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「それで……、なんで私に、これを?」
「待っとうせ………」
「うん? おぉ、妹が世話になった礼だとよ」
その後、店先のウッドデッキには、仲良く肩を並べて座る私たち三名の姿があった。
真新しい漬物樽を抱えた私を中心に、件の女性と通訳係の史さんが、それぞれ両サイドに陣取っている。
傍目に見ても、それは相当にパンチのきいた絵面だったと思う。
だいたい、なぜ私を真ん中に据える必要があったのか。
この場所をはやく立ち去りたいと思ったのは、これが初めてだった。
それにしても………
「妹………? あなたの妹さんですか?」
「待っとうせ………」
「お世話をした覚えはないんですけど………」
我ながら、私も肝が据わったものだと思う。
あの頃の私がいまの状況を見れば、きっと半泣きになるに違いない。
いまも半泣きだけど。
「ハレとケ……、連理木か?」
「待っとうせ………」
「妹が“ケ”で、お前さんが“ハレ”ってこったな?」
「待っとうせ………」
むしろ、後先を考えず突っ走れたあの頃のほうが、かえって根性はあったかも知れない。
年齢と共に、どこか臆病になってしまうのは人間の性か。
いつの間にか、石橋をしっかりと叩いて渡る癖が染みついた。
「そいで? なんで今ごろ現れた?」
「待っとうせ………」
「なんだって………?」
「ん、おぉ。 “呼ばれた気がした”ってよ」
いえ呼んでないですと、ただちに応じそうになったけど、気を悪くされても困るので、黙っておく。
いくつか気になる点があった。
「連理木って言った?」
「あぁ。 ほれ、神木なんかであるだろ? もとは二本の木が」
「一本にくっついたりしてるヤツだよね?」
その連理木の根っ子から創り出されたのが、彼女たちハレとケの姉妹という事だろうか。
友人が言った“神聖な儀式”について、何となく合点がいった。
ハレとケの観念は、私たち日本人の生活様式に根差した考え方である。
“ハレ”すなわち非日常の祭があって、“ケ”すなわち日常の俗がある。
この場合の非日常とは、正月や祭禮、結婚式などに代表される、おめでたい出来事を差す。
日常はそのまま、我々が普段おくる日常生活のことだ。
つまるところ、私たちの暮らしは、もっと広い見方をすれば一生は、ハレとケによって成り立っていると。
「あの辺り、尾羽出のほうに、集落とかあったのかな? むかし」
「ん? そりゃ、あったのかも知んねぇな」
ペコペコと何度も頭を下げながら、軽やかな足取りで帰路につく女性を見送っていた時のこと。 私は、ふとそんな考えを浮かべた。
人々の営みが、今ほど複雑ではなく、もっとシンプルで平《たい》らかだった時代。
あるいは、そうした時代背景に彩られた土地で、彼女たちは生まれたのではないか。
身内や縁者が、恙なく生活を送れるように。
かつて、あの山にあったかも知れない集落の、守り神として。
「お前さん、なに泣いてる……?」
「………史さんは、あの頃───っ」
「おぉ、大丈夫か? なんか飲み物」
自然と口を衝きそうになった言葉を、無理に引き止めた所為か、激しく咳き込んだ。
即座に気遣ってくれた彼が、駆け足で店内へ向かう。
その背中をぼんやり眺めていると、何やら視野に違和感があることに気づいた。
光が妙な角度でチラついている。
眼鏡を外して確認すると、レンズにクモの巣のようなヒビが入っていた。
いつの間に割ったのか。
ものを大切にすること。 それもひとつの“ケ”に属する習慣だろう。
あの山道で、逆立ち女もとい彼女の妹が、私たちを鬼の形相で追い立てたのは、現代人に対する警告だったのかも知れない。
「落ち着いたか?」
「史さん、あの頃どういう状態だったの?」
「あん?」
手渡された飲料で喉を湿した私は、先ほど頓挫した話題を、今度は迷うことなく持ち出した。
流れゆく時間の中で、現在は、今この時しかない。
そんな日常を大切にすることは、自分の人生を大切にすることだよと、あの女が耳元で囁いた気がした。
「………リソースを全部あっちにやってた感じだな。 端的に言やぁ」
質問の意味を悟った様子の彼は、ただちに核心に触れた。
概ね予想した通りだけど、それは余りに
「1200年も……?」
「まぁ、大体そんなもんか」
「辛くなかったの?」
「あぁ」
彼の横顔に、後悔や悲哀の色は浮かんでいなかった。
けれど私は、それ以上なにも言えなかった。
申し訳ない質問をしてしまったという罪悪感と、彼に対するほんの少しの非難。
それらが、胸中で複雑に絡み合った結果か。
あるいは、もっと単純に
「あんまし泣くなよ」
「うん………」
顔を上げて、見慣れた町並みに目を向ける。
滲んだ外灯の明かりが、やけに眩しく感じられた。
堪えきれず、目を閉じる。
あの夏の光景が、ありありと思い起こされた。
彼ら父娘の過去に纏わる、切ない出来事。
否応なく、それを観ることになったあの夏の記憶が。