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恋愛感情はありません

18 - 名前の無いキス

♥

18

2025年06月07日

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その夜は、不思議なくらい静かだった。


風もなく、虫の声も遠く、ふたりの鼓動だけが確かに聞こえていた。

優羅の部屋、カーテンを閉め切った中で、小さな灯りだけが世界を照らしていた。


「……今日は帰らないよ?」


美咲がそう言ったとき、優羅はただ「うん」と頷いた。

もう“外泊”に罪悪感などなかった。

むしろ、世界のどこにも戻る気はなかった。


ふたりは、布団の中で横に並ぶ。


何も言わず、目を閉じたまま、肩と肩が触れ合う距離で呼吸を揃える。


「ねえ、優羅さん」


「なに?」


「今まで、ずっと“触れちゃいけない”って思ってたけど……」


その言葉に、優羅はそっと目を開けた。

視界に映るのは、ほんの数センチ先にある、美咲の顔。目。睫毛。震える唇。


「ねえ……キス、してもいい?」


その問いは、優しさでも欲望でもなかった。

“確認”だった。ふたりがふたりでいることを確かめるための。


優羅は、ゆっくりと首を動かして、美咲に触れた。


唇と唇が、触れた。


熱くも、冷たくもなく、ただ“静かに”触れ合っただけのキス。

名前を持たないその行為には、恋愛という枠も、愛情という意味も、すべてが存在しなかった。


でも――


「……涙、出てきた」


キスのあと、美咲が小さく呟いた。


「私、こんなキス、初めてだった。……“優しい”とかじゃなくて、“悲しい”って感じたの、はじめて」


「私も」


ふたりは、名前のないキスをもう一度交わした。

今度は、涙を拭うように、そっと、ゆっくりと。


「恋人、なのかな、私たち」


「分からない。でも、もうどうでもいいよね」


「うん。名前なんて、なくていい。

この関係が、どんな形でも――あなたがここにいること、それだけでいい」


ふたりは何度も唇を重ねた。

深くはなかった。ただ、同じ時間を、同じ身体の距離で、確かめ合うように。


「もしも、生まれ変わって、また会えたとしても」


「うん?」


「そのときは……ちゃんと“好き”って言えるような関係になれたらいいね」


「……そんな関係じゃなくてもいい。

また“あなた”に会えたら、それだけで、また壊れていける」


「ほんと、私たちって――」


「どうしようもないね」


ふたりは、肩を震わせて笑った。

その笑いは、今までのどんな涙よりも静かで、でもあたたかかった。





夜が明けるころ、ふたりは眠った。

手を繋いだまま。身体を重ねることもなく、ただ指先と指先だけを頼りに。


それが、ふたりにとっての――最大限の“愛”だった。


名前のないキス。

誰にも見せない、誰にも教えない、誰にも理解されない。


でもきっと、それはふたりだけが知っている“永遠”のようなものだった。


そして、それができたからこそ。

ふたりは、次の一歩を踏み出す覚悟を、固めてしまった。


“この世界に、やり残したことはもうない”


そう思ってしまうほどに、

あのキスは、優しくて、儚くて、終わりのように美しかった。


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