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「俺は吾妻勇信、この家の人間だ。おまえは誰だ」
「俺は吾妻勇信、この家の人間だ。おまえは誰だ」
ふたりの言葉が再び重なり、お互いが同時に危機を感じた。
勇信はバックステップで中央から離れ、金網に背をつけた。
目の前の男も同じ体勢で金網に背をくっつけている。
その男は勇信とまったく同じ姿形をしていた。
……。
これ以上言葉が出なかった。
何を言ったところで、相手も同じ発言をするだろうとの感覚があったためだ。
全裸の勇信が警戒しつつ、ケージの中を移動している。
そして何も言わないまま、金網の門を開けて出ていった。
「おい、どこ行くんだ? ここは俺の家だぞ。好き勝手に動くな!」
「黙れ。ここは俺の家だ、ニセモノめ」
全裸の勇信がつぶやきながら、トレーニング場から姿を消した。
しばらくすると、緑のトレーニングウェアを着て戻ってきた。
「おい、貴様、勝手に……」
「どうやってセキュリティを突破したかはわからんが、のうのうとトレーニング場にまで入ってきやがって」
緑の勇信はそのまま、壁にかかるオープンフィンガーグローブを装着した。
「俺の道具に触れるな!」
赤いトレーニングウェアに身を包んだ勇信が、緑ウェアの勇信をにらんだ。
「すぐに化けの皮を剥がしてやるから、じっとしていろ」
緑の勇信はすべての準備を終え、ケージへと戻ってきた。
吾妻勇信と吾妻勇信は、互いをけん制しあった。
しかしすぐに緑の勇信が突進し、左フックを放った。
赤い勇信は反射的にガードを上げてフックを防いだ。
続けて放たれた右フックをよけ、そのままタックルを仕掛けた。
ドゴッ……!
顎のあたりに強い衝撃が走った。
緑の勇信はタックルを見切っていた。
正確な膝が赤い勇信の顎に突き刺さり、そのまま意識を失い倒れた。
「なんだこれ……? 体がいつもより軽くて、力がみなぎってる。別人の体に乗り移ったみたいに」
緑の勇信は、自らの手足を不思議そうに確認した。
「……別人の体って、おまえは誰の立場でしゃべってんだ」
赤い勇信が意識を取り戻した。
「俺だよ、俺! 吾妻勇信以外に誰がいるってんだ」
「おまえ、本気で俺のことをニセモノだと思ってるのか? トチ狂いやがって……」
赤い勇信が起き上がった。
「本気もクソもあるか。俺が吾妻勇信である限り、おまえはそれ以外に決まってるだろうが」
「何が目的で進入した? まさか俺になりすますために、整形までしたのか。なら、天才整形外科医だな」
「整形したのはおまえだろうが!」
くそっ……。
「もういい加減に黙れ! 俺が今どんな気持ちで過ごしてるのかわかってんのか。
兄さんが……兄さんが!」
またも同じ言葉がこぼれた。
その口調と言い回しが完全に一致していて、ふたりの勇信が目を見開いた。
いくらなんでも、言葉がこうも一致するはずない。
思考と感情、そして語順。
吾妻財閥の長男である兄がいなければ出るはずもない、極めて個人的な発言。
「おまえ、まさか本物の吾妻勇信か? なら俺は……何なんだ?」
緑の勇信が力を失ったように、その場に座り込んだ。
殴り合いによって、疲れは限界に達していた。
さらには同じ姿の人間が立っていることで混乱も極に達した。
ふたりはわけがわからず、同時に床にへたり込んだ。
トレーニング室の入り口に魚井玲奈が立っていることも気づかずに……。
*
「務……吾妻常務……ああっ!」
トレーニング室を訪れた魚井玲奈が驚きの声をあげた。
「う、魚井秘書! どうしてここに」
赤い吾妻勇信が言った。
「マズいぞ……」
危機を察したもうひとりの勇信は、ケージの隅にあるタオルでとっさに顔を隠した。
「あの、緊急の用件があって、許可なく入らせていただきました。トレーナーさんがお越しだったのですね。申し訳ございません」
赤の勇信は、緑の勇信をちらりと覗き見た。
「おまえ、さっき一度出たときにドアを閉め忘れたろ?」
「今そんなこと言ってる場合か」
緑の勇信はタオルで顔を覆ったまま、ケージから飛び出した。
ランニングマシンのそばに行き、タオルの代わりに低酸素トレーニングマスクを着用した。
「魚井秘書、ちょっと待っててくれ。汗を拭いてからそっちにいくから」
「あ、はい」
金網に囲まれたケージとタオルのおかげで、緑の勇信はかろうじて正体をバラさずに済んだ。ふたりの勇信が同時に安堵のため息をついた。
「魚井秘書。ジョートレーナーを紹介しておこう」
赤の勇信は、低酸素マスクを着用する勇信を見て言った。
「はじめまして。吾妻常務の秘書をしております魚井玲奈です。さすがトレーナーさんだけあって、鍛えられた肉体をお持ちですね。吾妻常務よりもほんの少し」
「得意の無駄口はやめてくれないか、魚井秘書」
「……失礼しました」
「はじめまして。トレーナーの朝倉丈一郎です。気軽にジョーと呼んでください」
無理に違う声を出そうとしたため、声がセキセイインコのように甲高く響いた。
ジョーは焦って咳払いをした。
赤の勇信の額には瞬時に汗が浮かんだ。
「はじめまして。でもなんか変ですね……」
「何がだ?」
「だってジョートレーナーさん……」
魚井玲奈が不審そうな目でふたりを交互に見つめた。
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