6
わたしたちの数歩先を歩く楸先輩は、その長い髪を揺らしながら、時折こちらを気にするように、ちらちらと視線を向けてきた。
その表情はやはりどこか困惑した様子で、なぜ自分がここまで恐れられているのか、本気でわかっていないかのようだった。
本当に、この人は私の知る楸先輩なのだろうか。
あまりの変貌ぶりに、わたしも同じく困惑してしまう。
ユキと手を繋いだまま、ふたりして顔を見合わせて、もう一度楸先輩の方に顔を向けて。
そこでぴたりと、楸先輩は立ち止まった。
わたしたちも立ち止まり、そんな楸先輩に声をかける。
「……どうかしたんですか?」
「なに? 何かあるの?」
それに対して、楸先輩は大きな溜息をひとつ吐いてから、
「――空気が重い! 重すぎます!」
こちらに身体を向け、大きな声でそう叫んだ。
頬を大きく膨らませながら、まるでわたしたちが悪いかのように、
「何なんですか! 確かにわたし、悪ふざけが過ぎたと思いますよ? でも、それにしたって、そんなにだんまりを決め込んで歩き続けることなんて、ないじゃないですか! もっとおしゃべりしながら楽しくいきましょうよ! 空気が重すぎて、息が詰まっちゃうじゃないですか!」
「いや、そんなこと言われたって」
それに答えたのは、ユキだった。
ユキは眉を寄せながら、
「さっきもアオイが言ってたでしょ? 先輩のしたこと、絶対に許さないって」
「許してくれなくてもいいですから! お願いだからなんか喋ってくださいよ! このままじゃ息苦しくて、死んじゃうじゃないですか!」
「死にませんよ、安心してください」
冷静にツッコむユキに、けれど楸先輩は、
「死にますよ! 息が詰まって、バタンきゅ~ですよ!」
言って、実際にわたしたちの目の前で廊下に寝ころんで見せた。
わたしはそんな楸先輩に思わず目を見開く。
な、なんなの、この人。いったい、何がしたいわけ?
だって、わたしの知ってる楸先輩は、絶対にこんなことしそうな人じゃなかった。
どこか落ち着いた様子で、けれど眼光鋭くて、わたしを脅して、襲い掛かって。
本当に、この人はあの楸先輩なんだろうか?
どこかで中身が入れ替わった、偽物なんじゃないだろうか?
そんなふうに思えるくらい、キャラが違う。違い過ぎる。
「わたし、ずっとこの世界を彷徨ってましたけど、ようやくあなたたちに会えてうれしかったんです」
寝ころんだまま、楸先輩は悲しそうにわたしの顔を見つめながら、
「周り見ても誰も居ないし、真っ暗だし、どんなに心細かったことか……」
しくしく、しくしく、そこだけはわざとらしく泣きまねをする楸先輩。
……うん、違う。やっぱり、何かがおかしい。
この人は、絶対にわたしの知っている楸先輩ではありえない。
じゃぁ、だとして、この人は一体だれなの?
「わかりましたから、いい加減立ってくださいよ」
少しだけ笑みを浮かべるユキに、楸先輩もにっこりと微笑みながら、
「は~い」
軽い返事をして、よっこらせ、と立ち上がる。
服やスカートに着いた埃やしわを払うようにぱんぱんはたき、柔らかい笑みを浮かべてわたしのほうに顔を向け、
「……鐘撞さん」
声をかけてくる。
わたしはユキの手を握り締めたままで、
「はい」
と短くそれに返した。
楸先輩はわずかに首を傾げながら、
「一歩だけ、鐘撞さんに近づいても良いですか?」
その言葉に、わたしはごくりと唾を飲み込んだ。
近づいて、それでどうするつもりなんだろうか。
今、わたしと楸先輩の間には、おおよそ七歩分の距離があった。
その距離を詰めて、彼女はいったい、何をしようというのだろうか。
思わず身構えてしまうわたしに、楸先輩は小さく首を横に振って、
「大丈夫です。何もしません。本当です。私を、信じてください」
いったい、何を根拠にそんなことを言っているのか。
楸先輩の、何を信じてあげれば良いというのか。
わたしは逡巡しつつ、けれど楸先輩の柔らかい微笑みと真摯な眼差しに、どこか信じても良いんじゃないかと、根拠のない安心感を得つつあった。
わたしは彼女の出方を窺いつつ、
「――わかりました。一歩だけ、ですからね」
「はい。一歩です。一歩だけです」
頷き、何故かそのままこちらに背を向け、すたすたと数歩、前へ進んで。
「えっ?」
「なんのつもり?」
胡乱な眼差しでそれを見ていたわたしたちの方へやおら体ごと振り向くと、
「じゃぁ、行きますよ!」
にやりと笑んで、こちらに向かって駆け出した。
襲われる! と思ったけれど、怖さのあまり、足がすくんで動けなかった。
楸先輩は、そのまま先ほどまで立っていたところまで駆けてくると、だっと力強く廊下を蹴って――ふんわり廊下を軽く跳んで――わたしたちのすぐ目の前に、スカートをひるがえしながら着地した。
目を真丸くして怯えるわたしたちに、けれど楸先輩は、
「ね? 見ましたか? ちゃんと一歩だけだったでしょ?」
得意げに、嬉しそうに、微笑みかけてくるのだった。
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