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その日、世界は屍人に支配された。
朝は紅茶の香りに包まれ、敬愛するお姉様と学園へ向かい、彼女に媚びを売る有象無象を牽制し――
いつも通り、“性悪令嬢”として完璧に振る舞うはずだった。
しかし、窓の外から聞こえてきたのは、甲高く裂けるような悲鳴だった。
小鳥の囀りはなく、代わりに響くのは、骨と骨が擦れるような不快な音。
視界に映ったのは、馬車道に倒れ伏していたはずの人影。
首は不自然な角度に折れ、片腕はだらりと垂れ下がったまま――それでも“それ”は、立ち上がった。
皮膚は死人のように青白く、ところどころが黒ずみ、裂けた口元からは濁った唾液が糸を引いて垂れている。
眼球は焦点を結ばず、それでも獲物を探すように、ぎょろりと動いた。
「……なんで、こんな事に」
風に乗って漂ってきたのは、血と腐敗が混じった耐え難い臭い。
それは生者のものではなく、死を抱え込んだ肉の臭いだった。
やがて一体だけではないことに気付く。
引きずる足音、湿った肉が地面を叩く音。
倒れていた者たちが次々と起き上がり、群れとなって、屋敷の方角へと歩き出す。
壊れた喉から漏れる、呻きとも唸りともつかない音を上げながら。
屍人の群れが、屋敷へ侵入してくるのも時間の問題だろう。
このまま留まれば、噛まれ、やがては自分も屍人の仲間入りだ。
(……絶対に嫌。お姉様を、呼びに行かなければ)
しかし侍女たちは騒動の対応に追われ、身支度どころではない。
誰かに頼る余裕はなかった。
薄いネグリジェのまま自室を飛び出した少女――
イリア・アースウェル。それが私の名だ。
ギアーデン王国、五大伯爵家が一つ、アースウェル伯爵家の次女。
“性悪令嬢”と呼ばれているが、そんな評価はどうでもよかった。
……お姉様だけは、私を分かってくれたから。
私の世界の中心は、お姉様だ。
彼女を失えば、私の世界は音を立てて崩れ去る。
お姉様は、私の生きる希望そのものなのだから。
だから――
「待っていてください、レイラお姉様」
自室の扉を勢いよく開け放ち、私は一直線に、お姉様の部屋へと駆け出した。