鈴子の身を焦がすようなコンドミニアムの同棲生活も半年が過ぎようとしていた、最近では浩二の選挙活動はますます激動の日々を送り、一週間は帰ってこないのは当たり前になっていた、もう何回この事で彼と喧嘩しただろう、鈴子は泣きながら、またスーツを着て、支度をして出て行く浩二を見送った
「君が傍にいなくて僕も寂しいよ」
「私は会議があるからあなたについていけないわ」
「わかってる・・・君が自分の仕事を大切に思う様に、僕もこの仕事が大切なんだ、わかって欲しい」
「でも、浩二―」
「それじゃ、行ってくる」
バタン・・・と扉は冷たく閉ざされた、鈴子はその場に泣き崩れた
うっ・・うっ・・・「寂しいわ・・・寂しいわ・・・浩二・・・」
鈴子は浩二が置いて行った、タグ・ホイヤーのスマートウォッチを握りしめた
『首輪を付けられているような気がする』と彼が嫌がるのだ
ああ・・・どうして分かってくれないの?他のどうでも良い男なら私はこんな事をしないわ、愛しているからこそ、彼の何もかもを把握したいのに・・・
どうすればあの人が私のものになるの?どうすればいつも一緒にいてくれるの?どんな言葉をかけても、何を買い与えてもダメ・・・彼は自分が選挙に当選することしか考えていない、そこに私の入り込む隙間はこれっぽっちもないの?・・・
ハラハラ涙が溢れる・・・そしてとうとう鈴子は心の箍を外してその言葉を口に出した
「あの人の選挙なんか・・・落選してしまえばいいのよ・・・」
・:.。.・:.。.
これまでの浩二は政治のことだけを考えて生きてきた、充分な理想を胸に抱えているからこそ街頭演説にも熱が入り、集中できた、しかし、今夜の浩二にはいつもの集中力がなかった、鈴子との同棲生活が自分の選挙運動に暗い影を落としているのだ
こんなにもプライベートが仕事に響くとは思ってもみなかった、考えないようにすればするほど、鈴子との事、それから来る選挙活動の事が気になって心が静まらなかった
鈴子の事は愛しているし、自分が彼女を愛している事も知っている、しかし彼女は自分の夢よりもいつも一緒に居たがって、自分には何もさせようとしない
最初の頃の彼女はそれはキラキラした目で自分の夢を応援してくれていた、彼女となら一緒に夢と理想を追えると確信していた・・・それなのに・・・彼女をあんな風に変えてしまったのは自分のせいだろうか・・・二人の関係は袋小路に入ってしまったように思えてしかたがなかった
今朝も仕事へ発つ前の二人は、ずいぶんギクシャクしていた
―しばらくは彼女のコンドミニアムに帰らない方がいいのかもしれない、僕達は距離を置いた方がいいのかだろうか・・・それかゆっくり時間を取って彼女と話し合った方が―
浩二は思い悩んだ
夜の真っ暗な空は遠くで鳴る雷の音が聞こえていた、天気予報は夜は雨だと告げていたが、珍しく当たったのだろう、もうすぐここに激しい雨が降るだろう、その証拠に浩二の頬にポツリと雨が当たった
街宣カーの周りに写真を撮ろうと自分を応援しに来ている有権者が沢山集まっていた、自分を崇拝してくれている有権者達に囲まれるのは良いものだ、彼らは本当に自分を応援してくれている
しかし、今夜に限って浩二はうっとうしくてたまらなかった、それでも彼らと笑顔で握手を交わし、求められるまま写真を撮った
雨は本降りになっていた、明石駅の表通りはひっそりと静まり返り、時折冷たい風が吹き抜けていく、浩二は水の溜まった歩道を街宣カーに向かって歩き出した
と、その時である
レインコートを羽織った大柄の男が暗闇の中から現われたかと思うと、スーッとこちらに近づいて来た
「すみませんが・・・姫野浩二候補ですか?」
男が声をかけてきた
「ああ、ハイ、申し訳ないがこの雨の中写真は・・・」
そう言いかけた時、男がいきなり浩二に飛びかかってきた、胸ぐらを締めつけながら、男は浩二ともみ合った、その時男の手には光る物が握られているのが見えた、それはナイフだった
―ヤバイ!―
浩二がそう思った瞬間、男のナイフの切っ先は浩二の右脇腹に突き刺さった、血が滝のように噴き出し、浩二は悲鳴を上げた
キャー―――!
「人が刺されたわ!!」
周りの叫び声も分からないほどのもの凄い痛みが脇腹を貫いた、男は浩二を刺して走って逃げた、浩二はショックのあまり、取るべき行動が取れなかった
ただ・・・これ以上血が流れない様に両手で脇腹を押えた、自分の手からしたたり落ちる血が雨水と一緒に歩道を流れていくのを見つめていた
「救急車を呼べーーーー!」
「姫野候補が刺されたぞ!!」
自分を囲む人だかりがどんどん増えていく、何か言おうとしても声が出ない・・・
―鈴子―
やがて彼は気絶した
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!