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朔は、初めて彼女をまともに見る。手桶と花を持った小柄な女性は、三十代くらいに見える。彼女が言った。
「失礼ですけど、影森さんじゃありませんか?」
朔と望は、顔を見合わせる。
「お二人は今、弓岡家のお墓にお参りされていましたよね」
「はぁ」
女性が、手桶をその場において、二人に向かって頭を下げた。
「私、緒川万砂子と申します。菜月さんの手紙をお送りした者です」
二人して、言葉もないまま見つめていると、彼女が言った。
「もしお急ぎでなかったら、少し待っていていただけませんか?」
再び顔を見合わせてから、朔が答える。
「はい、お待ちします」
緒川は、二人が見ている前で、弓岡家の墓に参り、やがて戻って来て言った。
「今日は菜月さんの月命日なもので。よろしければ、これからどこかでお茶でもいかがですか?」
「はい」
「怪我をなさっているようですから、社務所でタクシーを呼んでもらいましょうか」
緒川は、望の足を見てそう言うと、慣れた様子で、足早に社務所へと向かった。
向かい側に緒川万砂子、望と朔は並んで、コーヒーを前に座っている。松葉杖をつきながら、まだおぼつかない足で新幹線や在来線を乗り継いで来て、すっかり疲れてしまったので、やっと座ることが出来て、望はほっとしている。
緒川が、朔を見ながら言う。
「さっきお見かけしたとき、すぐに影森さんだってわかりました」
「え?」
朔が驚いて顔を上げる。
「あっ、ごめんなさい」
もともと優しげな表情が、笑うと目尻が下がり、憎めない顔になる。
「私、彼女とは幼稚園からの付き合いで、ナッちゃんマコちゃんって呼び合う仲だったんです。彼女が東京の大学に行ってからも、ずっと連絡を取り合っていて。
それで、こっちに帰って来たときも、すぐにお見舞いに行って、そのときに写真を見せてもらったんです。なんとなくそんな話になって、彼女、恥ずかしそうに『内緒よ』って」
そこまで言って、ふと彼女の表情が曇る。
「こんなこと、言っちゃってよかったかしら……」
朔は呆然としていて、とても何か言えるような状態には見えない。それで、すかさず望は言った。
「いいと思いますけど。ね、朔ちゃん」
緒川は、今度は目を見開いて望を見る。
「もしかして、望さん?」
今度は、望が面食らう。
「……えっ? そうですけど、なんで? 僕は菜月さんとは」
「ええ、知ってます。彼女が、会ったことはないけど、影森さんには望さんっていう仲のいい従兄弟がいて、よくその人の話をしてくれるって、楽しそうに」
「えっ?」
望は、思わず朔の顔を見る。朔が、菜月に自分のことを話していたなんて……。
だが、朔は、片手で目元を押さえてうつむいてしまった。
「朔ちゃん?」
緒川も、心配そうに言う。
「すいません。私、余計なことをベラベラと」
朔は、黙ったまま首を横に振る。墓を目にしただけでも、朔は大きなショックを受けているようだったのに、今の話は刺激が強すぎたのではないか。
なんと言っていいかわからず、ただおろおろしながら見つめていると、やがて朔が、小さくつぶやいた。
「すいません」
緒川が言う。
「いえ、私こそ、無神経でごめんなさい」
「いえ……」
朔が、うつむいたまま、目元から手を外して言った。
「彼女の話が聞けて、うれしいです」
「そうですか」
緒川がほっとしたように言い、望もほっとして、冷めかけたコーヒーに口をつける。
それから、さらに緒川は言った。
「実は、お渡ししたいものがあるんです。よろしければ、これからうちにいらっしゃいませんか?」
「朔ちゃん、どうする?」
だが、朔は望を見て言う。
「でも、疲れてるだろう。今日はずいぶん歩いたし」
すると、緒川が言った。
「今日はこのままお帰りになるんですか?」
「いえ。今夜は、駅の近くのビジネスホテルに泊まります」
「それなら、後ほどそちらにお持ちします。ご迷惑でなければ」
本来ならば、ロビーで待つのが礼儀なのかもしれないが、望の足の怪我を理由に、緒川には部屋まで来てもらうことにした。
本当は、人の目がある場所で、昼間のように取り乱してしまうことが怖かった。さっきは、ひどく動揺してしまい、涙をこらえることに必死だったのだ。
手紙の送り主に会ったというだけでも驚いたし、菜月が自分のことを話していたのだと聞いて、心が掻き乱され、とても冷静ではいられなかった。
緒川は、約束の時間通りに、朔たちの今夜の宿となるツインルームにやって来た。
「お邪魔します」
にこやかに入って来た緒川は、肩にキャメル色のショルダーバッグをかけている。
「いらっしゃいませ」
望は、カフェの店主然とした口ぶりで、テーブルに用意しておいた緑茶を淹れ始める。
「さっそくなんですけど」
椅子に座るなり、緒川は、バッグから大ぶりな封筒を取り出して、朔に向かって差し出した。朔は、緊張しながら受け取る。
「どうぞ、中を確かめてください」
「はい……」