門から突き出された巨大な腕がウルゼンを捕まえる。不気味な黒い腕は、肌のひび割れた隙間を赤黒く輝かせ、溶岩を想起させた。
「ま、待ってください、大賢者様! 魔物を操ることができれば、確実に平和な世界がもたらされるんですよ!? 我々魔導師や、冒険者、ひいては国が抱える騎士たちも、武器を手に戦場へ立つ必要がなくなるんです! 誰もが安全に傷つかず、あの厄介者共を駆逐するんです! このような技術を完成させずして未来の発展などありえません!! なぜ、どうしてそれがあなたには分からないのですか!」
懇願と説得の混ざった悲痛な叫びにヒルデガルドは動じない。どこまでも美しい金糸雀色の瞳が、ただ悲しそうに彼を映して──。
「ただの自己満足だよ、それは。君が作ろうとしているのは人類の未来などではない。ただ命を軽視した先にある、平和の形を偽った生物兵器に過ぎん。自らを犠牲にもできない脆弱な魔導師風情が、正論ぶって人類の未来を語るな」
腕が彼をゆっくり引きずり込んでいく。助けてくれと騒ぐ悲嘆に満ちた声を聞き届ける者は誰もいない。やがて暗闇の中へ消えると、門は勢いよく閉じられ、砂の城が風に吹かれたように崩れていった。
「ヒ、ヒルデガルド。あの、ボク、今の初めて見たんだけど」
顔を青ざめさせるイーリスに申し訳なさそうに頬を掻く。
「……あまり見せるようなものでもないが」
「正直、かなり怖かったわよね。何、今の?」
カトリナも気丈に振舞ってはいるが足が震えていた。
「禁忌指定は知っているか? 本来、必要と断じた場合以外では決して扱ってはならないと決められた魔法のことだが、今回はああするほかになかった。もう少し研究が進めば、こんな魔法も必要のない時代はくるのだろうが……」
ウルゼン・マリスがいくらヒルデガルドの足下に及ばないとしても、魔導師としての実力は侮れない。他人の魔力を封じるような魔道具も、現在は研究が進められているが完成には遠く、今は禁忌指定された魔法に頼るほかなかった。
「あれは特殊な空間に引きずり込んで閉じ込めておく牢獄でな。何も見えず、何も聞こえず、しかし意識と肉体の感覚はある。昔は凶悪な罪人を捕えておくのに良いと言われたが、精神崩壊を起こした者が多くて禁忌指定にされたんだ。時間の流れも分からないから、とても早い段階で発狂した者もいたそうだ」
額から、ひと筋の汗が頬を伝う。
「ま、死んだわけじゃない。出て来た時に狂っていようが、それは奴が今まで重ねてきた罪の清算でしかない。考えるべきはこれからのことだ」
身体がぐらつくのを、駆け寄ったアーネストが支える。
「大丈夫か、ヒルデガルド? 顔色が悪いぞ」
「ああ、少し魔力を使い過ぎて疲れが出ただけだ、問題ない」
深呼吸をして、体内の乱れた魔力の流れを安定させる。瞬時に放出した魔力の量が多すぎたせいで青くなっていた表情も、すぐに温かみを取り戻す。
「さて、下で随分と騒ぎが起きているから、そろそろ魔導師たちが来るだろう。証拠もあるし、そこで気を失っているウルゼンの駒に自白でもさせて、魔塔から追放する準備を進めておかなければな。イーリス、それはプリスコット卿に渡せ」
証拠品をアーネストに渡しておけば、あとは彼がすべて処理してくれる。影響力も大きく、魔塔内部で起きている事実に反発的な声もあがるだろうが、それは一時的なもので、誰が管理するかで納得させられれば良い。
ヒルデガルドは懐から一枚の畳んだ羊皮紙を取り出す。
「ここへ来る前に用意しておいた、魔塔を管理する私の後継者を指名してある。私の直筆だし魔力の込めたインクを使っているから、鑑定してもらっても問題ない。私の遺品から見つかったものだとでも言えばいいだろう」
くるっと振り返り、カトリナに微笑みかける。
「大賢者ヒルデガルド・イェンネマンは、魔塔の主として、ここにカトリナ・セルキアを指名する。──あとは頼んだぞ、魔塔主殿」
「……えっ!? なに、本当に言ってるの!?」
驚きすぎて、現実を受け止めきれない。がっしり肩を掴んでヒルデガルドに正気かと問いながらぶんぶん振り、「正気だ、正気。吐き気がするからやめろ」とヒルデガルドに怒られて、手を止め、謝ってから落ち着こうと胸をなでおろす。
「良かったね、カトリナさん。魔塔主だって!」
「う、うん……。でもアタシに務まるかしら……?」
「できるよ! だってヒルデガルドが指名したんだからね!」
イーリスに励まされて、照れくさそうに視線をヒルデガルドに向け、頬を掻きながら「じゃ、じゃあ、アタシで良ければ引き受けるわ」と返事をする。
「良い返事だ。あとはプリスコット卿と魔塔主殿に任せて……私たちは帰るとしよう、イーリス」
「わかった。でもどうやって帰るの?」
階下では騒がしさが増している。塔の一部が崩れたことでがれきの撤去などもあって、まだ少しだけ登ってくるのには時間があった。ヒルデガルドは、指先で何かをつまむような仕草をしながら、まっすぐ腕を下ろした。
「……え。自力でポータルを開けるの、ヒルデガルド?」
信じられない、とイーリスが目を見開く。ポータルを開くのは簡単なことではない。座標との空間を繋ぐ魔力の消費はさほどではないが、しかし正確に魔力の量を調節して維持を続ける必要があるため、ほんの僅かな乱れでも閉じてしまう。
飛び込む際に巻き込まれれば、肉体が切り離される大事故にも繋がるが、彼女はまったく平気そうに開き続けていて、カトリナもアーネストも、そんなことが一人の人間に可能なのか、と驚きを隠せなかった。
「では行こう。二人共、機会があればまた会おう」
「元気でね! 二人の活躍が記事になるの、待ってるよ!」
ポータルの向こうへ消えていった彼女たちを沈黙で見送る。駆けつけてくる魔導師たちの声に、カトリナはぐっと背伸びをした。
「さて。任された仕事しましょっか」
アーネストはやれやれと疲れた笑いを浮かべる。
「ああ、忙しくなりそうだ」
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