テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「俺は吾妻勇信。この家の人間だ。おまえは誰だ」
「俺は吾妻勇信。この家の人間だ。おまえは誰だ」
ふたりの声が、寸分違わず重なった。
そのことで、勇信は危機を感じた。
すぐにバックステップでケージ中央から離れ、金網に背中をつけた。
目の前の男も、同じように金網まで下がっていた。
全裸のまま、こちらを警戒している。
構え、視線、呼吸。
どこまでも自分と同じだった。
これ以上言葉が出ない。
何を言っても、相手も同じことを言うだろう、との予感があった。
沈黙の中、もう1人の勇信がゆっくりと動いた。
警戒を崩さないままケージの扉へ向かい、金網の門を開けて外へ出ていく。
「おい、どこ行くんだ。ここは俺の家だぞ。好き勝手に動くな」
「黙れ。ここは俺の家だ。ニセモノが命令するな」
全裸の勇信はそのまま、トレーニング室の奥へ消えた。それから、1分も経たないうちに戻ってきた。
男は予備のトレーニングウェアを着ていた。
壁際の棚に置いてあったものだ。
「おい、おまえ、勝手に……」
「おい、どうやって、セキュリティを突破した。のうのうとここまで入ってきやがって」
「俺の話に答えろ」
「俺の話、聞いてるのか」
もう1人の勇信が、壁にかかっていたオープンフィンガーグローブを手に取った。
「俺の道具に触れるな」
「俺の道具だ」
もう1人の勇信が、グローブを装着し、首を軽く回した。
それから、当然のようにケージへ戻ってくる。
「すぐに化けの皮を剥がしてやる」
「よくそんな言葉が出てくるな」
ふたりは、再び向かい合った。
先に動いたのは、もう1人の勇信だった。
素早く床を蹴り、左フックを放った。
勇信は反射的にガードを上げて防御した。
続けて飛んできた右をかわし、そのまま腰を落とした。
タックル。
相手の懐へ入ったと思った瞬間だった。
ドゴッ……!
顎に強い衝撃が走った。
膝か――。
動きは完全に読まれていた。
正確な膝が顎を撃ち抜き、視界が大きく揺れた。
天井の明かりが正面に現れ、勇信の意識が消えた。
*
「……なんだ、これ」
もう1人の勇信は、自分の手を見つめていた。
何度も指を握っては開き、それから肩を回した。
疲労で限界だったはず。
それなのに、力が湧いてくるようだった。
「いつもより動ける。別人の身体に乗り移ったみたいだ」
「……別人の身体って、おまえは誰の立場でしゃべってるんだ」
倒れていた勇信が、かすれた声で言った。
「俺だよ。吾妻勇信以外に誰がいる」
もう1人の勇信が振り返った。
「その言い方……おまえ、本気で俺のことをニセモノだと思ってるのか」
勇信は肘をつき、ゆっくりと身体を起こした。
「本気も何も、俺が吾妻勇信である限り、おまえはそれ以外だろうが」
「何が目的で侵入したんだ。まさか俺になりすますために、顔まで変えたのか」
「顔を変えたのはおまえだろうが」
「もう黙れ」
勇信の声が荒れた。
「俺が今、どんな気持ちでいるのかわかっているのか。兄さんが……兄さんが!」
「俺が今、どんな気持ちでいるのかわかっているのか。兄さんが……兄さんが!」
またも声が重なり、ふたりは動きを止めた。
「お前がなんで兄さんのことを」
「お前こそ、なんでだ?」
勇信の背筋に、冷たいものが走った。
兄さんのことを知っている。
いや、知っているだけじゃなく、同じように苦しんでいる。
「おまえ……まさか本当に、吾妻勇信か。なら、俺は何なんだ」
もう1人の勇信が、力の抜けた声で言った。
沈黙が流れ、ふたりはしばらく見つめ合った。
殴り合いの疲労と、理解できない現実。
そのふたつが同時に押し寄せていた。
勇信はその場に立っていられず座り込み、もう1人の勇信も同じようにマットにへたり込んだ。
その直後、トレーニング室の扉が開いた。
「常務……?」
聞き慣れた声に、勇信は顔を上げた。
入口に、魚井玲奈が立っていた。
*
「常務……? 吾妻常務……ああっ!」
トレーニング室に入ってきた魚井玲奈が、驚きの声を上げた。
「う、魚井秘書! どうしてここに」
勇信は反射的に立ち上がった。
「緊急の用件がありまして、許可なく入らせていただきました。申し訳ございません」
玲奈の視線が、ケージの奥へと向かった。
もう1人の勇信は、とっさにタオルで顔を隠した。
「トレーナーさんが、お越しだったのですね」
「あ……ああ、そうなんだ」
勇信は一瞬で話を合わせた。
「魚井秘書、少し待っていてくれ。汗を拭いてからそっちに行く」
「あ、はい」
もう1人の勇信はタオルで顔を覆ったまま、ケージから出た。そしてランニングマシンの横に置かれている低酸素トレーニングマスクをつかみ、素早く顔に装着した。
「魚井秘書。紹介しておこう。彼は、トレーナーのジョーさんだ」
「はじめまして。吾妻常務の秘書をしております、魚井玲奈です」
玲奈は丁寧に頭を下げ、マスク姿の男をちらりと見た。
「さすがトレーナーさんですね。ずいぶん鍛えられた身体をされています。吾妻常務よりも、ほんの少し」
「得意の無駄口はやめてくれないか、魚井秘書」
「……失礼しました」
「は、はじめまして。トレーナーの朝倉丈一郎です。ジョーと呼んでください」
無理に声を変えたせいで、甲高い声が出た。
勇信の額に、冷たい汗が浮かんだ。
「はじめまして。でも、少し変ですね」
玲奈は不審そうに目を細めた。
「どうしたんだ」
「ジョートレーナーさん……」
玲奈は、勇信とジョーを交互に見つめた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#krpt