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「俺たちはれっきとした客だ。正面口から堂々と入るべきだ」
「わかりました」
ツトムは大垣について環七通り側へと回った。
通りを埋めていた車の数は減り、CJルートの本社ビルの明かりも多くが消えていた。
イタリアンレストラン『ラ・コンナート』の正面に立つ。
店はさきほどよりもさらに鮮明さを増していた。
イタリア国旗を連想させるテント屋根と、赤を基調としたヨーロッパ調の看板、食欲を掻き立てるタペストリー。
じゅうぶんなコストが投資された立派な店構えだった。
重厚な入り口扉をくぐりエントランスに足を踏み入れると、天井まで届く巨大なワイン棚がふたりを出迎えた。
ツトムも知る高価なワインから手頃なワインまで、ありとあらゆるワインが揃う豪快な棚だった。
「いらっしゃいませ」
ひとりの女性スタッフが近づいてきては、愛嬌のある笑顔で迎えてくれた。
小さな骨格に比べやや肉づきがよく、幼さを残す顔立ちのなかに大人びた笑顔が光った。
ツトムはすばやく『百瀬(ももせ)あかね』と書かれたネームプレートに目をやった。
ワイン棚を抜けると、30席ほどのメインホールが広がった。
中世ヨーロッパの城壁をイメージしたレンガ造りの店内は、暗めの照明と相まって荘厳な印象だった。
透明ガラスで仕切られたキッチンでは、シェフとスーシェフが一心不乱に料理に打ち込んでいる。
となりにはピザ専門のキッチンも備えられている。
壁に埋め込まれた焼き窯が、見るものの食欲をかき立てる。
ピザキッチンには、さきほど神谷ひさしに大量の料理を運んでいた五十嵐真由の姿があった。
店はツトムの想像をはるかに超える優美な内装を誇っていた。
「まともな店だろ」
大垣のくたびれたスーツが、ここではやけに目立った。
「あまりに立派で驚いています」
大垣は満足そうな表情を浮かべた。
「でも客がまったくこねぇ」
30席の広々としたホールには、たった一組の熟年夫婦だけが食事を行っている。
閑散とした席にぽつりと座っているせいか、夫婦はどこか落ち着かない様子だった。
店内にいるすべての人物が能力者である可能性を秘めているだけに、ツトムの神経はこれ以上ないほど高ぶった。
大垣はさっと席につき、スタッフの百瀬あかねを手招きで呼んだ。
ツトムの着席を見計らって、百瀬あかねがテーブルへとやってくる。
「えと、バルバレスコをくれ。あとはこれとこれとこれだ」
大垣はまるで目隠しでもされたように、適当にメニューを指さした。
あまりの即断即決に、ツトムは思わず笑みをこぼした。
「大垣オーナー。今日も売り上げに貢献いただき、ありがとうございます」
百瀬あかねが品よくほほえんだ。
「イタリアンは飽きた」
「飽きただけならガマンしてください。食べたら吐いちゃうくら飽きたら、べつのお店にいくことを許可します」
百瀬あかねは明るい表情を作った。
しかしひと目で体調不良であるのは明らかだった。
化粧の奥に隠された目の下にはうっすらと隈が浮かび、ハンディポスをもつ手がわずかに震えている。
仕事を休むほどの不調ではないが、かといって元気だけで乗り切れるほどの余裕はない。
打者なら試合にでても打てない日だろう、とツトムは思った。
「オーナーはイタリアに造詣が深いですね。ワインといい、さきほど神谷さんが食べていたカルツォーネといい」
「だろ」
大垣が自慢げにアゴをさすった。
「かくして俺のイタリアンの知識は底をついた」
ツトムは深刻そうに話す大垣の口調に、思わず吹きだしてしまった。
それが嘘のない感情であることに、ツトム自身が驚いた。
「彼女もシェアハウスの住人ですか」
ツトムは声を落とした。
「だな。つまりは、あいつも能力者ってことだ。どんな能力をもってるかは、直接聞いてみろ」
「ホールスタッフさんは、彼女ひとりだけなんですか」
「いや、普段は2、3人いるんだが、ほかはどっか飲みいっちまったかもしれんな」
「オーナーの店ですよね。ちょっと自由すぎませんか?」
「店長がしっかりしてるから、たぶん大丈夫だろう。スタッフに島田(しまだ)タクミってヤツがいてな、軽薄で女好きだが、飄々と悪さを行えるほど肝は座っていない」
「つまり、いい人だということですね」
「それは知らん」
「こちら、バルバレスコです」
百瀬あかねが、テーブルにワインを置いた。
「ありがとうございます」
ツトムはボトルを開けて大垣のグラスにワインを注いだ。
乾杯をすると、大垣はミネラルウォーターでも飲むように瞬時にグラスを空けた。
ツトムも大垣に合わせて一気にワインをあおった。
アルコールが瞬時に血中を駆けめぐり、カッと頬が熱くなる。
「さあ、南海ツトムよ。俺にとってもおまえにとっても、人生は儚くて短いものだ。なにが聞きたい?」
大垣は自ら2杯めのワインをグラスに注ぎながら言った。
「……」
ツトムはなにから質問すべきかを迷った。
できることならすべての質問を箇条書きにして渡したかったが、むかい合わせの席でそんなことができるはずもない。
ツトムは考えるのをやめて、順不同で質問をすることにした。
「いきなり聞きますが、オーナーも能力者ですか? もしそうだとすれば、どのような能力をお持ちですか」
能力という言葉を口にするたびに、ツトムの心臓は鼓動を早める。
「俺にはそんな面倒なものは備わってない。さあ次」
大垣はあっさりと言いのけた。
「オーナーはぼくのこと、知っていましたか? 横浜アイアンフェアリーズの気絶王子、こと南海ツトムを」
「知ってるぞ。おまえがグラウンドでぶっ倒れるのを、俺は直接球場で見てたからな」
「球場にいらしてたのですか?」
ツトムは思わず声をあげた。