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第二話
「彼女は幽霊でも未来人でもなく、ただ夏に置き忘れられていた」
その夜、僕はほとんど眠れなかった。
布団に横になっても、天井に映る街灯の影が、さっきの夕焼けの残像と重なって離れない。
スマホを手に取るたび、あの写真が脳裏に焼き付く。
小学生の僕。
少し日焼けして、前歯が欠けていて、今よりずっと無防備な顔をしている。
そして――
隣に立つ、あの少女。
白いワンピースではない。
Tシャツに短パン。少し大きめの帽子。
どこにでもいそうな、普通の女の子。
なのに。
「……誰だよ」
喉から絞り出すように呟いても、答えは返ってこない。
写真のメタデータを確認した。
撮影場所:星見坂町・旧灯台公園。
撮影日時:十年前、八月十四日。
確かに、そこには“僕の過去”があるはずなのに、
その中心にいる彼女だけが、記憶からすっぽり抜け落ちている。
怖い、というより――
置いていかれた感覚に近かった。
まるで、僕だけが約束の時間に遅れてしまったみたいに。
翌朝。
「おはよー! 恒一ー! 生きてるー?」
ドアをノックもせずに開ける音。
聞き慣れすぎた声に、枕を顔に押し付ける。
「……出てけ」
「お、声に覇気がない。これは何かあったな?」
春斗がニヤニヤしながらベッドに腰掛ける。
「お前さ、昨日の帰り道で変だったぞ。バス停で急に固まるし」
心臓が一瞬、跳ねた。
「……見えてたのか?」
「いや? 何も?」
だよな。
そうだよな。
「でもさ」
春斗は少しだけ真面目な声になった。
「お前、あのあとずっと後ろ振り返ってた。 なんか……置いてかれた犬みたいな顔してたぞ?」
「最悪な例えだな……」
けど、否定できなかった。
「で? 何があった」
少し迷ってから、スマホを差し出す。
「……これ、見てくれ」
春斗は写真を見るなり、目を丸くした。
「おお、懐かし……って、誰この子?」
「やっぱり分からないよな」
「いや、知らん。少なくとも俺の記憶にはいない」
胸の奥が、またざわつく。
「でもさ」
春斗は顎に手を当てて言った。
「この場所、覚えてる。
灯台公園で、毎年夏祭りの前に肝試しやってただろ」
「……あ」
微かに、思い出の輪郭が浮かぶ。
夜の公園。
虫の音。
懐中電灯の光。
でも、そこに“彼女”はいない。
「なあ恒一」
春斗は急に明るい声に戻った。
「今日、灯台公園行こうぜ」
「……は?」
「だってよ、写真の場所だろ?
何か思い出すかもしれないじゃん」
軽い言い方。
でも、その裏にある優しさが分かってしまって、何も言えなくなる。
「……分かった」
「よっしゃ!」
春斗は満足そうに拳を握った。
「じゃあ昼からな。
あ、そうだ。今日は――」
その時。
「おはよう、恒一」
廊下から、柔らかい声が聞こえた。
振り向くと、そこに立っていたのは――
桜庭 美咲(さくらば みさき)。
同じクラスの女子で、成績優秀、物腰柔らか。
男子からの密かな人気は高いが、本人はまるで気づいていないタイプ。
「えっと……お邪魔だった?」
「い、いや! 全然!」
春斗が即答する。
「俺は今から消える予定だったし!」
「ちょ、お前」
春斗は意味深なウインクを残して去っていった。
「……あいつ」
ため息をつく僕に、美咲はくすっと笑う。
「宮本くん、相変わらずだね」
「ほんとに……」
少し沈黙。
その間に、風鈴の音が窓から入り込む。
「ねえ、恒一」
美咲は、ほんの少し言いづらそうに切り出した。
「昨日、駅前で……誰かと話してた?」
心臓が、嫌な音を立てた。
「……見てたの?」
「ううん。
でも、なんだか遠くを見てる顔してたから」
さすがだな、と思う。
彼女は、人の心の変化にやけに敏感だ。
「……昔のこと、思い出してただけだよ」
嘘ではない。
全部は言っていないだけだ。
「そっか」
美咲はそれ以上踏み込まなかった。
でも、その視線は、少しだけ寂しそうで。
「ねえ」
彼女は微笑む。
「今日、灯台公園に行くんでしょ?」
「……え?」
「さっき、宮本くんが言ってた」
あいつ……。
「私も、行っていい?」
一瞬、言葉に詰まる。
理由は分からない。
でも――
彼女を連れて行ったら、何かが変わってしまう気がした。
良くも悪くも。
「……うん」
それでも、僕は頷いた。
「ありがとう」
美咲は、ほっとしたように笑った。
その笑顔を見て、胸がちくりと痛む。
――もし、あの少女の存在が“過去”なら。
美咲は、確かに“今”にいる。
その違いが、やけに残酷に思えた。
昼過ぎ。
灯台公園は、夏の光に満ちていた。
青い空。
白い灯台。
遠くで煌めく海。
なのに。
僕の胸の中だけ、雲がかかったままだ。
「ねえ、恒一」
不意に、聞き覚えのある声。
振り返る。
そこにいたのは――
あの少女だった。
昨日と同じ、白いワンピース。
でも、今日ははっきりと存在している。
「……来てくれたんだ」
彼女は、少し泣きそうな笑顔で言った。
「忘れたままじゃ、夏が終われないから」
その瞬間、背後で春斗と美咲が歩いてくる音がした。
「おーい恒一、何して――」
振り向いた二人の視線は、
彼女を、まったく捉えていなかった。
ぞっとする。
「ねえ」
少女は、僕だけに聞こえる声で囁く。
「私の名前……まだ、思い出せない?」
喉が、ひくりと鳴る。
「……ごめん」
彼女は、首を横に振った。
「謝らなくていい」
そして、こう続けた。
「でもね。
思い出さないと、私は――消えちゃう」
風が吹く。
蝉の声が、一斉に響き渡る。
夏は、待ってくれない。
その事実だけが、やけに鮮明だった。