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第4話 お前という魂が好きなんだ
翌日の面会でも、番は決められた位置へ座った。
人型化後の状態が安定したため、面会条件は室内立会いから、必要時に呼び出せる扉外待機へ緩和されていた。
それでも開始時の状態確認のため、担当の男性職員が壁際で記録板を開いている。
番は、前日に触れることを拒まれた理由を問い詰めようとはしなかった。
黒髪の男は、自分の手を見ていた。
「今の俺の方が、お前には都合がいいだろ」
「何の話だ」
「前に言った。人型のままなら、俺を細かく満足させられると」
壁際で動いていた筆先が、ぴたりと止まった。
同じ文字の上へ墨が留まり、小さな黒い点ができる。
担当職員の肩が、わずかに強張った。
男はその墨溜まりを見つめたまま、一度、二度と瞬きをする。
今の発言は、身体状態の確認に必要な情報ではない。
おそらく、この先の会話も。
「……失礼」
担当職員は小さく咳払いし、記録板を閉じようとした。
一度、留め具を閉じ損ねる。
何事もなかったように押し直してから、黒髪の男へ顔を向けた。
「本日の状態確認は終了しています。以降は扉の外で待機できますが、同室での立会いを続けますか」
「外でいい」
「承知しました。呼び札はこちらへ置きます。必要な場合は、いつでも呼んでください」
職員は呼び札を手の届く位置へ置き、二人へ一礼して退室した。
扉が閉じるまでの動きだけが、わずかに早かった。
「あれは、俺が人型のままでいるか、獣型になるかの話だ。お前に人型になれと言ったんじゃない」
「今は俺にも手がある。お前と同じことができる」
「ああ。できることは増えた。それは事実だ」
番は否定しなかった。
「だが、できることが多い方が、愛している形という意味にはならない」
「今の俺の方が、番としていいんじゃないのか」
番の香波に迷いはなかった。
「俺は、お前が人型かどうかなんて関係ない」
「なら、どちらでも同じか」
「獣だったお前を知っている。今のお前は、これから知っていく」
番は黒髪の男を見る。
「俺が好きなのは、その身体の形じゃない。お前という魂が好きなんだ」
綺麗な言葉だけなら、いくらでも言える。
黒髪の男は自分の腕をつかんだ。
「なら、この身体はどうでもいいのか」
「違う。その身体でお前が苦しんでいるなら、俺にとってもどうでもよくない」
答えは、すぐに返った。
「獣型だったお前の毛並みも、牙も、熱も好きだった。俺が昼を抜けば香で見抜いて、自分の肉を押しつけてくるところも知っている」
「それは、身体の話じゃない」
「だから言ってる。手足の形が変わったくらいで、別の相手になるのか」
番の視線が、男の手へ落ちる。
「今のお前の肩に触れたい。手を握りたいとも思っている」
「だったら――」
「俺が触れたいことは、お前へ触れていい理由にならない」
番の手は、膝の上に置かれたままだった。
「人型だから愛するわけでも、獣型だから愛するわけでもない。お前の形が変わるたびに、選び直す必要なんてない」
「なぜだ」
「最初から、お前を選んでいる」
「俺が、この身体を好きになれなくてもか」
「好きになるよう説得するつもりはない」
黒髪の男は立ち上がった。
不慣れな脚で番の前まで歩く。番は迎えに立たず、その場で待った。
「手を出せ」
番が掌を上へ向ける。
黒髪の男は、その上へ自分の手を重ねた。
毛並みを介さない熱に、指が一瞬こわばる。番はまだ握らない。
「握っていいか」
「……いい」
五本の指が、ゆっくりと包まれた。
「嫌か」
「嫌ではない」
「なら、今日はこれでいい」
番は、それ以上を求めなかった。
*
準備区域を離れる日、職員は黒髪の男本人へ確認した。
「以前の同居先へ戻ることを希望しますか」
「戻る」
「番の方との同居を再開する、という意思で――」
「再開じゃない。離れていただけだ」
職員は記録を書き直す。
「番の方と、同じ巣へ帰ることを希望しますか」
「帰る。あいつと」
巣の中は、以前と変わっていなかった。
人型用の器や衣が増えている。だが、獣型で使っていた器も寝具も、そのまま残されていた。
「捨てなかったのか」
「どちらを使うか、俺が決めることじゃない」
寝具には、まだ自分の香が残っている。
「ここで寝ていたな」
黒髪の男が言う。
「俺がか」
「俺の場所に、お前の香がついている」
「一人では広かった」
黒髪の男の口元が、わずかに緩んだ。
*
夜。
二人は同じ寝床へ入った。
「俺は獣型になった方がいいか」
黒髪の男は、慣れた灰銀の毛並みを思い浮かべた。
それでも今日は、自分の手を開く。
「そのままでいい」
「人型のままか」
「試したい。俺が」
「分かった」
黒髪の男が、自分から距離を詰める。
番の手が上がりかけ、途中で止まった。
「触れていいか」
「今まで散々触ってきただろ」
「今までとは身体が違う」
「……そうだったな」
「どこならいい」
黒髪の男は自分の肩を示した。
「ここは平気だ」
番の掌が、ゆっくり肩へ触れる。
指が首筋へ近づく。
「そこは、まだ嫌だ」
手はすぐに肩まで戻った。
「分かった」
「髪はいい」
「触るぞ」
黒髪を梳く指に、男は目を閉じた。
「嫌か」
「そのままでいい」
黒髪の男は番の衣をつかみ、自分から額を重ねた。
形が違っても、そこにある香は知っている。
「口は」
番が尋ねる。
「俺から触れる」
番は動かずに待った。
黒髪の男が距離を縮め、短く唇を重ねる。
知らない身体へ、知っている番の熱が伝わった。
「どうだ」
「まだ分からない」
「なら、また試したい時にすればいい」
「お前はしたくないのか」
「したい。だが、俺がしたいことと、お前が決めることは別だ」
黒髪の男は、もう一度番の衣を引いた。
「なら、今は俺が決める」
「ああ」
今度は、先ほどより長く唇を重ねた。
その夜、二人は人型のまま同じ巣で眠った。
人型になったからではない。
今夜は、この触れ方を二人で選んだからだった。
コメント
1件
ああ、もう、本当に素敵なエピソードでした……! 「お前という魂が好きなんだ」って番の台詞、心にずしんと響きました。形じゃなくて中身を選ぶって、こんなに優しい愛の形があるんだなって。 それに、互いに「触れていいか?」「どこならいい?」って確認し合うシーンが特に好きです。人型になったからこそ生まれた距離感みたいなものを、丁寧に埋めていこうとする二人が尊すぎる……。 獣型のままの寝具が残ってる描写も、番がちゃんと待ってたんだなって思えて泣けました。今夜はこの触れ方を二人で選んだ——その一文に全てが詰まってる気がします。素敵な物語をありがとうございます🌷