好きな人ができました。
背が高く、黒髪がよく似合う素敵な男性。
憂いを帯びたような黒い瞳が何よりも印象的で。
私は、いつしか彼を追いかけるようになっていました。
彼はいつもふらりと駅前の公園に現れて、しばし行き交う人を見つめています。
その間、特別何をするわけでもないけれど、その横顔はとても綺麗でした。
夕方、公園を後にして向かうのは駅裏にある寂れた喫茶店。
初老の男性が経営する喫茶店で、珈琲が美味しいと噂のお店。
そこで彼は、珈琲とたまにケーキを一緒に頼みます。
甘党なのでしょう。
ケーキを美味しそうに、幸せそうに食べる姿もまたとても魅力的です。
そして、それらを食べたら駅前にあるマンションの一室に戻るんです。
部屋の番号は503号室。
表札には”高鳥”と書かれていました。
タカトリさん…。
それが、彼の名前。
本当はずっとずっと彼を見ていたいけど、口煩い父親がいるから家に帰らないといけません。
…残念…また明日。
じゃあね、高鳥さん。
「今朝入ったニュースです。先週、山中で見つかった女性の身元が判明しました。女性は、市内に住む高鳥冴子さん、23歳。会社員で、二週間前から行方が分からなくなっており―――。十代の若い女性が相次いで行方不明になっている事件との関係性は今のところはっきりとしていませんが警察はそのことも視野に入れて捜査を進めているということです。」
今日もまた、彼は公園にいました。
いつも通り、やや眠たげな目で行き交う人を見つめています。
カッコいいなぁ……。
声、かけてみようかなぁ…、なんて声をかけよう。
『あの、いつもこの公園にいますよね?』
あ、それじゃあ、いつも彼を見ていたことがバレてしまう。
『初めまして、私……』
貴方のことが……ああ、余計なことを言ってしまいそう。
ううん……きっと、あの黒い瞳に見つめられたら、何も言えなくなってしまう。
あの人になら身も心も捧げられるのにな。
いつか微笑みかけてほしい。
優しい笑みで、そっと私の頭を撫でて、それで……。
あ、雨!?
大変!彼が濡れちゃう!!
でも、私、傘なんて持ってないし…どうしよう…。
「あのっ」
は?何、あの女。
「大丈夫ですか?」
いやいやいや、何、私の彼に気安く話しかけてるの?
「これ、よかったら使ってください」
はぁぁぁ!?私の彼にそんな汚い傘渡さないでよ。
ああ、もう!彼は優しいから受け取ってくれるけどさぁ…。
「あ、大丈夫です。私の家はすぐそこなんで…」
っていうか、見知らぬ男にいきなり声かけるとか。
え?なに?どんだけ尻の軽い女なの?
「家まで送ってくれるんですか?ありがとうございます…」
いやいや待って、待ってよ。
なんで相合傘とかしてるの!?
最悪!!なによ、あの女!!
それに、近くない?
絶対!彼の腕に胸とか押し当てて誘惑してるんだ!
上目遣いで気持ちの悪い猫撫で声なんて出して。
くそっ!ビッ〇が!!
私の彼を汚すつもりなんだ。
許さない!許さない!
ああ…二人で並んで部屋に入って行く…。
あの部屋にどうやったら入れる?
呼び鈴を押せばいい?
いや、見ず知らずの人間をそう簡単に中に入れるわけがないか。
諦めるしかないの?
目と鼻の先に彼が居て、今まさに悪女に彼が襲われるかもしれないっていうのに。
諦めろっていうの?
ううん、彼を助けられるのは私しかいない。
彼をあんな尻軽女に汚されたくない。
無理矢理にでも彼をあの女から離さなきゃ。
彼を、彼だけは誰にも渡さない。
愛する彼のためなら、私はなんだってできるんだから!
何度かチャイムを鳴らしたのに、反応が無い。
(どういうことなの?)
さらに、チャイムを鳴らしてみても部屋の中で人が動く気配すらない。
(もしかして、もう!?)
ドアノブを捻ると、扉は音も無く開いた。
滑り込むように部屋に入った少女が見たのは、右目に傘の先が突き刺さった女性の姿。
「ゔっ…あ゙ぁ゙あ゙…」
女性はまだ綺麗に残っている左目で少女の姿を捉えると、助けを求めるように手を伸ばしてきた。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」
しかし、傘をさらに強く押し込まれ女性は床に倒れる。
(これは…何…?)
「おや、貴女は?」
その傘の柄を握っているのは、少女が初めて心から愛した青年だった。
口元に楽しそうな笑みを浮かべ、傘の柄をグリグリと捩じると女性は「い゙や゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙」と濁った声を出した。
「タカ、トリさん…」
「たかとり?」
彼は首を傾げながら、傘に体重を乗せていく。
「あ゙っあ゙っゔっあ゙あ゙あ゙」
女性は痛みのあまり大きく痙攣したようだった。
「これは…これはどういう…」
理解が追いつかない。
何故、彼が傘を女性に突き刺しているのか。
何故、彼はそんなにも楽しそうに柄を捩じっているのか。
「ん゙お゙お゙お゙っ」
女性は傘を掴むが、彼が体重をかけているので抜けるはずもない。
そして、嫌な音を立てて傘が眼窩を突き破り、脳味噌を貫通した。
「お゛っ!!」
女性は二度、大きく痙攣し、二度と動かなくなった。
少女を見つめた左目に、涙が浮かび、流れ落ちた。
その顔に足を乗せ、傘を一気に抜き取る。
「さて…」
彼が少女を見る。
「あ…あ…」
彼ともし、言葉を交わすことが出来たら、言いたいことはたくさんあったはずなのに。
「目撃者は一人残らず殺すことにしていますので」
「あ…あ…いや、いやっ」
その狂気渦巻く黒い瞳を見たら、何も言えなくて、腰が抜けて少女は立てなくなった。
「助けて…助けて…い、言わないから、誰にも言わないからっ」
恐怖から涙が勝手に溢れて零れ落ちる。
「残念ながら例外は無いんです」
残念そうな口ぶりなのに、彼の口元の笑みは消えていない。
大好きだった彼が、今はたまらなく怖かった。
「あ、お願い……」
少女は震える手で彼の足にしがみつく。
「何でも…何でも言うことを聞くから…」
少女は彼のためなら身も心も捧げるつもりだったから、だから……。
「たすけて…」
「本当に、何でも言うことを聞いてくれるのですか?」
「は、はい!何でもします!」
少女は大きく頷いて見せた。
「では、大きく口を開けて下さい。”あ~”っと」
楽しそうに笑う彼が怖かった。
笑っているのに、あの黒い瞳には何の感情も宿っていなかった。
まるで、底の知れない穴を覗き込んでいるようだった。
「どうしました?ほら、口を大きく開けて下さい」
優しく話しかけてくる、その声音が怖かった。
殺意なんか微塵も感じられないのに、死の恐怖からは逃れられなかった。
「ほら…」
震えながら、口を開く。
「……あ、あ~ん」
大きく、大きく、精一杯、口を開けた。
その口に、傘の先が真っ直ぐ突き刺さった。
「んごっ!お゙お゙っ」
「素直で良い子ですね。ほら、もっと奥まで刺しますよ」
彼は楽しそうに微笑み、傘を食道にねじ込む。
「ん゙ん゙っん゙ん゙ーーーー!!」
傘を叩いても、彼の足を叩いても現状は変わらない。
傘は、異物は、じわじわと喉の奥へと侵入してくる。
「お゙お゙っ」
耳の中に響く、ミヂミヂブチブチという嫌な音。
口の中に広がる鉄の味。
「……お゙お゙」
少女の涙に濡れた目に映る彼は、至極楽しそうだったが、彼女が望んでいた微笑みとはほど遠いものだった。
どうしてこうなったのだろう。
恐怖と痛みと絶望で心がごちゃ混ぜになって、正確な感情がわからなくなった。
大好きだったのに。
愛していたのに。
今はもう、彼に対してどんな感情を自分が抱いているのかわからない。
痛い。
苦しい。
痛い。
悲しい。
怖い。
助けて。
死にたくない。
痛い。
痛い。
痛い。
苦しい。
苦しい。
苦しい。
たすけて。
「えいっ!」
彼が渾身の力を込める。
「ぶっ」
傘は胃に到達し、貫通した。
溢れ出した血液は、傘を伝って上へ上へと上がってくる。
「さて、他に刺すものは……」
彼が傘の柄から手を離すと、少女は床へと倒れる。
「おぶっ…うぶっ…」
柄を掴んで傘を抜こうとするものの、うんともすんとも動かない。
吐き気に襲われ、吐こうにも口も食道も塞がれているので何も吐けない。
その代わり、気道に入った胃液混じりの血がゴボッと鈍い音を立てて鼻から吹き出した。
ゴブッ、ゴボッと鼻から血を出しながら、鼻から出られなかった血が肺へと流れ込み、呼吸を阻害する。
何度か痙攣し、少女が白目を剥いて動かくなったところで彼がハサミを持って戻って来た。
「おや…お亡くなりになってしまいましたか…」
彼は残念そうに呟き、ハサミをテーブルの上に置こうとした手を止め、やはりそうしなければならない気がして少女の右目にハサミを突き立てた。
「……さて、片付けをして帰りますか」
「駅前のマンションの一室から二人の女性の遺体が発見されました。一人は、このマンションに住む女性でもう一人は、市内の高校に通う女性であることが判明しました。また、この部屋から相次いで行方不明になっている十代の女性数名の持ち物が見つかったことから、この部屋の女性が事件と何らかの関係があるとみて警察は捜査を進めているとのことです。」
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