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ちょっと荒木羽理から離れて買い物かごを取りに行っただけなのに。
屋久蓑大葉が、かごを片手に戻って来てみれば、見知らぬスーツ姿の男が羽理の前に立っていた。
ゆるふわな髪の毛をクラウドマッシュに仕上げたその男は、明るい印象のキャラメルブラウンの髪色をしていて、見るからにチャラい。
それで、即座に(ナンパか!?)と思ってしまった大葉だ。
何せ羽理は黙って立っていれば絶世の美女。身長も小柄で、守ってやりたくなるような愛らしさも兼ね備えている。
ちょっぴり釣り気味の大きな瞳は、じっと見詰められると思わず戸惑ってしまうほどに蠱惑的だ。
(ま、口開いたら相当残念なんだがな……)
大葉はそのギャップがたまらなく好きなのだが、あの魅力が分かる人間は少数派だと思いたい。
大葉の視線の先、愛しの羽理が戸惑っている様子だったから。
大葉は大股で羽理の元へと急いだ。
と――。
「――ここで会えたのも何かの縁ですし、これから俺と一緒に食事でも……」
チャラチャラした雰囲気のスーツ男が、あろうことか羽理にそんなことを言っているのが耳に入って。
思わず手にしていたかごをヌッと二人の間に突き出して、「生憎だがコイツは俺の連れだ」と恋人宣言をしてしまった大葉だ。
なのに――。
「え? ――や、くみの……ぶちょ? ちょ、ちょっと待って? 何で先輩が部長と一緒にいるんっすかっ!?」
とか――。
(ん? 何やら俺を知ってるようだが俺はお前を知らん! キサマ、一体何者だ!?)
目を白黒させて自分と羽理を交互に見比べる若い男を見て、屋久蓑大葉がいの一番に思ったことはそれだった。
(俺のことを知ってて……なおかつ羽理のことを先輩呼ばわりするってことは……もしや会社の人間か?)
ややして、そう思い至った大葉だったが――。
すぐさま、(まぁ、けど……うちの部の人間じゃねぇな)と言う結論に達した。
そもそも自分のすぐひざ元にいた羽理のことすら――こんなに可愛いのに!――眼中に入っていなかった大葉だ。
若い頃、目を惹く外見のせいで酷い目に遭ってきたのもあって、基本自分と関わりのない他者には線引きをして過ごしている大葉は、他部署の人間――しかも平社員などほぼ記憶に残していないに等しい。
だが眼前のチャラ男の、羽理との距離感が気に入らない!と言うことだけはハッキリと分かったから。
「……俺の名前を知っているということは――キミもうちの社の人間か?」
聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず当たり障りのないところから、なるべく感情を抑えて問い掛けてみることにした。
(大体俺より背が高いと言うのも気に入らん!)
大葉は自分よりほんの少し背の高い眼前のチャラ男に、どうしても好い印象が持てそうにない。
「あ、はい。俺も……土恵の人間っす」
そう答えるチャラ男を牽制しつつ羽理の手首を握ると、大葉は彼女の小さな身体をこれ見よがしに自分の方へ引き寄せた。
「ちょっ、屋久蓑部長っ!」
目の前の男のせいだろう。
折角名前呼びをしてくれていた羽理が、苗字+役職呼びに戻ってしまったではないか。
そのことも非常に面白くないと思ってしまった大葉だ。
「……羽理、呼び方」
ちらりと羽理に視線を落とすなり、わざと〝羽理〟のところを強調してそう告げたら「ばっ、バカなんですかっ!? 五代くんがいるのに!」とか。
(バカ!? ちょっ、お前的にはそうかも知れんが、俺としては五代がいるからこそ!なんだがな!? それに……そんなに俺と付き合ってるのがバレたくないのか、荒木羽理! 土恵は社内恋愛には相当寛大だぞ!?)
などと思っている大葉を置き去りにして、羽理がソワソワと言い訳を開始してしまう。
「あ、あのね、五代くん。……ぶ、部長とは……そのっ、えっと、……そう! し、仕事のことで視察に来てるの!」
羽理は懸命に大葉から距離をあけようともがきつつ、目の前のチャラ男にそう言ってから、すぐそばに立つ大葉を非難がましく見上げてくる。
その目は明らかに『手、離して下さい』と訴えてきていたが、大葉はわざと気付かないふりをした。
その徹底ぶりに観念したのだろう。
羽理が、小さく吐息を落とすなりスッと手の力を抜くと、「屋久蓑部長、彼は私が教育係をした後輩で、現在は営業課に配属されている五代懇乃介くんと言います」と紹介してくれた。
(羽理が教育係をしていた後輩……?)
――だからやたらと懐いているのか。
そう思いはしたものの、どうにも納得がいかない。
そもそも、自分にも後輩は沢山いたし、もちろん若い頃には教育係をして育てた輩だって何人もいた。
だが、こんなに尻尾をブンブン振って懐いてきた人間は一人もいなかったのだ。
(まぁ……人柄ってのもあるんだろうが)
実際、自分が五代の立場でも羽理になら懐いたかも知れない。
対して、自分は後輩たちを決して必要以上に可愛がった覚えはないし、それこそあえて事務的に必要なことのみ伝えるようにしていた。
(懐かれたくないってオーラを出してたんだ。媚びてくるやつなんざ、いるわけねぇか)
そう思って、自分で自分を納得させようとしていると言うのに――。
「え!? ここって……生鮮食品の扱いなんてありましたっけ?」
なんて、目の前の五代が間の抜けた声を出してくるから、『こいつ、営業の癖に本気でそんなバカなこと言ってんのか?』と驚いた。
「あっ」
その瞬間、自分の腕の中から逃れるのを諦めたとばかり思っていた羽理に、まるで大葉の手から力が抜けるのを見計らっていたかのようなタイミングですり抜けられてしまう。
(この薄情者!)
手を解放されるなり、上司と部下としての適切な距離感を保ちたいみたいに大葉からスススッと離れた羽理に、そう思わずにはいられない。
だからだ。
悔しまぎれにも(手塩にかけて可愛がってもこの程度のレベルにしかなんねぇとか。ホントやり甲斐がねぇな、荒木羽理よ)とか思って、自分を慰めてみたのは。
それに――。
五代に死ぬほど苦しい言い訳をしている羽理だって、化粧品売り場でファンデーション片手にそんなことを言っている時点で、相当無理があるではないか。
(生鮮食品はあっちの方ですよ、荒木さん♪)
そんなあれやらこれやらを忙しなく考えながら意地悪く生鮮食品売り場の方を指さした大葉に、羽理が、『分かってます! 分かってますけど……ごり押しで誤魔化すしかないじゃないですかぁっ!』と口パクで懸命に訴えてくる……。
「うっ」
そのやや釣り気味の潤んだ目に一瞬で心を奪われてしまった大葉だ。
(くそぅ! 困り顔の羽理、めちゃくちゃ可愛いじゃねぇかっ!)
惚れた弱みというべきか。オロオロする羽理の様子に、大葉は愛する彼女のため、一肌脱いでやらねば!という方向へ、ぐらりと天秤を傾けた。
「営業のくせに知らないのか。ドラッグストアにも最近は生鮮コーナーがある」
――しかも下手したらスーパーより安い、と心の中で付け加えつつ。
(卵とか牛乳とかお買い得品も多いからな)
などと、ついつい主夫目線でものを考えてしまった大葉だ。
「マジですか」
「ああ、大マジだ。嘘だと思うならキミも後で見てみるといい。――案外近所のスーパーより安い食材とかあるぞ」
(おすすめは卵や牛乳だが、そこまでは教えてやらん)
「へぇー。俺、料理しないんであんま関係ないっすけど……」
そこでちらりと羽理に熱い視線を送った懇乃介が、「けど……彼女が出来た時、飯作ってもらう際の参考にさせてもらいます!」とにこやかに笑う。
(残念だったな。そいつは食うの専門だぞ?)
その視線が憎たらしく感じられて、つい心の中で悪態をついた大葉だ。
「うん、うん。そうするといいよぉ~。前に仁子が卵とか牛乳なんかがお買い得だって話してたから。――参考にして?」
(バカっ! あえて伝えなかった機密情報を簡単にバラすな、荒木羽理!)
大葉が羽理を恨みがましい目で見詰めたと同時。