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及川視点
「徹、どうしたの?おかしいわよ」
母さんの声は不気味なくらい静かで、
怒鳴られるよりもずっと怖かった。
「俺は…普通に生きたいだけだよ」
言った瞬間、胸がスッと軽くなった気がした。
でもその後に来る静寂が、身体の芯を冷やした。
「徹、あなたは普通じゃないの。だから私が指導してあげているのよ」
“普通じゃない”
何度も耳にした言葉。
ずっと刺さって、ずっと痛かった。
「そう、かもね」
「でも、、」
母さんはため息をつくように首を振り、
俺の肩に手を置こうとした。
その手が触れる前に、俺は一歩後ろへ下がった。
「触らないで」
母さんの表情が一瞬で固まる。
怒りでもなく、悲しみでもなく、
“想定していない状況”に戸惑った顔。
「徹…あなた、最近変よ」
「変になった理由、母さんは知らないんでしょ」
「なにを――」
「母さんが知らないだけだよ」
胸の奥の言葉が、堰を切ったみたいにあふれた。
「岩ちゃん、まっつん、まっきー、部活のみんなだって俺のこと心配してくれてるのに、母さんは何にも見てくれないじゃん」
母さんの眉がピクリと動く。
「徹。あなたは、周りの子より優れていないといけないの。“普通”なんて求めるな」
その言葉に、背中がじんと痺れた。
「もう…無理だよ」
その一言を、初めて母さんに言った。
母さんは固まったまま、俺をじっと見る。
怒りを隠すでもなく、涙を見せるでもなく、
ただ無表情に。
「徹。あなたがどうしたいかは関係ないのよ」
その言葉で、何かがプツンと切れた。
ここにいたら、俺は壊れる。
今日じゃなくても、近いうちに。
頭の中に浮かんだのは――岩ちゃんの顔。
あの玄関で、俺のためについた小さな嘘。
学校で言ってくれた「関係あるだろ」の言葉。
部活で、いつも隣にいてくれたこと。
守られたいんじゃない。
ちゃんと、自分の足で立ちたい。
立つために、誰かの名前を呼んでいいんだ。
「…出てくる」
母さんが目を見開く。
「徹?」
「今日は…帰ってこない」
「どこに行くつもりなの?」
「…言わない」
言ったら止められる。
だから靴も上着も鞄も何も持たず、
そのまま玄関へ歩いた。
母さんは背中に向かって言う。
「徹!戻りなさい!」
振り返らなかった。
扉を開けた瞬間、
外の空気が冷たくて、
でもやけに自由だった。
家の前の道に、誰かが座っていた。
驚いた。
信じられなかった。
「……岩ちゃん?」
岩ちゃんは膝を抱えたまま、ため息をつきながら言った。
「遅ぇんだよ」
まるで、俺が出てくるのを知っていたみたいだった。
「なんで…」
「なんとなく、こうなる気がした」
なんとなくで夜の家の前にいるかよ、と思ったけど、
それが岩ちゃんらしくて、少し笑えてしまった。
「行くとこ、ねぇだろ」
「…うん」
「じゃあ来いよ」
手を差し出されたわけじゃない。
抱きしめられたわけでもない。
ただ一言。
“来いよ”
その一言が、俺を救った。
「…ありがとう」
小さく呟いて、岩ちゃんの隣に立った。
「松川ん家、今日誰もいねぇって言ってたから」
「え?」
「安心して寝れる場所のがいいだろ」
岩ちゃんの横顔が、街灯に照らされて少し赤く見えた。
俺は初めて、
“逃げる”じゃなくて
“助けを求める”っていう選択をした。
母さんの声は、もう聞こえなかった。
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