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――ねぇ、あなた、すごく背が高いのね。顔も悪くないじゃない。
!?
とつぜん大垣と五十嵐真由の会話をぬって、奇妙な声が割って入った。
その声は外部から聞こえるものではなく、ツトムの脳内に直接響いてから、ゆるやかに消えていった。
すばやく左右を見回すが、厨房内には他に誰もいない。
「店のあまりもんは、この痛風男がいま食ってんだろうが」
大垣が荒れている。
「ダダをこねるとかやめてください。どうせこのあと店にくるんでしょ」
「ケーキをださんなら、死んでも店にはいかん」
――あなた、ものすごくタイプかも。なんだかさっきから胸の高鳴りが止まらないの。
再び大垣と五十嵐真由との口論の合間に、奇妙な声が割って入った。
ツトムは何度も周囲を警戒したが、やはり厨房内に他の誰もいない。
「おい、腰くびれ女。おまえさっさとイタリアに帰れ」
「はい、お望みどおりイタリアにかえりま~す」
五十嵐真由はダダっ子を見守る母のようにほほえんでは、裏口から去っていった。
「あいつケチだよな。ツトムもそう思うだろ? やたらケツばっかデカくなりやがって」
大垣が親指を立てて、ツトムにウィンクを送った。
「いまの方は、となりのイタリアンレストランのスタッフさんですよね? それならケーキを彼女にねだるなんて、筋ちがいじゃないでしょうか」
「けっ、おまえもまったくの正論派かよ」
と大垣があきれた。
「諭すような口調で俺を論破しようなんて、ムダだぞ。俺は話が通じないからな」
「序盤でそれは感じました」
「けっ、正論の重ね焼きしやがって」
大垣はパイプ椅子から立ちあがり、冷蔵庫を開けてイチゴをひとつほおばった。
それからイチゴのヘタを作業台に投げ捨てては、製氷機からおもむろに氷を取りだした。
「ツトム、もうひとつおもしろいもんを見せてやる」
大垣は氷の入ったスコップをもったまま神谷ひさしへと近づいた。
そして神谷のうしろ襟を引き、そこにすべての氷を流し込んだ。
スコップから滑り落ちた0度の個体が、神谷の背中をどんどんと膨らませていく。
背筋が寒くなるような光景だった。
しかし被害者であるはずの神谷ひさしは、意に介す様子もなく料理にむさぼりついたままだ。
冬眠から冷めた獣のようにトマトパスタをかき込み、湯気立つ米を口に運び、それらをボトルコーラで流し込んでいる。
それは他人が決して立ち入れる領域ではないように思えた。
さらには本人の意思すら排除された絶対領域であるのはまちがいなかった。
「これはもしかすると……能力を使用したことによる反動作用でしょうか」
「まぁ、そんなところだ。こいつらはそれをデメリットと呼んでいる」
「デメリット……」
ツトムは神谷ひさしが置かれた状況を、自身の気絶の特性と照らし合わせてみた。
一度に3秒、または6秒の時間を戻すことができる能力。
戻した時間が合計9秒に達すると、ツトムは無機物となって9秒間停止する。
自身がもつデメリットと、神谷ひさしの狂気とが同種のものには思えなかった。
ただ異常性という面において、ふたつは類似している。
ツトムははじめて目の当たりにした他人の能力に、武者震いに近い感覚をおぼえていた。
「この男はな。手首から大量の生クリームを排出したあと、同量のカロリーをすばやく摂取しないと、理性を失って暴れまくるんだよ。
生クリーム3キロで約13000カロリーだ。大盛りのパスタなら10皿ほど、チーズバーガーだと50個にもなるカロリー量だ。まったく恐ろしいやつだろ」
厨房のあちこちに、こぼれた麺やソースが散らばっている。
神谷ひさしは相変わらず食い続けている。
厨房には、品性とはかけ離れた乱雑な音だけが響いている。
あまりに醜い神谷ひさしの食いっぷりだった。
だがツトムにはもはやそうした視点は存在しなかった。
「いま神谷さんが食べているものはなんですか」
神谷は三日月型に折りたたまれたパンに食らいついている。
「あれはペパロニのピザをカルツォーネ仕立てにしたものだ。食べやすいうえに最大限のカロリーを詰めこんでおいたらしい。言うならば、対神谷ひさし用の効率食ってわけだ」
「大量のカロリーが必要なら、たとえばバターなんかをそのまま食べてはダメなのでしょうか」
「そんなもんはすべて試し尽くした。あいつぁ我を失ってメシ食うくせに、まさかの選り好みをしやがるんだよ。
以前バターの塊が気に入らないからって、そのままフロアに叩きつけて暴れた挙げ句に、什器をぶっ壊しやがってな。壊れた什器をカロリーに換算すると、一体何キロカロリーに相当するかおまえにわかるのか?」
「わかりません」
ツトムは眉をひそめた。
「だろ? 什器再購入のハンコを押す際に、俺も暴れてやったよ。このアホウめ!」
バチッ!
大垣が過去の怒りを再燃させて、神谷ひさしの後頭部を強く引っぱたいた。
すると手にしたカルツォーネが、神谷の顔面と手のあいだでぐしゃりと押しつぶれた。
背中に放り込まれた氷が体温で溶け、雨に打たれたようにずぶ濡れだ。
「神谷さんはいつからこの能力を使うようになったんですか」
「俺は神谷ひさしじゃねぇからしらん。あんまり能力に興味を持ちすぎると、野球への興味を失っちまうぞ」
大垣はそう言って裏口へと歩きだした。
「おい、ここ出てイタリアにいくぞ」
「は……はい」
ツトムは獣と化した神谷の食いっぷりを最後まで見届けることなく、裏口から外へとでた。