真夜中。
そのタクシーは、山間の寒村へ客を乗せた帰りだった。
二万の現金支払いの良い客だったが、街灯のほとんどない帰り道は少々憂鬱だった。
山の中だからだろうか、ラジオもろくに入らない。
カーナビをテレビに切り替えてもまともに映らない。
さすがに無音で車を走らせる勇気はなく、スマホの中に入れている曲を流しながら車を走らせた。
暗くて走りにくい嫌な道だと思った。
対向車は無いし、当然、後続車両も無い。
暗い道を延々と一台のタクシーは駆け抜ける。
「……え」
運転手は前方に人の姿を見つけ、自然と声が出てしまった。
そして、その横を通りすぎる。
「今……」
見てはいけないものを見たような気がした。
路肩を歩いていたのは一人の男性、だっと思う。
その男性は何かを引き摺っていた。
(どうする…)
そう思って、車を止めた。
(どうする…)
ただ、出て行く気にはならなかった。
運転手が見たものが間違いでなければ、男が引き摺っていたのは女性だ。
しかも、男性は女性の足を掴んで引きずっていた…ように見えた。
女性はうつ伏せ、だっただろうか。
(どうする…)
スマホを見て、圏外じゃないことを確認すると意を決して車から降りた。
このとき、先に警察に連絡しておけば、未来は変わっていたかもしれない。
心臓が早鐘を打っているのがわかる。
嫌な汗が額に浮かび、スマホの灯りが実に頼りなく感じた。
鳥も虫も鳴かない静かで暗い夜道に、ズルッ…ズルッ…と何かを引きずる音がする。
前から、ゆっくりと男性がやってきた。
上下黒い服を着て、左手で女性の足を持ち、右手には真っ赤な血糊の付いた鉈を持っていた。
運転手の存在に気がつくと、男性は足を止める。
「おや、こんな夜更けに……」
少し意外そうな表情を作ったその顔は、白磁のように真っ白で異様だった。
「こんばんは、良い夜ですね」
そう言ってゆっくりと近づいて来る男性。
「く、来るな!!け、警察に連絡するぞ!!」
運転手が110番を押そうと、視線をスマホの画面に向けた瞬間、男性は手に持っていた鉈を振り下ろした。
「え……」
手首ごと切り落とされ、アスファルトに落ちるスマホ。
「あ、あ、ああああああ!!!!」
断面から吹き出す鮮血。
「手が!手が!俺の手が!!!」
運転手は切られた部分を押さえて、低く呻く。
切り落とされた手を拾い上げた男性を見ると、綺麗に整った顔立ちの彼は闇夜よりも黒い瞳で運転手の姿を見つめていた。
その形の良い唇に薄っすらと笑みを浮かべて。
「ヒッ、ヒィッ…」
反射的に逃げ出そうと背中を向けた運転手に、鉈は振り下ろされる。
翌朝、駅前のロータリーに停まったタクシーの車内から頭を鉈でかち割られた運転手と後部座席に顔の擦り減った女性の遺体が見つかった―――。
コメント
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実によく切れる鉈である。