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ガラリと何の声もなく保健室の扉が開く。
保健日誌をデータ入力するのをやめて顔を上げ、保健室入るときはまず失礼しますだろ、と言いかけたら。
「やっほ〜、吉田せーんせ」
ふらりと入ってきたのは生徒ではなく、同僚の小笠原先生だった。
「小笠原先生お疲れ様です。どうかしましたか?」
自分の授業がない時、暇さえあれば休憩室でのんべんだらりとゲームをやっているはず(本来なら絶対ダメ)の小笠原先生は、保健室の丸いテーブルに行儀悪く腰掛けてえへへーと笑う。
「いやぁね、吉田先生とうちの生徒について情報交換しようかなーと思いまして」
「それはまた珍…いや、ご苦労様です」
「…吉田先生、今珍しいっていいかけました?」
「まっさかー!ド新人のボクが先輩にそんなこと言うわけないじゃないですかぁ」
「先輩って思われてる気しないんだけど」
まぁそれはいつものことだから置いといてー。小笠原先生は仕切り直すように言って、保健室内を眺めながら切り出した。
「うちの佐野くんの話なんですけどね」
「あぁあぁあぁ」
思い当たる点がありすぎて俺は腕組みしながら力強く頷く。それに薄々そうだろうなぁとも思っていたし。
「遅刻も多いですしね、佐野くん」
「もうほんとしょうがない子だよ。あなたからも言ってやってよー、仁ちゃん?」
突然小笠原先生の口から飛び出した呼び名に驚きながら、そのニヤニヤしている顔を見上げる。
「は!?なんで小笠原先生まで」
「佐野くん、仁ちゃんにメロメロみたいだからさぁ」
「め」
めろめろて…なに言ってんだこの人は。
「見てればわかりますよそんなことー。これでもあの子の担任のセンセイだからね」
「いやいや、勝手に分かられても」
手をブンブン振り回して否定する。なに言ってんだこの人は本当に。あり得ないことをさらっと言う、こういう所がこの人は掴みきれない。
「でも、あの子にとっていい変化なんだよ」
「…いい変化?」
毎日のように授業ほっぽりだして保健室にサボりにくるのが?声には出さなかったが顔に丸々出ていたようで、小笠原先生はあははと笑った。
「そりゃ授業出ないのはまずいけど、佐野くん、前は授業どころか登校さえほとんどしてなかったんだよ」
「へ?そうなんですか?」
俺は保健日誌に目を通す。よく遅刻はしているが、今年度は今のところ欠席はそれほどしていない生徒だったため意外だった。欠席で気になるのは3ーEの中では山中くんぐらいだ。
「そう。あの子家が大変みたいだからそれも理由のひとつなんだけどね。1、2年の時は進級危ないくらいだったの」
「そんなに…」
「それになんか可愛くなかったんだよねぇ」
小笠原先生は昔を思い出すように天井を見上げる。
「1年の頃からの持ち上がりだからまぁかれこれ3年くらいの付き合いなんだ。顔はカッコイイしクラスにぎやかにしてくれるしいい子なんだけど、なんか違和感があってね」
「違和感、ですか?」
「そ。あの子どっかで演じてんの。明るくて賑やかなムードメーカーを」
「!」
小笠原先生の言葉にはっとする。
思い出すのは、俺が何気なくかけた声に戸惑ったような表情で振り返る彼の顔。
「でも吉田先生が来てから違うんだよねー」
朝の出来事を思い出していると、そんな俺を見ながら小笠原先生はまた口を開く。
「え?」
「なんかねー、ちゃんと子どもらしくいれてる気がする」
子どもらしく…
彼は、子どもらしくいられないような、そんな環境にいるのか。
「たぶん佐野くんはそれすっごい嫌なんだろうけどね。彼、誰より早く大人になりたがってるフシがあるから。でもさ」
必要なのよ、子どもが子どもらしくいられる場所って。
小笠原先生はそう言うと、また天井を見上げる。
『カイセンって生徒に全然キョーミないんじゃね?』
朝の保健室のソファでぼやいていた彼。
あの時はちゃんと言い返すことができなかったけれど、違う。
違うよ、佐野。小笠原先生はちゃんと見てるよ。もしかしたら君自身よりも、もっと深くまで見えてるかもしれない。
「…いい、先生ですよね、小笠原先生って」
「んー、どーでもいいんだけどねー」
本気でどうでもよさそうに言う小笠原先生にがくりと肩を落とす。やっぱこの人掴めないわ。
「まぁ。とりあえずこれからもよろしくお願いしますよ、佐野くんのこと」
腰掛けていたテーブルからよいしょと立ち上がり、小笠原先生は首を傾けてみせた後、来た時と同じようにふらりと保健室から出ていった。
掴めない人だ。何がしたいのかも何を考えているのかも謎。けれど、いい先生だなぁとやっぱり思う。目標にしたいとも。
そんな変な感傷に浸っているとまた扉が開き、現れたのは話題に上がっていた佐野だった。
「おわぁタイムリー!」
「んだよその第一声」
俺の上げた声に顔をしかめつつ、佐野は扉に手をかけたままの格好で廊下の向こう側を気にしている。あぁ、小笠原先生が出ていくところ見てたのかな?
「……なに話してたの、カイセンと」
どうやら予想通りだったようで、何故だか不機嫌な顔で佐野に聞かれくっくっと笑みがこぼれる。
「いぃやぁ~、別にぃー?」
「…………んだよ、腹立つなぁ」
佐野はぶすっと唇を尖らせてテーブルに鞄を放り投げ、定位置と化したけが人用のソファにぼすりと腰を下ろす。
そんな佐野の子どもっぽい態度に笑いながら、俺はまた、保健日誌の入力を再開した。
next…
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