夢を見る。あの頃、無邪気に走り回った頃の夢を見る。青く鮮やかな芝生を踏み、走り回ったあの日。太陽の下で吹く暖かな風は頬を撫でて、安心したのを覚えている。いつも通り母は微笑み、見守ってくれていた。少し寂しさを滲ませた声で俺に語りかけていた。当時の俺はそんなことすら気づかなかった。逆に母を守ってる気にすらなっていた。 皮肉なまでの眩しさに目が眩む。朝が来てしまったのだろう。せっかくの幸せな夢を壊され、思わず手に力が入る。…これ以上また傷を開いたら厄介だ。不思議とそんな感想が浮かんできた。ふと、体が湿っていることに気づいた。どうやら寝汗をかいてしまっていたようだ。そんなことを考えながら、服に手を伸ばす。真新しいそれに袖を通すと、鏡に映る自分がひどく不格好に見えた。
玄関の扉を開けると光が目に入ってきた。思わず目をつぶってしまう。その残酷なまでに純粋さを帯びた光は俺には眩しすぎるように感じた。
歩いていると公園が見えた。昔、母に遊んでもらったあの公園。ブランコがひとりでに揺れ、鎖が軋む音は閑静な住宅街に溶けていく。その音は、きっと俺にしか届いていないだろう。中に入っていくと桜の木があった。その下に食べかす。米粒にアリがたかっているのが目につき、膝を曲げ、眺めていると昔来たときに急に来た風に驚いておにぎりを落としたのを思い出した。
「アリに食べられたっけ」
風はまだ吹いている。その証拠に桜の花びらが舞っているだろう?花びらには手は届かないけれど。
更に歩いた先には文房具屋が見えた。よく鉛筆を無くしてしまい、ここにはお世話になった。
「しょうが無いなぁ」
そう笑って許してくれていたから甘えてしまったのだろうか。俺の落とし物グセは中々直らず、よく小学校の先生に叱られていた。
そういえばシャー芯が残り少なかったことを思い出し、俺は恐る恐る店内に入っていく。
店内は以前と変わらず、どこか懐かしい空気が漂っていた。
『200円ね』
老いを感じさせる店主の声に、不思議と心地よさが少し薄れたように思えた。財布から小銭を出し、受け取ったシャー芯をポケットにしまう。店主の荒れた手が母の指先に似ているような気がした。
文房具屋から逃げるように出ると、小学校に辿り着いた。朝日に照らされた砂埃がフェンス越しに光を放つ。あの時のようだ。運動会の時、白組を抜かし、勝ったときの母の瞳の輝きに似ている。土埃を立たせながら太陽の光を存分に浴びた。走り抜いた先でその輝きを見つけたとき、俺の胸には暖かいものでいっぱいだった。俺のことなのに俺よりも嬉しそうで、だから俺も自然と笑みが溢れた。あんな日々が続くと思っていた。だけど、そんなのは続かないに決まっている。校舎に入っていくのは見知らぬ子どもたちばかりで俺のことなんて知らないだろう。先生だって同じ。俺を不審な目で見てくる。それも無理はない卒業からだいぶ経ったのだから。それこそ、友人の顔を忘れるくらいには
「本当に戻れないんだな」
俺は上を向く。太陽の眩しさに目を細めると、涙が一粒、頬を伝っていくのを感じた。
小学校を後にして、坂道に入る。少し遠回りになってしまうがそれでいいだろう。けじめをつけよう。俺の前に見えたのはひっそりとした墓地。
石畳の間を風があのときのように頬を撫でる。どこから来たのか、桜の花びらが落ちていた。
来るのが遅くなってしまった。だけどそれも終わり。光に照らされた「東山」と書かれた墓地に手を合わせる。耳の奥であの優しい声が蘇ってくるのを感じた。言うことを聞かない口を無理やり動かし、やっと言葉を発する。
「行ってきます」
坂を降りようとしたとき、風が吹いた。風に母の匂いが混じっている気がしたのはきっと気のせいだろう。腕時計を確認すると良い時間になっていた。
「入学早々遅刻しないといいな」
そう呟き、俺は高校に向かった。太陽に照らされた道を走っていく。不思議と、嫌じゃなかったのは母のおかげだろう。
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|´-`)チラッ 秋穂やほ