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右手にエリス、左手にユルゲン、背後にイェレミアスという完璧な護衛に囲まれて、ローザリンデの戴冠式を見守った。
戴冠式用の衣装に身を包んだローザリンデは、誰もが見惚れる女王の佇まいで、粛々と大神官の元へと歩み寄り、祝福を受ける。
向こうの世界では夫の関係で王族と接する機会もあったが、ローザリンデほど親しくなった相手はおらず、そもそも戴冠式が行われなかったので、こんなにも近くで戴冠式を見るのは初めてだ。
初めてがすばらしい特等席でしみじみ幸せを噛み締めていたのだが、隣に夫がいないのだけが残念だ。
典雅を極めたようなローザリンデが玉座に座れば、直感的に彼女の治世が長く豊かに続く気がした。
予感は恐らく現実となるだろう。
予知系のスキルは持っていないが、水面下で目覚めている気がする。
夫に封印されてしまうかは微妙だが、持っていると問題しかなさそうなので、むしろ表示されるようになった時点で封印をお願いしたいところだ。
心の中で頷いていると、ヴァレンティーンの名前が呼ばれる。
ローザリンデより嬉しそうなのが微笑ましい。
初恋は実らないと言われるが、実る初恋があってもいいだろう。
実際私も同じなので、そこはかとない親近感があった。
聖水って美味しいのかしら? と、信者が聞けば睨まれるだけでは終わらないだろう不敬な考えをしていたら、問題児の一人が、暴言を吐いた。
吐きまくった。
親の教育を疑いたくなるが、それだけではないだろう。
元々の素地がなければ、あれほど愚かな人間にはならないはずだ。
「プリンツェンツィング公爵家、終わったな!」
鼻息も荒くエリスが吐き捨てる。
イェレミアスが音を消す結界を張ってくれているので、エリスの発言は本人を含めた四人にしか聞こえない。
「まぁ……歴史はそれなりにあるし、分家には苦労人も多いので、連座はほどほどにしてほしいですがねぇ……」
イェレミアスが大げさに肩を竦めている。
「イェレミアスに賛同する。勿論駄目な分家も少なくないから、そちらは連座でも問題ない。むしろ連座をお願いしたいところだが」
ユルゲンの毒舌が冴えた。
たぶんこれは珍しい。
それだけ思う所があったのだろう。
血筋の者だと豪語する愚か者ほど、その血筋が薄く、優秀な能力を受け継いでいないのは、向こうでもよくある話。
速やかに邪魔者は排除されて、騒然としていた場も収まった。
玉座の隣にヴァレンティーンが座り、その反対側に大神官が座ったときは、再びざわめいたが、先ほどより混乱は少なかったようだ。
まぁ。
神殿と王城の仲が改善されたのだと。
高位貴族ほどしっかりと情報を掴んでいるからだろう。
「最愛様、結界を解きますよ」
「はい。お願いします。本当に、頭を下げなくていいの?」
「逆に下げたら駄目ですって。時空制御師様が怒っちゃいますよ!」
「本当に、心からそう思っているのなら、お前もその言葉使いをどうにかしろよ……」
物申したところで無駄だが言わずにはいられない……そんな思いが込められたユルゲンの言葉にも、イェレミアスは何処吹く風だ。
「お前が悩む必要はないぞ、ユルゲン。悩むだけ時間の無駄だ」
「バザルケット殿……」
「イェレミアスも馬鹿ではないし、空気も読める。結界を解いてまで、己を突き通さなかろうよ」
エリスの言葉にイェレミアスはチェシャ猫笑いをした。
不思議と腹は立たないし、夫からの言葉もない。
優雅に腰を折ったと思ったら、結界を解除したらしい。
周囲から、最愛様! と声が上がった。
眩しいものを見る眼差しが集中してつらい。
エリスを隣に玉座の下まで足を進める。
ローザリンデもヴァレンティーンも、大神官までもが腰を上げて、私の元へと歩み寄った。
「おめでとう。ローザリンデ、ヴァレンティーン。そして、御足労お疲れ様です、フュルヒテゴット様」
「最愛様、我のことは呼び捨ててもらわねば、時空制御師様よりお叱りを受けてしまいますわい」
「いいえ、主人は怒りませんわ。私はただ尊敬できる、年配の方への礼儀を失いたくはないだけですもの」
「そうでございますか?」
「お困りのようでしたら、大神官様とお呼びいたしますわ」
「是非に、フュルヒテゴットとお呼びください!」
「はい。ではそうさせていただきますね」
フュルヒテゴットは良いお爺ちゃん。
彼が足を踏み外さない限り、私は敬意を払い続けるだろう。
また良からぬことを考える輩にも、いい牽制になるはずだ。
時空制御師の最愛は、王城関係者とも神殿関係者とも仲睦まじいと。
「言祝ぎ光栄です、最愛様」
「本当にありがとう存じます、最愛様」
「あら、ローザリンデにはアリッサと呼んでいただかないと」
ころころと笑ってみせる。
ヴァレンティーンにはまだ早い。
本人もローザリンデも同意見だろう。
そう遠くはない未来に同じ呼び名を許すとは思うけれど。
「では、アリッサ様。このあとは用意された部屋で、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
「後ほど、ローザリンデとともに、伺わせていただきます」
「ええ、ゆっくりと待たせていただきますね」
「よろしければ、儂にエスコートの栄誉を賜りたく……」
フュルヒテゴットはここで退場らしい。
これから大広間は女王と王配の挨拶の場になるから、問題ないのかな?
「フュルヒテゴット様には誠にありがとうございました。どうぞ、アリッサ様とともにおくつろぎくださいませ」
「うむ、そうさせていただこうかのぅ」
ここは神殿を慮ったというより、私同様に尊敬できる、年配の方への配慮なのだろう。
粛然とした儀式の場は心身ともに疲弊するものだし。
深い皺が刻まれた手にエスコートされて、大広間を出て行く。
背後ではフラウエンロープ夫妻の喜びの声が大きく上がった。
「フュルヒテゴット様も断罪には参加されるのですか?」
「参加させていただく心積もりですわい。特にハルツェンブッシュ子爵家末っ子には煮え湯を飲まされましたからなぁ」
聖水の件はフュルヒテゴットもお怒りのようだ。
神殿の権威を揺るがしかねない行動だし、何より偽聖水を買って酷い目に遇った人々のつらさを目の当たりにしているだろうからね。
「人としては随分長く生きておりますが、ここまで制御師や最愛が排除されるのは初めてですからのぅ。その辺りも気になっております」
「世界の均衡的なお話ですか?」
「いやいや。そんな高尚なことは考えておらんのですよ。ただ、ほれ。時空制御師様のお怒りが、どのような形で表れるのかと……不敬ではございますが、この目で見てみたいと……」
何度も長い髭を擦っている。
不敬に当たるのか、心配なのかもしれない。
しかしフュルヒテゴットからは夫への純粋な敬意と憧れしか見えないのだ。
夫とてこれでは怒りようがないだろう。
「ふふふ。ローザリンデに一任した以上、夫の怒りを感じられないかもしれません。ただその……断罪の場で愚かな行動を取る者がいましたら、どうなるかはわかりませんが」
「ふむふむ。彼らに何か仕出かしてほしいと思うのはこれが初めてですな!」
「我も同意しようかな」
エリスまでもが共犯者の微笑を浮かべている。
困ったお爺ちゃんにお婆ちゃんだ。
まぁ元気で何よりだけれど。
王城の中を速やかに移動していると、随分奥まった場所まで連れてこられた。
隠し部屋的なものなのだろうか。
「万が一のときに、時空制御師様が干渉しやすいように、王城内に設けてある神殿に近しい間を用意してもらったんじゃよ」
「王城内に神殿や祈りの間は幾つか用意されておりますが、こちらは王族と許された者しか足を踏み入れられぬ場所でございます」
ユルゲンが説明してくれた。
意外だが警備の関係上、王城の地図は完璧なのかもしれない。
「お待ちしておりました」
部屋の前でクサーヴァーが控えていた。
これで一息つけると反射的に思ってしまう。
それだけ彼の執事としての振るまいが完璧なのだと信じているのだ。
執事に憧れを持ちすぎな自覚はあるし、夫の声もないので、大丈夫だろう。
「どれ、我は王城神殿で祈りを捧げてから伺いますわい」
「神殿内ではマテーウス殿がお待ちでございます」
「はぁ。儂は一人で大丈夫じゃと言ったのだがのぅ。自由な時間もここまでとは!」
大げさに身悶えるフュルヒテゴットの肘を、エリスが軽く突く。
「それだけ、お主の振るまいが心配なのじゃ。甘んじて受けるがよろしかろう」
「ぬぅ。バザルケット殿に言われたくはないのぅ」
そこまで親交がなさそうだったが、意外にも二人は仲が良さそうだ。
好ましい二人なのでほっこりと見守る。
フュルヒテゴットがひらっと手を振って、その手を王城神殿の扉にあてる。
扉は重々しい音を立てて開いた。
中ではマテーウスが待ち構えており、フュルヒテゴットより先に私へと頭を下げる。
早速フュルヒテゴットへと何やら文句を並べ立てるマテーウスが、閉じていく扉の向こうへと消えた。
「……断罪まで間があるけど、あいつらは大丈夫なのかい?」
「牢番が称号を失った犯罪者は、一般的な犯罪者よりも対応が容易いと申しておりました」
「あー確かに。あいつらが武に秀でていたり、策謀を巡らせたりする頭があるはずがないもんなぁ」
クサーヴァーの言葉にエリスが大きく頷く。
ユルゲンも同じように頷いていた。
王城内の牢であれば、俗に言う貴族牢と呼ばれる、そこまで粗悪な牢でもないのだろうけれど。
甘やかされていた彼らに取って、そこで過ごす時間はさぞ苦痛に違いない。
贖いは、既に始まっているようだ。
四人で軽食を楽しみながら待っていると、フュルヒテゴットがマテーウスを連れて部屋に入ってくる。
更にしばらく経ってから、ローザリンデとヴァレンティーンが現れた。
このメンバーなら隠すつもりがないと思ったのか、二人は疲れ切っているようだ。
「まずは、お着替えをなさいましょうか」
いそいそと座ろうとした二人をクサーヴァー他、従者とメイド数人が囲い込んで連れて行ってしまった。
戴冠式用の衣装では満足にお茶も飲めないらしい。
さすがに汚されるのは怖いものね。
「大変ですねぇ。フュルヒテゴット様は大丈夫ですか?」
「年を取ってから新しいスキルをいただいてのぅ。正装している間はほとんど疲れぬのじゃよ。この本来なら重たい帽子も、ほれこの通り!」
神殿関係者がよくかぶっている、精緻な刺繍と細やかな宝石が鏤められている帽子が飛んでしまわないか心配になる激しさで、フュルヒテゴットが首を振ってみせる。
テレビで見たヘッドバンギングを想像してほしい。
何ともシュールなのだ。
年寄りの冷や水……この場面に相応しい慣用句が浮かんだが、当然沈黙を守った。
「フュルヒテゴット様! お馬鹿なことはおやめください! 神殿の権威が! フュルヒテゴット様の印象が!」
「今更じゃよ、マテーウス」
「生温いお顔で御覧になっていないで、止めてください、エリス様!」
「……と、まぁ、これぐらいに疲れぬのじゃ」
「すばらしいスキルですね。日々仕事に研鑽された賜物でしょう」
夫を見習って完璧な微笑を浮かべておく。
フュルヒテゴットが満足げなのでよしとしよう。
「……久しぶりの本格的な腹の探り合いは本当に疲れます……」
「リンデ漏れてます。漏れすぎです」
「この顔ぶれならば問題もないでしょう。そうですよね、アリッサ様」
「そうね。女王たるもの苦労は多いのだから、気の置けない仲間とともにあるときぐらいは、素でいいと思いますよ」
私もあえて屈託のない微笑を心がけながら、ローザリンデではなくヴァレンティーンに向けて言葉をかける。
「……最愛様がおっしゃるのであれば……私も、失礼してもよろしいでしょうか?」
「勿論」
「どんな嫌味よりも、親族の良かったねぇ、ティーン! という、にやけた笑いが恥ずかしかったです!」
力説するヴァレンティーンの頬が赤い。
幼い頃から彼を見てきた者たちにとっては微笑ましいのだろう。
初恋が叶って良かったね、と。
「贅沢な悩みだな、ティーン」
「わかってるわ! あ、そういえばアス。気をつけとけよ。中立派と過激派が揺れてたぞ」
「はははは。好きなだけ揺れればいいよ。俺は王城派じゃなくて、ローザリンデ女王派なだけだから」
パワーバランスが崩れるのかな?
イェレミアスの魔法は凄まじいようなので、切実なのかもしれない。
「エリス様もです。ユルゲンに注視する者は少なかったですが、エリス様に関しても探りを多く入れられました」
「我のことは気にせんでいいぞ? 今まで通り、己の好きにする。一族の方はさて……しっかりと言い聞かせておく必要がありそうだが」
エリスが不敵に笑えば、ぞくりと背筋に怖気というよりは緊張が走った。
背筋を正す感じかな。
一族の中に困った者がいるらしい。