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家に帰り、和室にある仏壇に手を合わせる。
ーお父さん。
正直言うと、もう顔もあまり覚えていない。けれど、私は絶対にそんな事を言っていい立場では無い。
11年前、私が5歳だった時、私は飛んで行った帽子を追いかけて車道に飛び出した。トラックが迫ってきていることに気が付かず、帽子を拾えたことに安心していると、体に大きな衝撃を感じた。気がつくと、私は歩道に倒れていた。お父さんが私を歩道まで投げたのだ。お父さんは自分までは守りきれず、トラックに轢かれて亡くなってしまった。そこからは何も覚えていない。したはずの葬式も、なにもかも。そして、お母さんは私のことが大嫌いになった。当たり前だと思う。世界に1人、1番大好きだった人を殺したのは、私だ。お父さんが亡くなった初めの1年は、毎日罵られた。「お前のせいだ」「お前さえいなければ」「お前が死ねばよかったのに」その言葉だけは、酷く頭にこびりついている。1年以上経つと、会話は極端に減った。当時私は6歳か7歳で、孤独感は感じていたけど、それでもやっぱり私のせいなので悲しむことなんてできないことは分かっていた。それに、学費や、ご飯や、家事などは全部やってくれた。今だって頑張ってお金を稼いでくれている。朝から晩まで、たくさんの仕事を掛け持ちしているのだ。家事は私ができる歳になると自分でやるようになった。それも別に頼まれた訳じゃ無い。きっと私は恵まれている。
事故による大したトラウマも残らず、私は完全に健康体だ。だから、とにかく優等生になろうと思った。お父さんが、庇って良かった、と思えるような立派な人間に。学校では徹底的に勉強し、テストの成績は上位をキープしている。学費免除の為でもあるけれど。
毎朝7時半、私は家を出て電車に乗る。私は家から遠い千花高校(せんかこうこう)を選んだので、早起きしなければならない。眠気で目を擦りながら電車に揺られ、昨日の出来事を思い出す。ー麗ちゃん。なんだか不思議な人だった。神社にいるからか、儚く感じた。
高校に着き、自分の教室に入る。時刻は8時25分だ。優等生を演じるならばもっと早く着きたいのだが、流石に厳しい。
なんの変哲もない退屈な高校。でも、それがありがたいことは分かっている。
「雨宮さん、ちょっといい?」放課後、担任の先生に声をかけられた。はい、と明るく返事をして、帰る為に歩くはずだった廊下を引き返し、誰もいない教室に入れられた。
向かい合う状態で座らせられ、私は少し緊張した。何かしただろうか、怒られるようなことしてないよね。と。静寂を振り払うように、先生は言った。「それでね、雨宮さんにお願いしたいことがあって…」私は心底ほっとした。「水野さん、いるでしょ。」水野さんー水野明梨(みずのあかり)さんは、いわゆる不登校である。先生の話によると、水野さんはこのまま学校に来ないと留年する危機があるらしい。だから、先生ではなく、同い年の私に家に行ってもらえないか、というものだった。
なぜ私に、とは思ったが、それだけ信頼されている証だ。分かりました、と返事をすると、水野さんへのプリントが入った大きな茶封筒と住所を私に渡した。
先生にお礼を言われ、私の承認欲求は少し満たされるような感覚になった。
「…遠。」本当に遠い。私の家と間反対だ。
しばらく歩き、高級住宅街に来た。そこに水野さんの家はあるそうだ。水野、水野…と表札を探し歩き、やっとの思いで見つけた家はとてつもなく広くて綺麗だった。「お城みたい…」思わず口に出してしまった。インターホンを押すと、母親らしき人が出た。『はーい。どちら様ですかー?』可愛らしくて明るい声だ。「あっ、千花高校1年2組の雨宮椛です。明梨さんにプリントを届けにきました。」そう言うと、あらあら!と驚き、家の大きな扉を開けてくれた。「どうもありがとう!さあ、入って入って」と招き入れられると、フローラルな香りとお城のような玄関が目に入った。
水野さんのお母さんはとても優しい人で、キラキラしたケーキを出してくれた。プリントを届けにきただけなのに、こんなにおもてなしされるとは。「あの、これプリント…」と渡すと、水野さんのお母さんは、「届けてくれるような子がクラスにいるのね…」としみじみ言った。そして、「明梨ちゃーん!」と2回に向けて言った。水野さんは綺麗なパジャマを着て降りてきた。始業式も来ていなかったので、会うのは初めてだ。「え」水野さんは私を見て困惑している。「あのね明梨ちゃん、この子椛ちゃんって言うのよ!明梨ちゃんと同じクラスの子でプリントを届けに来てくれたのよ!」水野さんのお母さんは嬉しそうに話す。水野さんは、どうも、と言った。「こ、こんにちは。雨宮椛です。」緊張したが、一応言えた。
「…水野、明梨です…。」
3人で大きなダイニングについてケーキを食べた。水野さんー明梨ちゃんとも話せた。帰りにケーキを貰い、私はふわふわした気分になった。こんな家があるのか。
家に帰り、夜ご飯を買っていなかったことを思い出したが、ケーキを食べてお腹がいっぱいなので、何も食べなくても平気だった。勉強の途中、あの家を思い出す。大きくて、綺麗で良い匂いがした。ケーキも美味しくて夢みたいだった。明梨ちゃんも優しくて可愛い子だった。
ーどうして不登校なんだろう。病気とかなら仕方がないけれど、きっと何かあったのだろう。軽々しく聞いていいことじゃないし、仲良くなったら少しずつ聞けたらいいなと思った。
夜中の2時、私は空腹で限界だった。明日食べようと思っていた大きくてかわいいケーキを小さくて使い古したテーブルに置き、口に入れた。甘い。
お腹も満たされて、私は眠りについた。
次の日も、また次の日も、私は明梨ちゃんの家に行った。流石に毎日ケーキは出されなかったが、美味しいお菓子などを毎回振る舞ってくれた。だんだん申し訳なくなってきたけれど、明梨ちゃんのお母さんは「来てくれることが嬉しいから」と言って辞めなかった。
ある日、明梨ちゃんは言った。「私、学校行こうかな…」私と明梨ちゃんのお母さんは驚いたけれど、とても喜んだ。
次の日、私と明梨ちゃんは一緒に学校へ行った。その途中、昔の話をしてくれた。
「私ね、中学の時、いじめられてたんだ…。」
まあ、そんな感じだと思っていた。
「私、話すのが遅いから…。早く話してって言われるのが怖くて、余計に話せなくなって…。」
負の連鎖だ。
「それで、みんな私に話しかけなくなって…。何か話そうとしたら、途中で遮られたりして。でも、1番悲しかったのは、トイレの鏡の前で悪口を言われてるのが聞こえちゃった事で…。」
「そうだったんだ…」
「そんな事でって思われるかもしれないけど…。学校に行けなくなっちゃった」
そんなことなんて思わないよ、と言うと、明梨ちゃんは安心したように笑った。
明梨ちゃんが学校に来るようになって3日が経った。クラスの人たちは優しく、明梨ちゃんが中学の時のクラスメイトのような子は誰もいなかった。私は放課後担任の先生に呼ばれた。
また向かい合わせで座ったが、今回は内容が分かっていたので怖くなかった。
「雨宮さん。水野さんのこと、本当にありがとう。水野さんのお母さんからも話を聞いていたの。」
「お役に立てて嬉しいです。」にっこりと自然に笑った。
家に帰る前に、私は久しぶりに御上神社に寄った。