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壊れた人形のように動かないアンドレアスを見下ろしながら、ヨーランは大声で笑い出したいのを必死に堪えていた。
(馬鹿が! ルツィエに手を出そうとするからだ)
皇宮でアンドレアスがルツィエを抱きかかえたことを知り、ルツィエを略奪するつもりなのだという噂を聞いたときから、ずっとこの邪魔者を殺してやろうと思っていた。
しかし、自分が手を下したと思われれば体裁が悪いし、何より「アンドレアス」を溺愛している母后に憎まれてしまうかもしれない。だからアンドレアスには事故死してもらう必要があった。
忌々しいこの男を外出に誘い、勝負に持ち込んだのもそのため。事前に仕掛けておいた落とし穴にはめてやった。あの速度で落馬して地面に叩きつけられれば無事では済まないだろう。
そしてこれは偶然の事故だから、自分は何も悪くない。
母は最初こそアンドレアスの死に衝撃を受け、外出に誘ったヨーランにきつく当たるかもしれないが、それさえ我慢すれば今度は自分に目を向けてくれるようになるはずだ。
(この様子では確実に死んだな)
ヨーランがとうとう堪えきれずに頬を緩ませた。
アンドレアスが死ねば、自分が新たな皇太子になれる。
そして近い将来、皇帝に即位し、このノルデンフェルト帝国で最も尊い存在となる。
ルツィエもそんなヨーランに心酔し、全身全霊で愛してくれるだろう。
(もうすぐ、望んでいた全てが手に入る)
ヨーランは歓喜に身震いした。
「アンドレアス殿下、しっかりしてください! どうか返事をしてください!」
しかし、完全な勝利を味わっているすぐ横で、ルツィエはまだアンドレアスに呼びかけ続けている。もうそんなガラクタの相手などする必要はないのに。
「無駄だ、ルツィエ。兄上はもう死んだんだ。残念だが、これもまた運命だったんだろう。とりあえず亡き骸はここに置いて、僕たちは皇宮に帰ろう」
「でも……!」
「ほら、脈だってもう無い。これ以上呼びかけたって無駄……」
ヨーランがアンドレアスの手首の脈を確認して、また立ち上がろうとしたとき、アンドレアスの手がゆらりと動いた。
そして金髪を揺らしてむくりと起き上がり、赤い目をすがめてヨーランを歪んだ笑みを浮かべた。
「ずいぶん面白いことをしてくれるじゃないか。泣き虫皇子の分際で」
「は……?」
アンドレアスの声には普段とは違う棘があり、他者を嘲る響きがあった。
いつもの穏やかな彼とは別人のような口調に、ルツィエは洞窟での出来事を思い出して硬直した。
ヨーランもアンドレアスのただならぬ雰囲気を感じ、目を見開いたまま動けずにいる。
「落馬事故に見せかけて殺そうとしたんだろう? この俺を。お前ごときが」
「そんな……まさか……」
「裏切り者の弟の首を今すぐ刎ねてやってもいいが、おかげでこうして出てこれたからな。今回だけは見逃してやってもいい」
「あ……兄上、違うんです! 僕が兄上を殺そうとなんてするはずないではありませんか! 僕はただあの目障りな奴に立場を分からせようとしただけで……!」
ヨーランが急に顔を青褪めさせて、ガタガタと震え出す。
その瞳には恐怖と怯えの色が浮かんでいて、今までルツィエが見たこともない姿だった。
一体何事かと眉をひそめると、突然アンドレアスがルツィエを引き寄せ、乱暴に顎を掴んだ。
「なるほど、お前が入れ込んでいるだけあって、たしかに稀に見る美人だ」
「は、はい、ルツィエは僕の婚約者で、喪が明けたら結婚する予定──」
ヨーランの返事がまだ終わらないうちに、アンドレアスがルツィエの顎を上向かせた。そして、強引にルツィエの唇を奪った。
「……っ!」
「兄上! なぜですか!? ルツィエは僕の……!」
悲痛に叫ぶヨーランを横目で見ながら、アンドレアスが愉悦の笑みを浮かべる。
「勝負に勝ったらこの女とキスできるんだろう? 先にゴールしたのは俺だ。それにお前にこれほどの美人は勿体無い。今日から俺のものにする」
「そ、そんな……駄目です……ルツィエだけは……」
「なんだ? 文句があるのか?」
アンドレアスが立ち上がってヨーランの襟首を掴む。
アンドレアスの刺すような睨みから、ヨーランは静かに目を逸らした。
「…………いえ、文句などありません」
「なら決まりだな。ヨーラン、お前はいつでも俺を立ててくれる良い弟だ。もちろん、都合が良いという意味だがな」
アンドレアスはヨーランを突き飛ばすと、ルツィエの腰を抱き寄せて耳元で囁いた。
「今日から俺はお前のものだ、ルツィエ」
いつものアンドレアスなら言うはずのないその言葉を聞いて、ルツィエは身体中が氷のように冷えていくのを感じた。