僕と南野さんがこの騒ぎのなか、見つめ合っていた時間はそれほど長くはなかっただろう。
けれども彼女が何かを決心して、僕に託そうとしたのが分かる。
「あけて……っ、ごめんなさい、通して……っ」
そうして人だかりをかき分けて、気づけば南野さんがデュラハンに相対していた。
その右手には黒く長いケースが握られている。
僕から見る角度では背中しか見えないけど、その左手は胸に手を当てて、上下する肩は恐怖に乱れる呼吸を、鼓動を如実に表しているのだろう。
そんな彼女が僕に振り返る。それは自惚れでも勘違いでもなく、確信できる。美しく可愛く、優しく聡い彼女は僕へと振り返り、声にして託してくれたのだから。
「音無くんっ! わたしたちならきっと、やれるから! 君なら分かるから……だからその時はお願い……っ! わたし、頑張ってみるから!」
「──ああっ、頑張れっ!」
柄にもなく、大きな声を出せたと思う。
僕の返事を聞いた南野さんは、再びデュラハンに向き直って、右手に持つ箱を開け中身を取り出した。
箱から出てきたのは一本の棒。銀色に煌めく細やかな装飾が美しい棒だ。
僕はそれをテレビでしか見たことがない。けれどとても綺麗だと思った記憶がある。僕には到底出来ないものだ、とも。
彼女は銀の棒を口に咥えて、整えた呼吸で奏ではじめた。
美しい旋律を。
完全無欠、どこからどう見てもいいところの育ちの彼女は習い事も良いところの子らしくピアノに書道、華道やバレエといくつも掛け持ちし、その全てで優秀な成績を収めている。
その美しきフルートの音色も彼女が得意とするひとつだとあとで聞いた。
心安らぐ旋律が皆の疲労を癒していくようで、とはいえ肉体の損傷までは及ばないらしいのが残念ではある。
しかし……
「……長くね?」
そう、かれこれ二分は彼女の音色を聞かされている。
「デュラハンそれでいいのか」
「モンスターも聴き惚れてるんだよ、きっと」
次第にクラスメイト側のざわめきが大きくなるなかで、それでも南野さんは演奏を止めない。一瞬音が途切れたかと思えば調子を変えた感じでまだ続いていく。
「これは……そんな!」
そのうち一人の女子が何かに気づいたらしく、南野さんを見て絶望的な表情をしていた。
「どうしたんだ?」
誰もが注目するなか、彼女は言った。
「この曲……年末に予定してた讃美歌の演奏で……とりあえず練習しまくろうってことで繋げて繋げて……やり過ぎて五十分にまでなったやつなのよ……」
「授業時間丸々じゃないか……っ!」
「そんなっ、演奏しきる前に南野さんが酸欠になるわっ」
「立ってるだけでもつらいのに!」
どうも彼女のお友だちらしい女子の発言で南野さん大好きなクラスメイトたちに激震が走った。
演奏する彼女のそばに椅子を置いて、水筒のお茶を待機してうちわで扇ぐやつまで出てきた。みんなデュラハンへの恐怖心より南野さん好きの心がそうさせたのだろう。
その甲斐あってか、南野さんは長きにわたる演奏をやり遂げ、クラスメイトのスタンディングオベーションを一身に浴びていた。
ちなみにデュラハンは演奏が終わった時には光の粒になって消えていた。
「いよいよあと一体ってことね」
「南野さんで倒せるのか……?」
「それにしてもデュラハンはなんで」
「そりゃあ聴き惚れていたからに決まってるだろ?」
勝利の拍手が鳴り響くなかで聞こえたそんな会話だったが、僕は別の解を導き出し、こちらを見つめる南野さんの視線がそれを肯定していた。
もういっそそれだけでいい。見つめあえて分かり合えるだけで幸せなのに。
僕にお鉢が回ってくる。南野さんはそこまで読んでいて僕に伝えてくれる。
「最後のやつがくるぞ!」
「うっせえ、役立たずっ」
「ひぃんっ!」
とうとう担任教師が罵倒されたがそれも致し方なし。
これが最後の敵。モンスターが生まれる光景も見納めだろう。最初のスライムを除けば以降はずっと人型に変化した土塊は、またしても人型で──妖艶な美女だった。
金髪金眼、透き通るような白い肌に柔らかな布一枚の姿はまるで天使か聖女か。
最後のモンスターはそのうえ、口をきけた。
『言っておくぞ小娘……音の魔術は妾には効かぬ。妾のまとう魔術障壁が音波など簡単に防いでしまうからの』
「うぅ……っ!」
恐らくも何も、南野さんのスキルはそういうことなのだろう。彼女の奏でた曲は終わりと共にデュラハンを消滅させたのだ。いわゆる浄化というやつとみて良い。
対して現れた美女、もといモンスターはいかにも魔術特化ですよといった見た目に美しさ。とにかく美しい。輝くほどに、心乱される。
「え、えいっ!」
『たわけ』
戦闘はいきなり始まりいきなり終わった。
音が効かないと告げられた南野さんは、あろうことかフルートで美女を叩いて、代わりに額にチョップという突っ込みを食らっていた。
美しいチョップだった。その指、その手、その腕から繰り出されるチョップを僕も受けたいと思うほどに。
そんな羨ましい攻撃を受けた南野さんは、泣く演技をしながら駆け寄ってきた保健委員女子の懐に飛び込んで退場していく。
よく分からない茶番にクラスメイトも動揺が隠せないようだ。
そして当然この美女をどうするか、という問題に行き当たる。
だけれど僕は動じない。すでに託されているのだから。
ずっと陣取っていた隅っこを今こそ出ていこう。
クラスのアイドル、優等生美少女委員長のバトンを受け取るため、隅っこ族から脱却するため。
今日この日のことは全て僕のためにあったんだ。
静かに、クラスメイトの人垣をすり抜けて、彼女がいるところへ。
美女と相対するため。
「音無くん、やってくれるよね?」
「うん、任せて──」
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