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ローザリンデの戴冠式の準備は水面下で粛々と進められていた。
彼女を推奨する老獪な貴族たちが動き始めたのは、時空制御師の最愛様が降臨された瞬間から。
この世界において時空制御師様の影響は凄まじく、高位貴族どころか各国の王族も等しく恩義を感じている。
無論、我が国でもそうだ。
時空制御師様が御身を隠されたときに、言い残した言葉がある。
何時か我が最愛がこの世界に来たそのときには、私と等しい対応をしてほしいと。
お言葉に多くの疑問点が浮かんだが、誰もが質問はしなかった。
代わりに、最愛様が降臨されたときは、お言葉に従おうと。
大国の王や高位者ほど固く誓ったそうだ。
ヴァレンティーンとて、教育の一環として時空制御師様の功績や最後の言葉を学んでいた。
だからこそ、万が一にも我が国に降臨された日には、下にも置かぬ最上の待遇で迎え入れねばならないと、常に手配は整えていたのだ。
しかし。
愚かにも道を踏み外したせいで、理性ある周囲に疎まれ。
忠誠を誓ったはずの王には、嫉妬された挙げ句に忌避された。
何時かは考え直してくれるだろう。
悔い改めてくれるはずだ、と信じていた最後の願いが霧散したのは、寵姫の魅了スキルに封印が施された瞬間だったのだと、後日調べてわかった。
同じように忌避された三人と連絡を取れば、三人とも魅了から解放されたと認識している事実に心底安堵したものだ。
寵姫の魅了がなくなれば、それだけでも随分と国が落ち着くはずと考えていたのだが、想像以上に彼女が残した爪痕は酷いもので。
その中には自分たちが仕出かした罪もあった。
王から忌避された段階から贖いはしていたので、魅了の存在が明らかになれば、同情もあって、そこまで贖わずともいいのでは? と声が上がる。
その程度には、己の罪と向き合ってきた。
自分と向き合うのに時間がかかったのは、ヴァレンティーンとクサーヴァー。
ユルゲンとイェレミアスは驚くほど素直に己の過ちを見つめて、真摯に向かい合った。
持つべき誇りと見栄の違いをまざまざと見せつけられて、クサーヴァーと二人で無様にも慰め合ったものだ。
そうして、今度は間違えないように。
魅入られぬようにと、慎重に努力をし続けた結果。
女王になるローザリンデの、王配として立てるまでになり得た。
ヴァレンティーンがいない場所で、ローザリンデが自分の伴侶はヴァレンティーンしかつとまらぬ! と言い切ってくれたと聞いて、喜びに一人身悶えた記憶も新しい。
断罪が行われた大広間で、戴冠式が行われるとは、何とも皮肉なものだ。
本来戴冠式は神殿で行われる。
しかし今回は神殿が譲歩し、大神官が王城まで足を運ぶという形が取られた。
神殿が王家へ屈したと見る者も少なくなかろうが、実際は違う。
女王となったローザリンデの方針は、同じ立ち位置で協力し合う関係だ。
神殿側とはかなり綿密な打ち合わせがなされている。
これを覆せる勢力は現在、神殿側にも王家側にもいないだろう。
既に出ている杭は全て引っこ抜いたのだから。
大広間の扉が開き、ローザリンデがゆったりと歩いてくる。
誰もが見惚れる高貴な美しさを纏うローザリンデに、思わず口の端が緩んでしまう。
ローザリンデは戴冠式のためだけに誂えたドレスを身に纏っていた。
伝統的なローブデコルテと呼ばれるドレスは、純白。
ただし金糸で国の紋章が美しく縫い付けられている。
宝飾類も戴冠式用のものが用いられていた。
時空制御師様が授けたとされている、大粒のダイヤモンドを何粒も使った豪奢かつ繊細なデザインは、二つとないものとされており、他国の王妃や王女の羨望の的だとか。
そのネックレスだけでも国が買えると謳われているが、その他の身につけている宝飾品を合わせたら、一体幾つの国が買えるのだろう。
何より、その宝飾品全てを身につけても負けぬローザリンデの典雅さには惚れ直すしかない。
ドレスの上に羽織っているローブは、強く希少なモンスターとして有名なロイヤルホワイトベアーを使用しているようだ。
あれほどの艶はどうやって出すのだろうか。
肩こりになりそうね……と溜め息を吐いていたローザリンデを思い出す。
イェレミアスが冷や汗を掻きながら、重量軽減の効果をつけたので、その効果が発揮されて少しは楽になっていればいいのだが。
華奢な靴では歩きにくかろうに、ローザリンデの歩みは何処までも優美だった。
絨毯の上をドレスとローブがするすると滑っていく、微かな布の音以外はしない大広間を歩ききったローザリンデは、大神官と王冠が待つ場所へと辿り着く。
嫋やかに腰を折った。
「公爵令嬢ローザリンデ・フラウエンロープに祝福を」
大神官のみに与えられるというスキルは幾つかあるが、そのうちの一つ。
御言葉《みことば》は、指定した全ての者に声が届く。
恐らくこの国全土に響き渡っていることだろう。
言葉のあとで聖杯がローザリンデへと授けられる。
大神官は聖杯へ聖水を注いだ。
この流れで、ローザリンデへの祝福が完了するらしい。
「プリッツダム王国女王、ローザリンデ・アインホルンに祝福を」
新たな御言葉のあとで、ローザリンデが聖杯の中身を飲み干す。
これで神の代理たる大神官が、国王を祝福したとなるのだ。
聖杯が戻されて、再び頭を下げたローザリンデへ王冠が載せられる。
前国王がかぶっていたときより輝かしく見えるのは、気のせいでもなさそうだ。
プリッツダム王国の王冠は、王を裁定し、その身に相応しく輝くという逸話がある。
徹底して躾けられているはずの高位貴族たちの口から、歓喜の声が幾つも上がった。
「ヴァレンティーン・ローゼンクランツ殿。前へ」
「はっ!」
大神官に名前を呼ばれて足を運ぶ。
ローザリンデと違い、すぐ近くに控えていたので、間を置かずに先ほどまでローザリンデがいた場所に跪けた。
ローザリンデは用意された玉座へと腰を下ろし、ヴァレンティーンへ甘やかな微笑を向けている。
ヴァレンティーンも同じ微笑を返した。
「ローザリンデ女王即位に伴い、ヴァレンティーン・ローゼンクランツは、王配となる。ヴァレンティーン・アインホルンに祝福を」
聖杯が手渡されて、聖水が注がれる。
共犯者の微笑を浮かべた大神官に促されるまま、聖杯に口をつけた。
先ほどローザリンデが口をつけていた場所と寸分違わぬ場所だ。
イェレミアスあたりに揶揄われそうだが、今は考えまい。
聖杯を傾けようとしたその瞬間。
「異議あり!」
あり得ぬ言葉が聞こえた。
言祝ぎしか紡がれぬはずの大広間に入り込んでしまった異分子。
本来なら歓迎されるべきはずの人物。
「ローザリンデの夫ならば、我が一番相応しいだろう!」
ぎらぎらと光る宝石を鏤めた下品な衣装を身に纏い、胸を張って堂々と中央へ躍り出たのは光制御師の最愛。
ヒルデブレヒト・プリンツェンツィング。
光制御師の最愛ならば、確かに王配として歓迎される。
公爵家末子ならば、身分的にも許される地位だ。
しかしヒルデブレヒトは悪名が高すぎる。
最愛でなければ遠い昔に、最低でも平民に落とされるはずの罪を犯しているのだ。
「ヴァレンティーンのような罪深き者が、ローザリンデの夫だなんて、おかしいだろう? さては神殿に献金でもしたんだな!」
動じない大神官の微笑が一段と深くなる。
歴代大神官で最も清廉とされる大神官に向けられる暴言として、これ以上不似合いで不敬なものはないだろう。
「女王たる我の名を呼び捨てる、貴様は何者か?」
「え? は? ローザリンデ? どうしちまったんだ? 何度も娼館まで足を運んで、お前を買ってやった俺様だぞ?」
心底不思議だ、そんな表情をしたまま暴言を撒き散らすヒルデブレヒトに対して、憎悪が込み上げてくる。
「プリンツェンツィング家の末子は世迷い言しか申せぬのであろうか? プリンツェンツィング当主よ! 答えよ!」
「はっ! 女王陛下に申し上げます。そこな者は既に公爵家の籍を抜いておりますために、責任は取りかねます」
「え? は? 嘘だろ、父上。俺様は光制御師の最愛だぞ!」
廃籍届はまだ出ていなかったはず。
この場で言い逃れをするとは、プリンツェンツィング家も終わったな。
『いいえ、光制御師はその名を取り上げられました。ですから今この世界に、光制御師の最愛は存在しません』
何処からともなく声がする。
人が揃って頭を垂れる覇気溢れる声音だ。
ヴァレンティーンは深く頭を下げた。
大神官も、ローザリンデも、大広間にいる何人かを除いたほとんどの者が、降臨した存在に敬意を払う。
「え? はあああ? げくっ!」
非常識の塊なヒルデブレヒトの口から出た不思議がる声は、押しつぶされたような苦しみの呻きに変化する。
恐らく敬意を払わぬ者に威圧がかけられたのだろう。
立ちっぱなしだった他の者も強制的に絨毯へ額ずく体勢にさせられた。
ヒルデブレヒトもそうだ。
尻を高く突き上げる間抜けな格好を取らされていた。
『時空制御師より申し渡す。光制御師はその名を剥奪。代わりはしばらく選定されぬ。その最愛も同じく称号剥奪。魔制御師は新たなる最愛を選定。現最愛の称号を剥奪。魔制御師の暴走を緩和すべく、間を置かず聖制御師が選定される。水制御師はその称号を剥奪。代わりは間を置かずに選定される。現最愛の称号を剥奪。現時点より遡り、最愛の称号を得てからの犯罪に関しては、法に則って裁くよう、女王に命ずる』
「御言葉を有り難く賜ります。罪深き者には相応しき罰を与えると、宣誓いたします」
『プリッツダム王国女王、ローザリンデ・アインホルンの御世に栄えあれ』
時空制御師の言祝ぎに、思わず顔を上げてしまう。
初めて見る美しさの極みがそこにあった。
『我が最愛を煩わせることがなきように願う』
言祝ぎよりは抑えた声で、しかし圧倒的な迫力で紡がれた言葉に、再び頭を下げた。
降臨はわずかな時間。
愚か者以外の緊張が途切れることはなかった。
「罪人を一時牢へ。大神官様、我が王配に聖水を賜ってもよろしゅうございましょうか」
「ええ、許します。ヴァレンティーン・アインホルン。聖杯の聖水を飲み干しなさい」
「は!」
捕縛されて喚いていた輩の声が封じられた機を見計らって、聖水を飲み干す。
ほんのりとした甘みが隅々まで染み渡るようだった。