俺が顔を上げると、金髪碧眼の少女が入札の札を手に震えていた。
その表情は緊張に強張り、まるで迷子の子供だった。
視線を泳がせ、周囲からの視線を必要以上に気にしている彼女の姿が幼い頃の良歌と重なった。
両親が再婚して、初めてうちに来た良歌も、こんな感じだったなと思い出してから、俺は素早く手を挙げた。
「俺、彼女の家に仕官します!」
オークショニアがハンマーを鳴らした。
2人合わせて帝国金貨10枚。
これは本日の最安値だった。
◆
ドラフトオークションが終わると、俺と良歌はあの少女と一緒に外へ移動した。
会場外の広場は貴族たちが歓談したり、競り落とした人材の自慢をしていた。
生徒たちは、チートライフ生活に頬を染める能天気な連中はともかくとして、心細そうな顔が目立つ。
ただでさえ家族と離れ離れの異世界で、友人知人とも別れてひとりぼっちの異世界生活。むしろ落ち着けというほうが無理だろう。
それを考えれば、妹と一緒に仕官できた俺は恵まれた方だろう。
それに雇い主はこの気弱な少女、厳密にはその隣に立つ優しそうな父親だ。
少なくとも、危険な奴隷生活の心配はないだろう。
「いやぁ、オークションは他の貴族に強く誘われて見物のつもりだったんだけど、娘に強く頼まれてね。私はジョセフ・カンパネラ男爵。しがない下級貴族さ」
「私はアリス・カンパネラだよ。その、今日からよろしくね」
小さな頭をぺこりと下げるアリスに、俺も頭を下げた。
「どうも、神谷良治です。この度は妹と一緒に雇って頂きありがとうございます」
「私からもありがとうございます。妹の神谷良歌です」
「うん、よろしくね。あ、それと私には敬語なんて使わなくていいよ。おない年なんだし」
「そ、そうか? じゃあこれからよろしく」
思った通り、アリスは腰が低くて優しい性格の子らしい。
いい主人に出会えたと俺が胸を撫で下ろすと、下卑た声が割り込んできた。
「おやおや、これはカンパネラ男爵。いつもは傍観しているだけの君が珍しく地球人を買ったと思えば、まさか二心の冒涜者に死霊使いとは趣味が悪い」
「こ、これはリュッケンシルト公爵!? いやはや、なんとも、その」
カイゼル髭が特徴的な恰幅のいい男の登場に、ジョセフさんとアリスはひたすらに恐縮した。
アニメで得た俺の知識が正しければ、公爵は貴族の最高位で、男爵は最下位だ。
そして貴族社会において階級は絶対。
ジョセフさんからすれば、このリュッケンシルトとかいう髭のおっさんは雲の上の存在だろう。
「うちは目玉人材の彼を雇ったよ。帝国金貨10万枚の良い買い物をしたよ。君の1万倍、いや君は2人で金貨10枚だから、2万倍か、だが、それだけの価値はある。なにせ、魔力強度7900の逸材だ」
その言葉が合図だったのか、身なりの良い2人の執事にエスコートされながら現れたのは、良歌を殺しかけたにっくき入宮陽次だった。
早くも勝ち誇った顔で、長身から俺らを見下してくる。
「馬鹿だな。さっきオレの言うことを聞いて、オレと3人セットならお前らも公爵家に仕官できたかもしれないのに。まぁ、お前らなら最下級貴族の家がお似合いか」
「殺人未遂の異常者が偉そうに言うな」
「はっ、いつまで地球の価値観引きずっているんだよ。知らないのか? この世界じゃ真剣勝負の決闘は日常茶飯事らしいぜ。それよりもお前、誰に口利いているかわかっているのか? オレは今や公爵様付きの魔法使い様だ。オレをバカにするってことは公爵様をバカにするも同然だ。ですよね?」
「ふふふ、その通りだよヨウジ。さてと、この落とし前はどうつけてくれるのかな? カンパネラ男爵?」
「そ、それは……」
しまったと、反射的に俺は口をつぐんだが後の祭りだ。
リュッケンシルト公爵は嗜虐的な笑みをたっぷりに、ジョセフさんを見下ろしていた。
「とはいえオレも鬼じゃない。公爵、ここは互いの騎士を戦わせて手打ちにしませんか?」
「ほう、それは良い。もしもそちらの地球人が勝てば此度の無礼は不問としよう。仮に君の地球人が負けても、敗北の痛みを以って償いとする。異論はないなカンパネラ男爵」
「あ、あの……」
ジョセフさんは申し訳なさそうな顔で俺を見つめてきた。
だから俺は快く頷いた。
「わかりました。じゃあ入宮、お望み通り、俺と決闘しようぜ」
もとはと言えば貴族社会のことを考えずに発言した俺の落ち度だ。それに、良歌の仇を討つチャンスでもある。
それに、入宮の魔力強度は7900らしいけど、俺には勝算があった。
――今なら俺も入宮も魔法の素人。今なら風と火の両方を使える俺のほうが有利だ。それに――。
「その勝負、私が受けました!」
俺の思考を遮るように声を上げたのは良歌だった。
教室でのおとなしい彼女ではない。
家で俺と一緒にいる時のような自信に溢れた元気口調の彼女に、入宮は少し驚いている。
「ふうん、まぁいいけど。じゃああっちの広い場所でやろうか」
「ええ」
「おい良歌」
頷く妹を止めようと肩をつかむと、良歌はかつてないほど自信に溢れた表情だった。
「任せてください兄さん。あんな変態野郎、ワンパンでやっつけますから!」
「え?」
良歌は大股で俺を置いてけぼりにすると、離れた草地で10メートルの距離を挟んで入宮と対峙した。
「良歌ちゃんて結構バカなんだね? さっき俺にボコられたばかりなのに。それに死霊使いらしいけど、この場には死体のお化けもいないよ? それとも、この短時間で浮遊霊でもテイムしたのかな?」
「ペラペラとうるさいですよ。それより開始の合図はどうしますか?」
「そんなのいらないさ。だって、戦いならもう始まっているからね!」
入宮が両手を広げると、左右の手の平から烈風が吹き荒れ、小さな竜巻が生じた。
そして良歌は、烈風を超える電光石火の閃きで草地を駆け抜けていた。
「……ん?」
「入学式の時から気持ち悪いんですよ! このストーカー野郎!」
白い裸の拳が入宮の胸板に叩き込まれて、硬質な瓦解音が鳴った。
入宮は水平にカッ飛んで、太い庭木の幹に激突して血を噴きながら地面に落ちて痙攣した。起き上がる様子はない。
「す、すごいじゃないか良歌! お前死霊使いとか言っていたけど、肉体強化もできるのか!? ……良歌?」
俺は喜び駆け寄るも良歌はさっきまでのテンションはどこへやら。
入宮をぶっ飛ばした自分の拳を見つめながら、瞳を凍り付かせていた。
「どうしたんだ?」
「え? あ、ああ兄さん! いえなんでもありません。ほら、言った通り、ワンパンでしょ? じゃあ公爵さん、これで手打ちってことでいいですよね、じゃあ私たちはこれで」
あんぐりと口を開けたまま固まる公爵を尻目に、良歌はアリスとジョセフさんの手を握り、敷地の外へ急いだ。
その様子に首をひねりながら、俺も後に続いた。
◆
1時間後。
俺らは夕日に染まる駅前のベンチに腰を下ろしていた。
アリス親子は帰りの駅馬車の切符を買って来るからと席を外している。
今がいい機会かと、俺は切り出した。
「なぁ良歌、入宮に勝ってから全然喋らないけど、どうしたんだ?」
「ッ……」
ただでさえ思い詰めていた表情の良歌は一瞬表情を硬くしてから目を閉じたっぷり3秒後。意を決してというよりも観念した、あるいは、罪を告白するような表情で俺を見上げてきた。
「ごめんなさい兄さん。私、死んじゃったみたいです」
あまりにも突拍子もない冗談に、俺はまったく笑えなかった。
「死んじゃったって、いや、明らかに生きているだろ?」
目を閉じて無言で首を横に振ってから、良歌は懺悔するように語り始めた。
「違うんです。この体は死体で、死霊術で動かしているだけなんです」
「まさか! でもそんな、嘘だろ!?」
すぐに合点がいった俺は、当事者に否定して欲しくて詰め寄るも、良歌は頷いてくれなかった。
「気が付いたのはさっきです。窒息した私は兄さんと別れたくないって気持ちでいっぱいで、気が付いたら全身に力が溢れていました。てっきり死体を操る死霊術には肉体強化魔法も含まれるんだと思っていたんですけど違うんです」
辛そうな顔で、入宮をブン殴った右拳をかざす良歌。
制服の金属ボタンにでも当たったのだろう。
その拳には小さな、ちょっと剥けた程度の傷がついていた。
「これ、痛くないんです。まさかと思って、口の中で舌を噛んでみたり、指を曲げてみたりしましたが、まったく痛みを感じないんです。それに見てください。街の人たちはみんなコートを着ています。きっと今は冬で、今は寒いんですよね?」
「そりゃ、そうだけど」
実のところ言うと、さっきから肌寒い。
修学旅行は秋なので制服は秋仕様だし中には長袖のシャツを着ているも、それだけでは足りない。
「その寒さも、私には感じません。幸い、圧力は感じるみたいで体の感触はあるし兄さんに触れられるのもわかります。でも今の私は、自分の死体に自分の魂を入れて、死霊術で操っているだけの生きた死体、アンデッドなんです」
「ッッ、あのやろう」
良歌が死んだという絶望感、良歌を殺した入宮への怒りがないまぜになって、俺はどうしていいかわからなくなった。
けれど、それを上回る感情が、俺を冷静にしてくれた。
「……良歌、これは俺とお前だけの秘密だ。死霊使いっていうだけでも、この世界じゃあ異端なんだ。良歌自身がアンデッドなんて知れたら、どうなるかわからない。もちろん、アリスやジョセフさんにも秘密だ」
「……それ、だけですか?」
信じられないと言った眼差しの良歌に、俺はあえて優しい表情を作った。
「馬鹿だな。お前がゾンビになった程度で嫌うとでも思ったか? お兄ちゃんナメんなよ」
そう言って、俺は良歌の肩を抱き寄せた。
良歌は嬉しそうに頬を緩めてくれた。
◆
男爵とはいえ貴族は貴族。ジョセフさんの家はそれなりに立派で、一人だけだがメイドさんもいた。この世界の食糧事情はわからないけれど、夕食には肉が出たので、庶民と比べれば裕福なのだろう。
その夕食のおり、ジョセフさんが言った。
「君たちには2か月後、アリスの従者兼生徒として魔法騎士学園に入学してもらう」
「魔法教会から貰った冊子で君たちのことはある程度知っている。君らの世界とは違い、この世界には魔法がある。そして貴族は皆、魔法騎士学園に入学するのがならわしだ。そこで魔法の腕を磨き、国家に尽くす。それにあたって、君らには明日から魔法の訓練を始めて欲しい」
「それなんですけど、魔法ってなんですか? 俺、火属性と風属性らしいんですけど」
「魔法は、人の魂から生まれる魔力という精神エネルギーで超自然現象を起こす精神技術だ。ほとんどの魔法は四大属性と呼ばれる火、風、水、土に大別され、そこからさらに細かい系統に分かれる」
そう言えば、隣のクラスの男子が同じ火属性なのに一人は火炎系統でもう一人は閃光系統だったな。
どうやら、光は火属性に分類されるらしい。
「あとは妹さんの死霊術みたいに、どの属性にも属さないイレギュラーだね」
生きている時と同じように食事をする良歌を一瞥してから、俺はふと思い出した。
――そういえば、鑑定で回復系統って言われている生徒いたよな? なら、その中に蘇生魔法もあるんじゃないか?
「へぇ、ところで魔法ってなんでもできるんですか? たとえば人を生き返らせたり……」
探りを入れるような俺の言葉に良歌はハッとして食いついた。
「そ、そうですよ。回復魔法や死霊術があるなら、生き返らせちゃう魔法もあるんじゃないですか!?」
良歌が前のめりに尋ねると、ジョセフさんは隣のアリスと顔を見合わせた。
「流石にそれは無理だよ。アリスは水属性の回復系統使いだけど、死者を生き返らせるような力はない。昔から研究はされているらしいけど目立った成果は聞かないなぁ」
ジョセフさんの言葉に俺が肩を落とすと、アリスが好意的に微笑んでくれた。
「リョウジさんは魔法に興味があるの? だったら嬉しいな」
「ま、まぁな。俺の世界にはなかったものだし。珍しいって言うか。死者蘇生は伝説上のロマンだぜ。それで蘇生魔法の研究ってどこでやっているんだ?」
「う~ん、それは知らないけど、魔法騎士学園の図書館なら資料があるんじゃないかな。ね、お父さん?」
「うむ、あそこの蔵書量は国内でも指折りだからね」
「そうなんですか。それは入学が楽しみですね。な、良歌」
「は、はい」
研究がされているなら、可能性はゼロじゃない。
なら、良歌を生き返らせることができるかもしれない。
俺は心の中でガッツポーズを取った。
「そういえばどうして私たちを雇ってくれたんですか? 私たちの適性って、この世界だと良くないんですよね?」
良歌からの問いかけに、アリスは視線を泳がせた。
「えぇっと……兄妹別々はかわいそうだなって思って、お父さんに」
「ここだけの話、私はあまり信仰に興味が無くてね。適性をふたつ持つものは悪魔の加護を受けているという迷信は信じていない。そもそも、教会はいつも身勝手な解釈で神の権威を利用してやりたい放題。と、これは秘密にしてくれ。それに、元から娘の入学には従者をつけてあげたくてね。なら、娘の選んだ子に頼むのが一番じゃないかな?」
ジョセフさんの親バカぶりに苦笑すると同時に、迷信を信じない聡明さに感心した。
◆
夕食後、俺と良歌は客用の寝室を部屋としてあてがわれた。
少しして、良歌がトイレから戻って来た。
「お待たせしました兄さん。もったいないですけど、夕食は全部吐いてきました。この体、消化とかできないみたいなので」
「……そうか」
ぎこちない照れ笑いを作る良歌へ歩み寄ると、俺は毅然と宣言した。
「俺は魔法騎士学園に行く。そして蘇生魔法の資料を探すぞ」
良歌も大きく頷いた。
「はい。私も、こんな体のままなんて嫌です。幸い、魔法の使い方はジョセフさんが教えてくれるみたいですし、入学までの2か月、頑張りましょう」
きりっと眉を上げて、死人とは思えないヤル気に満ちた表情の良歌。
俺らは互いに拳を掲げあった。
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