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「おーい日下部ー、ちょっと来て」
放課後、席を立つ生徒がまばらな中で、蓮司の声が教室に響いた。
教壇に立った蓮司は、無邪気な笑みを浮かべて日下部を手招きする。
日下部は無視する。
「来いって。ちょっとだけでいいから。──な?」
その声が妙に通る。教室の残り少ない空気を、全部蓮司が握っていた。
周囲の視線が、じわじわと日下部に集まる。
日下部は舌打ちを飲み込んで、前に出る。
教壇の段差を上がる瞬間、その足元に蓮司の手が伸びた。
──パン、と音を立てて、軽く尻を叩く。
「……なにしてんだ、おまえ」
「え? ノリじゃん。怒るなよ〜、かわいいな」
笑いが起きる。気まずさではなく、“盛り上がる場”のように。
「なあ、みんな知ってた? こいつさ──」
蓮司は教壇から背後のクラスに向けて、堂々と声を上げる。
「遥のこと、ずっと気にしてんの。目で追ってんの、バレバレ」
「本人は“無関心装ってます”みたいなツラだけど、内心じゃぐっちゃぐちゃ」
「なあ?」
蓮司が日下部の肩に手を置く。ぐっと力をかけ、軽く揺さぶる。
「おまえ、好きなの? 遥のこと」
笑ってる。軽く。砕けた声で。
だがその手の位置と声の大きさは、“見せ物”を作ることに長けていた。
日下部は黙っていた。
答えないのが最も正しい選択だと知っていたから。
けれど、蓮司はそれを許さない。
「黙るってことは──図星か?」
クラスに、笑いとざわめきが広がる。
無言の羞恥が、日下部の皮膚を内側から剥がしていく。
(やめろ……)
遥は、座ったまま、その光景を見ていた。
──目が合った。
一瞬だけ。
でも日下部は、遥から目を逸らした。
(……まただ)
(また、俺は……)
蓮司がさらに言葉を重ねる。
「てか、遥の方も気づいてるよな? こういうの」
「鈍そうで、あいつ意外と察しがいいし」
そのとき、遥がわずかに動いた。
立ち上がるかに見えたが、机に手を置いたまま、踏みとどまった。
その震える手に、誰も気づかない。
蓮司は、振り返って遥を見やる。
「なあ、遥──おまえ、どう思う?」
「こいつ、おまえのこと“そういう目”で見てたら……さ」
「気持ち悪い?」
一瞬、空気が凍る。
その言葉を、遥は胸で受け止めた。
日下部の顔を見ることができなかった。
蓮司は笑う。
「ま、俺は好きだけどね? こういう湿った三角関係」
「壊れてんの、悪くないし」
その言葉を最後に、蓮司は軽い足取りで教壇を降りた。
教室の空気は微妙な笑いと、沈黙と、見て見ぬふりで塗り固められていく。