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第十二章 残された黒糸
ククレアが闇に飲まれて消えたあと、広場には不気味な静寂が残っていた。
皆が追いかけようと身構えたまま動けずにいる。
まるで、黒い糸だけが心臓の鼓動を奪い取ったかのように。
影が深く息を吐く。 「……逃げられた。今の闇は完全に、我々の影とは別物だ」
雷花が肩で息をしながら棍棒を見つめる。
先ほど奪われた“自由”が、まだ棍棒の先に染み付いているようだった。
「ねぇ影……さっきの闇、なんか普通じゃなかったよ。
あれ、ククレア自身が使ってた?」
影は首を横に振る。
「否。
奴の操りの力は“切ることで自由を奪う”こと。
だが、さきほどの闇は……別の術。
“舞台から役者を退場させる”ような、そんな意図を感じた」
雷花の眉がひそむ。 「誰かが……ククレアを引き戻したってこと?」
影は答えなかった。
代わりに、胸の奥に沈んだ嫌な直感が鋭く鳴る。
(……誰だ。
誰かが裏で糸を張っているのか?)
その時だった。
「――っ……!」
桜姫がふらりとよろめいた。
勘老が慌てて支える。
「お、おい姫様、大丈夫か!」
桜姫は口元を押さえ、胸元を震わせていた。
さきほどククレアの消失の瞬間、あの闇が桜姫の方向にも一瞬伸びていた。
その影響が、まだ体に残っているのだ。
影が駆け寄る。
「姫様、無理はなさらぬよう……!」
桜姫は弱々しいが、確かな声で言う。
「わらわは……平気じゃ……。
ただ、今の闇に触れたとき……ほんの一瞬――
誰かの“舞”を感じたのじゃ……」
影と雷花が同時に息を呑んだ。
「舞……? 誰のです?」
「ククレアとは違う……柔らかくて……懐かしい……そんな気配……」
桜姫の目が震える。
「……あの気配は……
――弟の舞、じゃ……」
静まり返る広場。
その一言は、どんな物より重かった。
雷花が目を見開く。 「姫様の弟……行方不明だったって、影が言ってた……」
影は拳を握りしめる。
ククレアの背後に、桜姫の弟の存在がある……?
勘老が唸るように呟いた。
「つまり……姫様の弟が、サギに操られとる可能性がある……いうことか」
その言葉に、桜姫の表情が痛みに歪む。
しかし彼女は涙をこらえ、ゆっくり首を横に振った。
「操られているのなら……なおさら……救わねばならぬ……。
弟は、まだ……生きておる。
わらわは……確かに感じたのじゃ……!」
その声は震えながらも強かった。
影が沈黙を破るように立ち上がる。
「……姫様のためにも、このままにはしておけぬ。
ククレアが残した“痕跡”を調べよう」
影は地面に手をかざし、周囲の影を集めるように動かす。
すると――
黒い光を帯びた“細い糸”が、瓦礫の隙間から姿を現した。
雷花が目を丸くする。 「あっ……何それ!? ククレアが落としてったの……?」
影は慎重に糸を摘み上げる。
その糸は微かに震えていた。
まるで、まだ何かを操っているかのように。
「これは……恐らくククレア自身を操る“元の糸”……
黒幕にとって、彼女は“人形”にすぎない」
勘老が低く唸る。
「この糸を辿れば……“糸の持ち主”にたどり着ける可能性があるのぉ……」
桜姫が息を呑む。
そして――震えながらも言葉を紡ぐ。
「その糸の先に……弟も、おるのじゃろうか……」
影はその手をそっと握り、静かに言う。
「必ず、見つけます。
姫様の弟を……
そして、この闇の操り糸をすべて断ち切る」
雷花が拳を握りしめて立ち上がった。
「よし! あたしも行く!
こんな気味の悪いヤツ、野放しにはできないしっ!」
勘老も酒瓶を置いて、キッと目を細める。 「わしの直感も騒いどる。
今動かずして、いつ動くかってんじゃ」
刀の都の空が、薄い明け色に染まり始める。
影は黒糸を懐にしまいながら、静かに呟いた。
「――夜明けは近い。
だが、闇はまだ終わらん」
桜姫が小さく頷いた。
その瞬間、桜の花弁が一枚だけ風に乗って落ち、彼らの足元に触れた。
それはまるで、
“ここからが本当の舞台だ”
と告げる幕開けの合図のようだった。
・つづく