細い身体で、またあの男にいいように言いくるめられて力づく、何処かに連れ込まれそうになったらどうするんよ?と言う恨み節を懸命に押さえながら。
実篤は言葉を選んでくるみに声を掛ける。
「ちょっとだけ待ってくれんかな? 俺が妹のこともちゃんと連れ戻すけん。それまでの間、くるみちゃんは心配せんでここに居て?」
実篤の言葉に、くるみが涙をいっぱいに溜めたうるうるの目で見上げてきて。
「実篤さ……ン」
震える声で自分の名前を呼んで更に一層瞳を潤ませるから。
実篤は(可愛過ぎじゃろ!)と思いながらも、この涙の元凶が自分ではなく別の男の愚行だと気が付いて心底腹立たしくなる。
「お願いじゃけ、俺以外の男がしたことで泣かんちょいて?」
実篤は、この先もくるみを泣かせるつもりなんて微塵もない。
だけど、彼女を笑わせるのも怒らせるのも……それこそ今みたいに泣かせるのでさえも……全部全部自分でありたいと思ってしまった。
実篤の言葉に、くるみが「ごめ、なさ……」と再度しがみついてくるから。
実篤は今すぐにでも可愛い恋人をどうこうしたい!という衝動を抑えるのに理性を総動員する羽目になる。
そこでタイミング良くズボンの尻ポケットに突っ込んでいたスマートフォンがブーッ、ブーッ……と振動を伝えてきて、実篤のなけなしの理性に加勢してくれて、どうにかこうにか理性に軍配が上がった実篤だ。