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「瀬古さん、それは関係ないでしょ〜セクハラっすわ」
ピリピリとした空気とは相反した明るい声。
「吉川さん、すいません。瀬古さんめっちゃ人見知りなんすよ。僕も最初だいぶやられたんで仲間ですね」
「え?」
木下がいつのまにか瀬古とほのりの間に立ち、愉快そうに笑顔を浮かべている。
(この人の言い方に人見知りとか関係ある……?)
「俺は人見知りちゃうぞ! しかもセクハラもしてへん!」と、瀬古が叫んでいるが、そっちのけで中田に話しかける木下。
「支店長、ほんなら吉川さんと外回れって言ってたんはどないしたらええっすか」
「……ああ、そうだな、事務の仕事はとりあえず俺も手伝うから明日からは昼から動くか」
中田がややテンポを遅らせ答えると、木下はほのりの方に振り返った。
「午前中、事務所のことやってもらって昼から外出なるみたいですけど。僕もやれること手伝わせてもらうんで、ちょっとの間お願いします」
そう言って申し訳なさそうに、顔の前にゴメンと手を上げる。
彼が謝ることではないと思うのだが、どうやら予想どおりのムードメーカー的存在みたいだ。ほのりは自分の言い方も、今の立場上恐らく正解ではなかったのだと反省しつつ。
「お願いします」
と、軽く頭を下げた後、
瀬古と支店長に向き直す。
「でしゃばった言い方をして、すみませんでした」
「いや、まあ、俺も言い方がダメだったな、申し訳ない」
すぐに中田が答えた隣で、瀬古は死んでも謝るか! らしき空気を醸し出しながら横を向いてしまう。
嫌いだ、と思うけれど。そんな感情は仕事中、せめて定時の十七時までは飲み込むべきだろう。
「瀬古さんも、すみませんでした」
敢えてゆっくりと言葉にすると、返ってきたのは「別に」のひと言。
「瀬古さん、大人げないですって」
「うるっさいわ、ボケ」
木下の言葉に対し、吐き捨てるようにして自分のデスクへ戻って行った瀬古。
「逃げましたね〜」
木下が呆れ口調で呟いた。
「瀬古さん根は悪い人じゃないんですけどね、多分。何やかんや面倒見いいし」
「え、嘘でしょ、あれで?」
思わず本音が口から出た。
木下は「そうそう、あれで、です」と、微笑んで言った後。
「吉川さんて、かっこええっすね」
そう、吐息混じりに耳元で囁いた。
息遣いが、いつかの夜を思い出させる。
「……そ!? んな、ことない。それどころかちょっと言い方間違えたと思う」
咄嗟に耳を押さえ距離を取ってしまった。
うろたえた自分を隠すように、背筋を伸ばして答えるけれど、木下の笑顔はニコニコと深まるばかりだ。
隠せていない気がする。
若いというのに全くもって侮れない。
「っと、そうやそうや、今日は吉川さんこのまま中ですかね」
いつのまにやらデスクに戻っている中田の元へ確認をしに行ってくれたのか。
木下は、ほのりのそばを離れ歩き出した。
少しホッとしてしまう。
(なかったことにって言ってくれたのに!)
肝心の自分がこれでどうするのだと、内心で己を叱咤する。
それでも、できれば関わりたくないと思った相手に初日から何度も助けられてしまっていることは事実だ。
(こんな好青年も、プライベートでは遊び人なのか……)
自分のことを棚にあげ、あの夜の慣れた手つきの木下を思い出しながら中田と話す背中を眺める。
振り返った木下と目が合い、何故だかそれがとても眩しかったこと。目を逸らしたくなったけれど、しなかった。
(だってさぁ……)
普段ならそんなことはしないから。
しないことを、してしまってはいけないから。