テラーノベル
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古い鞄は祖母の形見だった。
必要な物だけを詰める。
詰めながら必要な物があまり多くはない事に気づく。
「ふふっ私の17年って《《これくらい》》だったんだ」
諦めてしまったら思ったよりもすんなり心は受け入れて、一層清々しい程にスッキリしている。
荷物も心も軽い。
「お嬢様」
「お待たせ、あなたもそれだけ?」
「はい」
「じゃあ行きましょう」
侍女のセリナはいつも控えめにナーシャの後ろを歩いていた。けれど今日はナーシャが手を差し出す。
「お嬢様、いけません」
「どうして?今日から私達はお互いを支え合うんでしょう?」
ナーシャの言葉にセリナはフッと笑った。
本当はそうではないけれど、でも今はそう思うほうが、ナーシャの為には良いとセリナは判断した。
一歩二歩、セリナがいつもより前に出るとナーシャと並ぶ。
「さぁ行きましょう」
再びナーシャが手を差し出す。
その手を今度はセリナも握り返した。
今日この家の者は皆出かけている。
ナーシャは堂々と侯爵家の|表《おもて》玄関から家を出る、逃げるのではないから。
一度振り返り、振り返ったまま軽く会釈をする。いつもなら失礼な所作だと絶対にしないが、この家には充分だとナーシャは思う。
「払う敬意はもうないわ」
「さぁ行きましょう」
今度はセリナが同じ言葉をかける。
頷くナーシャの顔には、希望が眩しく見える。
先週まで、その表情には諦めしか映っていなかった。
馬車には乗らない。
この家の物には、これ以上指先ほども触れたくない。
手を繋いだ二人は、徒歩では少し長く感じる侯爵家の門までの道を、笑顔でゆっくりと歩く。
「お嬢様、お出かけですか?馬車は?」
「いつもお仕事お疲れ様。馬車は大丈夫よ、気遣ってくれてありがとう」
門番に気遣いの声をかけられて、ナーシャはその優しさに感謝しつつ返答してからセリナと二人で門を出る。ナーシャに気遣いを見せるのは、もう門番くらいしか居なかったのだと自嘲した。
そんな憂いも今日でお終い。
「さぁ、セリナ。辻馬車乗り場まで早く行かなきゃ日が暮れてしまうわね」
「お嬢様、あちらにお迎えが」
「えっ?」
セリナが自分の鞄ごと示す方向に、紋のない馬車が停車している。
ナーシャに内緒にするのは|侯爵家《ここ》を出るまでの約束。もう出たのだから秘密にする必要はない。
セリナは鞄を地面に置き、ナーシャと繋いだ手を一度両手で包むようにしてから、やんわりと離した。
それから鞄を手に取り、一歩二歩下がる。
立ち尽くすナーシャの目は、馬車に釘付けになっていた。
程なく馬車の扉がゆっくりと開いて、中からは懐かしい人が現れた。
「ナーシャ、迎えに来たよ」
「⋯⋯ジェスト様」
持っていた祖母の|鞄《形見》は、驚きから思わず手より滑り落ちたが、難なくセリナが受け止めた。
セリナが顔を上げた時、すでにナーシャはジェストの胸に飛び込んでいた。
包容する二人にセリナはゆっくりと近づく。
「デリス卿、急ぎませんと」
再会を喜ぶ二人にセリナが釘を刺すと、ジェストはハッと我に返り、ナーシャを抱き上げて馬車へと乗り込んだ。
その後ろにセリナも続く。
バタン
御者は急いで扉を閉める。
御者席には、二人乗り合わせている。
長い道のりを進む為の交代要員だ。
3人を乗せた馬車を見送ったのは、侯爵家の勤勉で優しい門番だけ。
だが門番の仕事は門を護ることのみ。
門の外の報告をする義務も必要もないと、走り去る馬車を見送りながら、そっと心の中で呟いた。
(お嬢様、お幸せに)
コメント
3件
第1話、読ませていただきました。 「私の17年ってこれくらいだったんだ」という一文に、胸がぎゅっとなりました。必要なものだけを詰めた鞄の軽さが、そのまま彼女の心の軽さにも重なっていて、静かな決意が伝わってくるようでした。 セリナがナーシャの手を握り返す場面も好きです。主従ではなく、これから支え合う二人として並んで歩く——その距離感の変化が、何よりも温かく感じられました。ジェスト様の登場で一気に希望が広がるラストも素敵です。続きが気になります!