「良かった。来てくれて」
彼は、こんな状況なのに微笑んでいる。
「私が来ないとは思わなかったんですか?」
「キミなら来てくれると思ってました。会えて良かった」
このあと、どうすればいいのだろう。
「私はあなたと友達になる気も、今後、関るつもりもありません」
こういう時は、はっきりと言った方が良い。
「俺はキミと今後も関っていきたいと思っています」
この人、本当に変な人。
こんなに断わっているのに。
「自己紹介していませんでした。すみません。俺、キミが考えていそうな詐欺師とかじゃないです。不審に思っているのなら、名刺を渡します」
彼はカバンから名刺を出し、私に見せた。
まだ彼のことを信用できない私は
「架空の会社ってことも……」
そんなことを呟いてしまったが、会社名と彼の名前を見て、言葉が止まる。
「朝霧商事……。人事部 部長 朝霧皇成(あさぎりこうせい)……」
先日の女性社員の言葉が脳裏をよぎる。
イケメンの部長が異動してくること、そして会長の子息なのではないかという噂があること……。
この人ってもしかして、今度私の上司になる人!?
目が点で何も言えない私に
「俺は仕事とプライベートは分けたい主義なんです。今はプライベートだから、和倉さんじゃなくて、芽衣さんって呼んでもいいですか?」
ニコッと笑う彼に、鳥肌が立つ。
私の名前、知っている。いつから?
ゾワゾワする恐怖を覚えるも
「なんか寒くなってきました。濡れちゃったからかな。どこかでお茶でも飲みませんか?ああ、でもこんなに濡れているから、カフェとかお店には入れないですよね。どうしましょう?」
朝霧部長が、自分の役職を私に伝えた途端に強気になった気がするのは、気のせいだろうか。
濡れてしまったのは私のせいだという風に聞こえてしまう。
「申し訳ございません。あの、私の家で良ければ、寄っていきませんか?」
朝霧部長は私のことを知っていて、それでも声をかけてきた。何が目的なのかわからないが、今、部長に目をつけられて、急に会社をクビにされても困る。
プライベートは分けるとか言っているけれど、結局は従うしかない。
「良いんですか?嬉しいです。お邪魔します」
朝霧部長はニコッと笑い、遠慮する素振りもなかった。
男の人を部屋に入れたのは、初めてだ。
そもそも彼氏がいたことがない。
もっと片付けておけば良かった。
小さな1Rの部屋に朝霧部長を招く。
「お邪魔します。でも、結局、俺が部屋に入ったら、濡れちゃいますよね」
結局部長は玄関先から部屋に入ってこようとしない。
「ああ、えっと。着替え、私ので良かったら。大きめなジャージがあるので。部長は背が高いので、丈が足りないかもしれませんが。ちょっと待っててください」
私は大きめな上下セットのジャージを朝霧部長に渡した。
「お風呂、こっちなので。もし身体が冷えているようであれば、シャワーとか使ってください。タオル、ここに置いておきます」
私のせいで風邪をひいたと言われても困る。
お風呂場は掃除したばかりだから、たぶん見られても大丈夫。よっぽど潔癖じゃなければ。
「ありがとうございます」
部長はお風呂場へ行き、扉を締めた。
水の音がするから、シャワーを浴びているんだろう。
しばらくすると
「温まりました。ドライヤー勝手に借りました。すみません」
朝霧部長が着替えてリビングへ現れた。
私の服を着ているのを見ると、変な感じだ。
「濡れちゃった服、良ければ洗濯をするので渡してください。ご自分で持ち帰るのであれば、袋とか渡します」
洗濯とかこだわりあるのかな。
朝霧部長は私の提案に
「お願いします。芽衣さんとまた会える口実ができました」
フフっと微笑んでいる。
乾燥までして完璧な状態で返却しなければ。返す時にシワとかあったら、怒られるかな。
クリーニングに出した方がいいよね、きっと。
「部長、コーヒーで良いですか?」
「はい、ありがとうございます。俺も手伝えることがあれば……」
「いえ。座っていてください」
どうやって部長に早く帰ってもらおう。
うーん、というか、部長の話をまともに聞かなきゃ。
部長の前にコーヒーを置き、すぅと息を吐く。
「部長はどうして私の名前を知っていたり、友達になろうなんて言うんですか?」
話を終わらせたい。
私の問いかけにしばらく彼は無言だった。
しかし
「猫カフェで伝えたことは嘘じゃありません。俺、ネコに見せる、芽衣さんの顔がとても好きで。芽衣さんは俺の存在なんて知らなかったと思うんですが、俺は会うたびに気になっていました。そしたら偶然、父の会社に勤めることになりまして。部長になる前に、社内を見学していたら、芽衣さんが勤めていることがわかって。社員名簿を会社で見ました」
後半は理解ができるが、前半が理解できない。
私のことを本気で可愛いって言ってくれた人なんて、今までいない。
朝霧部長は目が悪いの?
「私のことを可愛いって真面目に言ってますか?」
「はい」
即答だ。
嘘だろう、なんて直接的に言えない。
どうしよう。
「芽衣さん、改めて言います。俺と友達になってください」
朝霧部長と目が合う。表情は真剣だ。