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『第七話 放課後の誘い』
「亜土さん」
──ある昼休み。
期末考査期間も過ぎ、教室には夏休み前の緩んだ空気が漂っている。
千夏は顔を上げた。
教室の窓から差し込む初夏の陽射しが眩しい。
声を掛けたのは、隣の列の女子だった。
栗色の髪を肩まで伸ばした、明るい雰囲気の少女。
確か──
「神崎さん?」
「正解」
神崎結衣は、ニッと笑った。
「覚えててくれたんだ」
「まぁ、同じクラスですから」
「それでも嬉しい」
そう言って、結衣は千夏の机に肘をつく。
距離が近い。
千夏は少しだけ戸惑った。
結衣はクラスでも人気者だ。
誰とでも話す。
誰とでも笑う。
休み時間には自然と人が集まる。
千夏とは正反対の人間だった。
だから正直、少し苦手だと思っていた。
眩しすぎるのだ。
「亜土さんってさ」
「はい」
「放課後いつもすぐ帰るよね」
千夏の肩がわずかに揺れた。
「そうですか?」
「そうだよ」
結衣は即答した。
「チャイム鳴ったら消えるもん」
否定できなかった。
実際そうだからだ。
千夏は、学校から真っ直ぐ帰宅する。
そして宿題や夕ご飯の下拵えなど、やるべき事をさっさと終わらせる。
後は勉強しながら悠真の帰宅を待つ。
悠真から帰宅したとのLINEが来たら、母親が帰るまでの時間を向かいの部屋で過ごす。
時々、悠真が残業で会えない日もあるけれど、それが最近の放課後だった。
──
「部活とかやらないの?」
「帰宅部です」
「そっかー」
結衣は少し考え込む。
そして突然言った。
「ね。今度、一緒に帰らない?」
千夏は瞬きをした。
一秒。
二秒。
理解が追いつかない。
「え?」
「だから一緒に帰ろうって」
結衣は当然のように言う。
「駅前に新しいクレープ屋できたんだよ」
千夏は言葉を失った。
クレープ。
放課後。
寄り道。
自分とは無関係な単語に思えた。
「いや……」
思わず断りかける。
その時だった。
『失敗しても終わりじゃない』
悠真が言った言葉が頭をよぎる。
「……」
結衣が不思議そうに首を傾げる。
「嫌だった?」
違う、 嫌じゃない。
むしろ 少し嬉しい。
だけど。
どう答えればいいのか分からない。
「その……」
千夏は小さく息を吸う。
「考えておきます」
結衣は笑った。
「うん!」
それだけだった。
無理に誘わない。
答えを急がない。
失望していない。
その笑顔に少しだけ救われる。
──午後の授業。
先生の声は耳に入らなかった。
一緒に帰る。
ただそれだけのこと。
なのに。
胸の中が落ち着かない。
──放課後。
チャイムが鳴る。
いつもなら、すぐに教室を出る。
しかし今日は違う。
「じゃあねー!」
「また明日!」
クラスメイトたちの声が聞こえる。
千夏は席に座ったまま、その光景を見ていた。
自分の知らない世界。
自分が入ったことのない輪。
そこへ。
「亜土さん、またね!クレープ考えといて!」
結衣が手を振る。
千夏も小さく振り返した。
──帰宅後
日が暮れる前にメッセージが届く。
いつものアパート。
いつもの階段。
いつもの部屋。
インターホンを押す。
「はいはい」
ドアが開く。
「お邪魔します」
千夏は靴を脱ぎながら言った。
「お兄様」
「ん?」
悠真はキッチンから顔を出す。
千夏は少し迷った。
本当に少しだけ。
「今日」
声が小さくなる。
「友達に、今度クレープ食べに行こうって誘われたんです」
悠真が目を丸くした。
「へえ」
その反応が少し意外だった。
もっと驚くと思っていた。
「良かったじゃん」
悠真は笑う。
本当に自然に。
千夏は何故だか少しだけ複雑な気持ちになった。
「……そうなんですけど」
言葉の続きを見つけられない。
悠真はそれ以上聞かなかった。
ただコーヒーを淹れながら言う。
「行ってみれば?」
その言葉に。
千夏は窓の外を見る。
夕焼けが街を赤く染めていた。
行ってみたい。
でも怖い。
そんな気持ちが胸の中で揺れている。
ピスカが足元へやってきた。
「にゃあ」
千夏はしゃがみ込み、猫を抱き上げる。
「どうしようか?」
問いかける。
ピスカは答えない。
ただ気持ちよさそうに目を細めていた。
──その夜。
ベッドに入ってからも。
千夏はずっと考えていた。
放課後のクレープ。
たったそれだけのことが
今までより少しだけ──
未来を楽しみに思わせていた。
──続く
コメント
3件
クレープ食べに行って、楽しんで欲しいなぁ…… 続きを楽しみにしています✨
うわああ、第七話も尊すぎる😭💕 千夏ちゃんがクラスの人気者・神崎さんに「一緒に帰らない?」って誘われるシーン、めっちゃドキドキした…!断ろうとした時に悠真くんの「失敗しても終わりじゃない」がよぎるところ、伏線回収エモすぎて泣ける…悠真が「行ってみれば?」と自然に背中押すのも、良きお兄様すぎる🏼 クレープ1つで世界が広がりそうな予感、次の話が待ち遠しいよ〜🌸
#年の差
西原衣都
800