穏やかな風。綺麗な空気。豊かな自然。「やっぱりここに建てて正解だったな。」と思った。
「お父さん、お父さんみて!」と息子が言い寄り、クワガタを掴んで見せてきた。
「おお!すごいじゃないかハヤテ!」と私はたった一人の息子を褒めた。そしてそのクワガタを虫かごに入れて、家へ帰った。
自然いっぱいの丘にぽつんと建つ山小屋。先月ここに引っ越して来た。とても良い場所だ。窓からは美しい景色が見られて、日当たりもいいし、どれだけ探しても、ここ程の土地は見つからないだろう。
ハヤテが虫かごを見ながら、「これ、お母さん見せてあげたかったな…」と少し切なげに言った。「大丈夫、きっと見ているよ。」私は勇気づけるように言った。
「そう…だよね!きっと…」
私達はもとは3人家族だった。妻、ハヤテ、そして私。今では5歳になったハヤテも昔は小さい赤ちゃんだった。私は妻と二人で、ハヤテを育ていた。
そんなある日、妻は、明日にせまったハヤテの4歳の誕生日のためにケーキを買おうと出かけた。私はその時、ハヤテと一緒に家で遊んでいた。
「ハヤテ、誕生日プレゼント何がいい?」 「うーん…あ!あのね、こんな所に住みたい!」と言うと、絵本の中にある広く続く草原を指差した。「いやぁ…そこかぁ…少し考えてみようかなぁ」と私は冗談混じりで言った。しかしハヤテは本気にしてしまったみたいで、そこでどんな事をしようか考えていた。
「お母さんにも相談しよう!お父さん!」 「ハハハ!そうするか!」
―妻はいつになっても帰って来なかった。
「帰ってくる途中、事故に巻き込まれてしまった」という事実を突然突きつけられた。妻は死んだのだ。私は悲しみに暮れた。息子は何が起こったかも分からず、混乱していた。「ねえ、お母さんいつになったら帰って来るの?お父さん?ねえってば!!」
私はその時、物事をよく考えられなかったが、それだけは考えなければいけなかった。この事を4歳の息子にどう伝えるか…
「お母さんはね…死んじゃったんだよ。」 嘘はつけなかったし、ついてはいけない気がした。それを言った瞬間息子は、「やっぱり……」と言った。
息子は何かを察していたのかもしれない。時に子どもは大人に負けない程、賢い時がある。
私はこの子を育てなければならない。私がいつまでも泣いていたら何も変わらない。私は決意した。妻の分まで…
そして私達は、ハヤテが住みたいと言ったような自然に囲まれた場所に越して来た。
明日はハヤテの5歳の誕生日だ。あの日からもう一年たってしまったと思うと、早かったような気がした。
「ハヤテ、誕生日プレゼントは何がいい?」 「あのね、森の中を探検したい!」
どうやらハヤテは、「やりたい事リスト」を作ったみたいだったから、それの一つなのだろう。
「分かった、じゃあ明日行こうか。」と息子と約束を交わした。
翌日、準備は万全、天気は良好。私達は近くの森へ出かけた。
そこは正に自然の宝庫だった。蝶がヒラヒラと舞い、緑が青空の中でかすかに輝いていた。息子はすっかり夢中で、全身全霊でこの世の全てに触れているようだった。きっと何もかもが新鮮に思えたのだろう。木々のささやきがとても心地よく、どんどん森の奥へ進んでいった。どこまでも続く緑は美しく広がっていた。息子もとても楽しそうだった。
しかしずっと進んでいると、ある物に直面した。
「お父さん、何…これ?」
それは木々よりも高い『壁』だった。ある所を境に、一続きに続いていた。なぜ森の中にこんな物があるのか、全くもってわからなかった。
「いいか、この壁の向こうには絶対に行ってはいけないんだぞ。」
なぜ?私はなぜか分からないのにその言葉が自然に出た。自分も向こう側に何があるかなんて知らないのに。
「そうなんだ。うん、分かった。」 息子は言った。
どうしてだ?自分で自分が分からなかった。考えないようにしておいた。
気づけば青空は橙色の空へと変わり、そろそろ帰ろうと言い、家路についた。
今日の不可解な出来事が忘れられず、眠りについた。
朝、眠りから覚め、息子を起こしに行った。
しかし、ハヤテがどこにも見当たらなかった。家、丘、野原、どこを探してもいない。
―なぜか頭の中にあの『壁』が思い浮かんだ。昨日の森へと急いだ。
緑の中を颯爽とかけて行った。我が子は一体どこへ…?心配でたまらなかった。とにかく急いだ。
昨日の壁に着いた。そこにはハシゴが掛かっていた。ハヤテが持って行けるようなサイズではなかったが、脚に車が付いていたから、押して運んだのだろう。
私も登ってみようと思った。この先が見たくなった。息子が心配だった。
―自分はこの先に行くべき人間なのではないか
なぜかそう思えた。
ハシゴの一つ一つに手をかけ、足をかけ、登った。ついにこの謎の壁の向こう側を見た。
そこは― どこか見覚えのある大河だった。
私はこの川を知っている… これは確実だ。しかし思い出せない。
その川の手前に誰かが佇んでいた。
私は思い切って声をかけた。
「あの…すみません…ここで5歳くらいの子供を見ませんでしたか?」
川辺の女は答えた。
「ああ、さっきそこにいたよ…ってアンタ、『残留人《ざんりゅうにん》』じゃないかい?そうよね?」
残留人?何を言っているんだ、この女。
「そうか、アンタ何もかも忘れちまっているタチか。驚くなよ、アンタ…死んでるよ。」
OVER 第一章 『壁』 完
コメント
2件
いいねありがとうございます😭
読んで頂きありがとうございます これから頑張って書きますので見ていただければ幸いです