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平原を横断し、森を駆け抜け、沼地を越える。
黄色い太陽だけがその様子を見守っていたが、名残惜しそうに追い越し、そのまま遠ざかってしまう。
速さ比べは太陽の圧勝だ。
そうであろうと、少年は走り続ける。これは徒競走でもなければ、体力づくりを目的とした持久走でもない。
沼地の途中で北に折れ、その後はそのまま直進。
ぬかるんだ地面に足がとられようと。
凶悪な魔物に行く手を阻まれようと。
一時的な減速を受け入れながら、傭兵は足を動かし続ける。
額には大粒の汗。実は衣服の中もビショビショだ。
新鮮な酸素を求めて口は大開きだが、疾走中ゆえ、空気の方から飛び込んでくる。
もう間もなくだ。
それをわかっているからこそ、体には活力がみなぎってくれる。
レベレーシ高原に到着だ。高山性の草木が繁殖しており、高地らしく強風が吹き荒れている。
北側は絶壁の山脈。そこを目指して北上しているのだが、道中は緩やかな上り坂になっている。
担いでいる重荷も相まって、足の筋肉はパンパンだ。その重さは当人の倍近くもあるのだから、走れている方が異常と言えよう。
焦りはしないが、ペースは落としたくない。遠方の空は既に暗くなっており、頭上が闇に飲まれるのも時間の問題だ。
「最後の一押し、がんばります」
「あぁ、悪いが頼む」
ウイルの声は力強い。約二十年振りに家族が揃うのだから、その後押しのため、ジレットタイガーよりも速く走る。
一方、ゴッテムはおぶさりながらも、期待に胸が昂ってしまう。
(もう一度、会えるとはな。夢のような話だ……)
イダンリネア王国を出発して、半日以上が経過した。
目的地は近い。それを現在進行形で実感しているのだから、逸る気持ちを抑えだけで精一杯だ。
実は、ウイルのテンションも上昇している。四年近くも連れ添った相棒と久しぶりに会えるのだから、恋愛感情のあるなしに関係なく高揚して当然だ。
(位置的にエルさんは里にいるっぽい。見張りの人にはそろそろ気づかれてる頃合かな?)
ジョーカー・アンド・ウォーカー。この天技がエルディアの現在地を示してくれる。
ゆえに、迷子にはならない。
迷う必要などない。
高原を走り切り、突き当りの岩山を無理やりによじ登ればそこが彼女らの里だ。
(元気にしてるのかな? 考えるまでもないか)
慕情ではない。
どちらかと言えば憧れだ。
それを自覚していようと、無自覚であろうと、今は嬉々として走り続ける。
その先に、彼女が待っているのだから。
◆
古民家の玄関が荒々しく開かれる。訪問者は焦っているのか、その表情は硬直しており、呼吸も乱れたままだ。
ノックもしない不届き者を本来ならば叱るべきだろうが、室内の二人は平然としている。
正しくは、それどころではない。
「さっき晩御飯食べたばかりでしょ⁉」
「こ、この一枚だけでいいから!」
カチカチの干し肉を奪い合う、美麗な親子。
さらに正すのなら、娘が食後のデザートとしてそれを欲しており、母親が阻止ししてる。そういう構図だ。
緊急事態ゆえ、無礼を承知でここを訪れた女だったが、親子喧嘩を見せつけられながらも報告を開始する。
「あのう、侵入者が……」
「お昼の後にも食べてたじゃない! だから今日はもうダメ!」
「ジャガイモと焼き魚だけじゃ足りないの!」
「あんた、魚の方が好物でしょうに!」
「一匹じゃ足りないって~。あ、お母さん、お客さんだよ?」
母も娘も大の大人だ。
それどころか、この里の長とその長女であり、同時に最高戦力と二番手だ。
そうであろうと干し肉一枚で争ってしまうのだから、仲が良いのか悪いのか、それは当人達にしかわからない。
「あら、どうしたの?」
反応した彼女はこの家の家主だ。
里をまとめる最強の魔女、ハバネ・リンゼー。娘同様に髪は綺麗な茶色に染まっており、長い髪を背中側でリボンを使い束ねている。
聡明な顔には目元を中心に小じわが目立つも、当然のようにその目は魔眼だ。瞳の内側、その外周付近をなぞるように赤線で円が描かれており、特徴的な見た目とは裏腹に、視力的にはなんら作用しない。
普段は真っ赤な衣服を好むのだが、今日のコーディネートは抑えめだ。灰色のブラウスと茶色いロングスカートを着用しており、胸の大きさが強調されている。
「隙あり」
「あ、こら! もう……」
「もぐもぐ」
好機を逃すほど、娘は愚鈍ではない。
エルディア・リンゼー、二十二歳。妙齢ながらも、その言動には子供らしさが垣間見える。
茶色い髪はボブカットだ。以前よりも伸びており、その先端は胸元に届いている。
彼女もまた魔眼を宿す存在だ。
それゆえにイダンリネア王国へ帰国出来ないのだが、ここでの生活もまんざらではないと感じている。
母親がいる。
同じ境遇の仲間がいる。
だからこそ、挫けない。小さな集落ゆえに生活は貧しいが、魔物と戦いたいという欲求だけは満たすことが出来るのだから、王国への帰国を夢見るほど子供ではなかった。
母から奪った干し肉をほうばる姿は幸福そのものと言えよう。
硬い上にしょっぱいが、食べ応えは抜群だ。今日を締めくくる食事ということもあり、一口毎に噛みしめる。
彼女は既に寝間着だ。小麦色の肌着と古着のハーフズボン。後は布団にくるまれるだけで、明日は訪れてくれる。
そんな二人を眺めながら、玄関で直立中の女。弓と矢筒を背中に背負っており、黒髪や革鎧の隙間が湿っている理由は汗をかく程度には走ったためだ。
「ご報告したいことがありまして……」
「あぁ、ごめんなさいね。何かあった?」
古めかしいこの家は、狭くもなければ広くもない。簡素な木造住宅ゆえに、家そのものを支える柱があちこちにそびえ立つ。
構造そのものが、王国の家屋と比べると時代遅れと言う他ない。
部屋の数も少なく、この居間こそが生活の中心であり、玄関と隣接しているからこそ、手間が省けた。
慌てた様子で現れた見張り番だったが、促されたのだから報告を開始する。
「レベレーシ高原に侵入者です」
「そう。今回は王国の軍人あたり?」
「いえ、その、いつかここに来た、銀髪の子供です……」
ここは山奥に隠された、魔女のための集落。彼女らはイダンリネア王国から追われており、だからこそ、どこかに避難するしかなかった。
人間はおろか魔物すらも寄り付かないこの地域は、険しい山々に包囲されている。
だからこそ安全だ。
訪れようと思うものなどいるはずもなく、迷い人が足を踏み入れる余地すらない。
そのような芸当が出来ないほどに、ここは苛酷な場所だ。
レベレーシ高原を北上し、壁のような岩山を登りきった後、その先の険しい山脈においても雲を見下ろしながらの登山となる。
体力が続くはずもない。
そもそも、ここを訪れる理由がない。
だからこそ、彼女らの先祖はこの地を切り開いた。
山岳の北は大海原に面していることから、手間と時間はかかるが漁も可能だ。何十という山を越えなければならないが、高い身体能力がそれを実現たらしめる。
辺境の地に存在すること自体が利点となっているのだが、王国の目を欺けている理由はそれだけではない。
この地もまた、迷いの森と同様に結界で守られている。侵入者に対し幻覚にも似た作用を及ぼし、遠目からの知覚を妨害してくれる。
ゆえに、レベレーシ高原に第三者が現れようと、本来ならば無視して構わない。
そのはずだが、見張り役は慌てた様子でこの家を訪れた。
対照的に、エルディアは平常心そのままに、口を動かしている。
「あ、またウイル君か。もぐもぐ」
リスのように頬を膨らませながら侵入者を言い当てるも、残念ながら満点にはほど遠い。
額の汗を拭いながら、女が情報を付け加える。
「それが、どういうわけか、今回はその子だけじゃないんです。だから、里長に判断を仰ぎたくて……」
「一人じゃない? 仲間を連れてきたってこと?」
ハバネはウイルと面識があり、同時に信頼している。
しかし、複数人となると話は別だ。ウイルがここを攻め落としに来たとは考えられないが、同行者の特定は必須と言えよう。
「仲間……かもしれません。傭兵であることは間違いないと思います。ただ、どういうわけかおんぶされておりまして、その、二人目が……」
「道中で負傷したのかしら? あぁ、近くで仲間が魔物にやられたから、私達に手当を求めてるってことかしらね。エルディアはどう思う?」
「もぐもぐ。もぐもぐー」
「あんたはそのまま食べてなさい」
状況把握は完了だ。
ウイルともう一人の傭兵がここを訪れようとしている。その事実を知ることが出来たのだから、ハバネは肩の力を抜くことから始める。
対照的に、黒髪の魔女はなおも動揺気味だ。監視という大任を任されている以上、行動の指針を求めてしまう。
「里長、私はどうすれば?」
「ウイル君が負傷者を抱えているのなら、到着はまだまだ先のはず。あなたは持ち場に戻って見張りをつづ……」
「こんばんは! お久しぶりですお邪魔します!」
予想を裏切り、侵入者はあっさりとたどり着く。
本日二人目の客人は、鼻息荒い少年。灰色の髪からは汗が滴り、その容姿は子供ながらも実態は高水準の傭兵だ。
「いらっしゃい」
「もぐもぐー」
「わ、私はこれにて失礼します!」
ハバネとエルディアが歓迎し、見張りの女が入れ替わるように立ち去る。
ゆえに、ここからは彼らの時間だ。ウイルが一歩分の歩みを進めると、後ろの男もそれに続く。
「ひ、久しぶり……だな」
頭髪が一本も見当たらない、ツルツルの頭。
傭兵よりも傭兵らしい、不愛想な顔。
娘よりも大きな体は腕の太さも相まって、ウイルよりも遥かに頼もしい。
しかし、この男は傭兵ではない。それを、この家の二人は重々承知していた。
「あ、あなた……」
「もぐもぐー」
親子の反応は対照的だ。
ハバネは手を震わせながら、目を見開く。別れた夫と二十二年振りに会えたのだから、感激のあまり言葉が続かない。
一方、娘の方は普段通りだ。干し肉の旨味と塩辛さを口の中で満喫しており、口を開けない代わりに右手を挙げて父を迎える。
「ハバネ!」
「あなた!」
(うるさい)
(うるさい)
再会が二人の感情を爆発させた結果、ゴッテムとハバネがぶつかるように抱き合う。
感動の瞬間ながらも、その叫び声は居合わせたウイルとエルディアにとって騒音でしかなかった。
少年は座敷にあがり、かつての相棒に話しかけながら隣に座る。
「干し肉でも食べてるんですか?」
「う、うぐっ。よくわかったねー」
「ここだと食べ物も限られますし、ずっともぐもぐしてたから。色々土産話があるんですが、何から話せばいいのかな……」
今まではずっと二人っきりで冒険に明け暮れていた。
憑りつかれたように。
狂ったように。
ウイルはエルディアと共に傭兵稼業を満喫し続けた。
慌ただしくも、危険な日々だった。
しかし、それこそが彼らの日常だった。
ウイル、十二歳。家を飛び出し、傭兵試験の最中に彼女と出会った。
ウイル、十三歳。体力の向上に伴い、二人はあちこちを走りながら、魔物を狩った。
ウイル、十四歳。半年ほど別行動をとったが、その後は二人で旅を続けた。
ウイル、十五歳。少年の実力がいよいよエルディアと肉薄するも、彼女はそれを喜んだ。
そして、十六歳。その瞳が魔眼に変異したため、二人は別々の道を歩むことになった。
「お父さん、連れてきてくれてありがとねー。お母さんもすっごく喜んでる」
「良かったです。お二人のイチャイチャっぷりが若干鬱陶しいですけど……」
ウイルが愚痴ってしまう程度には、その夫婦は暑苦しい。人目もはばからずに全身を絡めており、少年としては他所でしろと言いたかった。
「お父さんもお母さんも、色々溜まってるんだと思う。なんたって二十二年ぶりなんだし」
「生々しい言い方止めてください。そうそう、久しぶりにハイドさんとメルさんに会えたんです」
「お、懐かしいねー。元気そうだった?」
「はい。王国に出稼ぎに来てるみたいで、一緒に特異個体を狩りました。その戦いで……」
積もる話題は無限大だ。
ウイルは王国側の人間として。
エルディアは魔女として。
離れ離れだった時間を埋めるように、言葉を交える。
話しは止まらない。
止まるはずもない。
ついにはゴッテムとハバネも加わり、四人での談笑はどこまでも盛り上がる。
「ここに来るまでの道中、まぁ、俺はおぶさってただけなんだが、ウイル君がすごかったんだぞ。バース平原の湖でな、居合わせた傭兵の代わりに手ごわいカニを退治してな。等級三の三人組でさえ逃げ帰ろうとしていたのに、ザクっと一斬り。いや~、二人にも見せたかったぞ」
磨かれた頭を撫でながら、不愛想な顔が綻ぶ。
「強いと言いましても、僕の感想としましては、巨人族よりはまぁ、って感じでした。それこそ、エルさんのお母さんと共闘した、いつぞやの黒い魔物の方がずっとやばいです」
「あったわね~、そんなことも。王国はアレについて調査してるの?」
「はい。難航しているようですけど……。出くわした個体はあれっきりですしね」
「お母さんがぶっ飛ばしてたよねー。私も戦いたかったなぁ」
命を懸けた激戦だったが、今では単なる思い出だ。
「エルさんはこっちで巨人族やら何やらと思う存分日々戦えてるんじゃないですか?」
「そだねー。魔眼のコントロールがまだまだだから、半人前扱いだけどー。びかー」
エルディアの魔眼が青く光る。特有の能力を発現させた際の発光現象であり、標的は眼前の少年だ。
「ちょっ⁉ それ止めてください!」
さすがのウイルもうろたえてしまう。
エルディアの魔眼、ドーン・ブルーは異性を強制的に欲情させることが可能だ。それ以上でもそれ以下でもないため、戦闘においてはこれっぽっちも役に立たない。
「めんごめんご。と見せかけて、びかー」
「う⁉ いたいけな子供をいたぶらないで!」
「あはは、ウイル君が前屈みになったー」
(エルさんのせいでしょうに。くぅ、本当にムラムラする。エルさん家族に囲まれてる状況でこんなの、拷問だよ……)
思春期が弄ばれている瞬間だ。
しかし、魔眼に抗う術などなく、劣情を抱きながら肩を落とすしかない。
「あんた止めなさいよ、それ」
「イタッ。お母さん、すーぐ殴るんだからー」
「そういうのはあんた達が将来子供作る時になさい。そのための魔眼なんだから」
「ふーん、そうなんだ」
微笑ましいようで、そうではない。そんなやり取りながらも、父親は当然のように目を光らせる。
「む、やはりウイル君とエルディアはくっつくのか。だったら安心だな」
満足そうなゴッテムだが、少年は当事者として、前屈みになりながらも否定せずにはいられない。
「何が安心なのかは存じませんが、僕とエルさんはただの傭兵仲間です。仲間と言っておきながら、ユニティすらも組んでません」
「そう言われたらそうだねー。私はオムレツサンドに所属したままだし、ウイル君は無所属だっけ?」
「はい。困ったことないので構いませんけど」
そういう意味では、二人の関係は歪だ。コンビを組んでいるのだから、ユニティの結成は必然と言っても差し支えない。
「ウイル君が作ってくれたら参加するよ? オムレツサンドにはもう誰もいないしね。あ、でも、王国に戻れなかったか、テヘ」
「申請時にユニティピアスを二人分もらえるので、その時は届けに来ますよ。お金、足りないけど……」
「世知辛いねー」
「僕、一応貴族なんだけどな~、不思議」
不思議ではない。傭兵としての実力は一人前ながらも、この二人は能力を魔物退治に特化させており、効率的な金の稼ぎ方を知らないだけだ。
有名な金策ならば常識として把握しているものの、そういった稼ぎ方にはライバルが多いため、そこでのノウハウがないのなら、収入はほどほどに落ち着いてしまう。
誰にも知られていないからこそ、稼げる。金策とはそういうものであり、ウイルとエルディアはそれを見つけられなかった。
「オムレツサンドって何?」
この四人の中で、実は母親だけがその単語について知らされていない。
もちろん、そういう料理については知っているのだが、話の流れからそうではないと察しており、だからこそ、娘へ問いかけてしまう。
「私が所属してるユニティだよ。傭兵になった直後に誘われて、それ以来ずっと居座ってたんだけど、リーダーが傭兵を引退してからはほとんど一人だったかなー。だからこのピアスも、ただの飾り」
エルディアの左耳で輝く、黄色いピアス。オムレツサンド用のユニティピアスであり、機能は正常ながらもそこから誰かの声が聞こえることはない。
「傭兵の世界では、そう珍しいことでもないらしいな。仲違いや引退でユニティが解散に追い込まれるようだが、だったら次へ進めばいい。別れと出会いは表裏一体だと、俺は思っている」
「あなた……、素敵!」
ゴッテムの持論に感動したのか、ハバネが乙女のような声をあげる。
ユニティの維持は確かに大変だ。
メンバーの意思をくみ取りながらも、全員にメリットを与えなければならない。
小規模であろうと組織ではあるのだから、ルールを作りながらも柔軟な対応が必要だ。
そういった負担を背負う存在がリーダーであり、もしもその人物が去ってしまうと、ユニティの空中分解は避けられない。
「私はこんな眼になっちゃったから、ウイル君は一先ずどこかのユニティに参加してみたら? 良い経験になると思うよ? そりゃ、天技のせいで使える魔法は限られるけどさー、ぜっんぜん問題ないって。グラウンドボンドがあるし、なくても強いんだし」
「経験としてはアリなんでしょうけど、その一歩が踏み出せないというか……。それに、実力不足を痛感してしまった以上、足は引っ張りたくないと言いますか……」
「なんかったのー?」
ウイルが俯いたことで、新たな話題に突入だ。
エルディアの問いかけに対し、少年は女神教の一件を切り出す。
聖女を名乗る信者を倒したこと。
教祖を追い詰めるも、ウイル自身は手も足も出なかったこと。
王国の人間でもあるゴッテムでさえ知らない情報ばかりだ。
ゆえに、三人は耳を傾けながら、驚きの相槌に終始する。
「教祖に殺されかけた僕ですが、四英雄の一人が駆け付けてくれたので九死に一生を得ました。本当にギリギリで……、あ、そうか、タイミングを見計らって助けてくれたのか。まぁ、その辺はどうでも良くて、この事件の落ちは、教祖が魔女の一味だってことなんです」
説明が終わると同時に、木造の家に静寂が訪れる。マジックランプが煌々と居間を照らす中、ウイルはさらに付け加える。
「あの女の瞳は魔眼ではありませんでした。だけど、言動から魔女が背後にいることは間違いありません。そうは言っても、エルさんのお母さんやここの人達を疑っているわけではなくて、きっと、ここともハクアさんのとことも違う、第三の連中なのだろうと予想しています」
女神教の教祖は、明らかに王国を敵視していた。両者の関係を考えれば当然のことながらも、ウイルはイレギュラーな魔女達と出会えている。
それがハクアが治める隠れ里と、ここの集落だ。
彼女らの中にはイダンリネア王国に殺意を抱いている者もいるのかもしれないが、少なくとも両雄の長にそのような意志はない。
ならば、話は簡単だ。
ハバネはウイルの瞳を見つめながら、ゆっくりと口を開く。
「魔女と一口で言っても、実態はバラバラなの。その上、互いに干渉しようともせず、それどころか根城の位置さえ共有していない。だから、私はハクアと呼ばれる長寿の魔女がどこに潜んでいるのか把握出来ていないし、あいつらの居場所もわからずじまいなの」
「あいつら?」
意味深な発言に、ウイルは条件反射で食いついてしまう。本能的には既に察しており、それでもなお、見つめ返さずにはいられなかった。
「私達の最大の敵は何だと思う?」
じらすような質問だ。なぞなぞのようでさえあるものの、学校に通っていた一人の人間として、少年は冷静に解答する。
「魔物です」
「正解。即答出来るなんて、やっぱり賢い子ね。うちの娘なんか、ご飯! って叫んだのよ。ほんと、馬鹿でしょう?」
「エルさんらしくて良いじゃないですか」
「あれ? 私、馬鹿にされてる?」
王国は魔女を敵視しており、軍の存在意義の一つが魔女狩りだ。
この事実は揺るがないものの、彼女らにとっての最大の脅威にはなりえない。
なぜなら、イダンリネア王国と魔女の集落は遠く離れており、そもそもその場所さえばれてはいない。
ならば、消去法で解答は導き出せる。魔女にとっての最大の脅威は魔物だ。
巨人族やゴブリンは他の種族と異なり定住しないため、一年を通して大陸を闊歩している。予期せぬ土地で鉢合わせする可能性がある上、そういったケースは珍しくもない。
魔女はイダンリネア王国とも争わなければならないが、魔物への警戒も必要だ。
にも関わらず、人口は圧倒的に少ないのだから、王国との衝突を避ける以外に生き延びる術はない。
そのはずだが、そうではない派閥がひっそりと闇に潜んでいる。
迷いの森の魔女達ではない。
エルディアの母が率いる、この地の魔女達でもない。
「私達が最も警戒しないといけない相手、それは魔物で間違いない。そういう意味では、王国との共闘さえ可能なのかもしれないわね。だって共通の敵がいるんだもの」
ハバネは里の長として、凛と構える。
魔物。異形かつ謎に満ちた生物。
否、生き物というカテゴリーに当てはめることすら困難だ。
なぜなら、食事を必要とせず、子孫を残す必要すらない。
増え方はシンプルだ。殺された数だけ、雑草のようにどこからともなく再配置される。
地面から生えるわけではない。
空から降ってくるわけでもない。
何もないところから、幻のように出現する。
ゆえに、学者達は魔物を異世界からの侵略者だと結論付けており、現状それを否定する説は見当たらない。
例外は巨人族のような知性を持った種族だ。
それらは人間同様に文化を形成しており、そればかりか子孫を残さなければその数を維持出来ない。
ゆえに、魔物というよりは人間に近いのだろう。
しかし、相容れない存在であることには変わりない。
人間への明確な殺意は魔物と同等かそれ以上だからだ。
殺し、殺される関係。
それこそが人間と魔物の関係であり、今日もどこかで命が次々と散っている。
「だけど僕達王国の人間は……、あなた方を魔物と断定し、軍を派遣します。光流暦はそういう歴史を歩んできてしまいましたし、これからも変わらないのかも……」
ウイルのつぶやきは、自身にも刺さる独白だ。
イダンリネア王国の人間として、魔女の里では自分こそが異物だと自覚しており、同時に責任を感じずにはいられない。
「だからなのかしらね。あいつらが立ち上がってしまったわけは……。正当防衛なのか、家族を殺された恨みなのか、そこまではわからないのだけど、ううん、何もわかっていないか。ウイル君、魔女は二種類に分類出来るの。私達のような、王国には干渉せず、魔物と戦いながらひっそりと生きていくことを選んだ派閥。そして、もう一つが……」
ハバネの発言は途中ながらも、ここまでで十分だ。ウイルは目を見開きながら、正解を言い当てる。
「魔物と王国、そのどちらも相手にする連中」
「うん。私としては、本当にそんなことが可能なのか疑問なのだけど。どう思う?」
里長はその魔眼で小さな少年を見つめる。
もしも二人目を生んでいたら、丁度これくらいの年頃か。そんなことを考えながら、返答を待つ。
「戦力を整えることが出来るのなら、それも可能なのかもしれません。だけど、おおよそ不可能です、そんなこと……。だって、単純な人口に差があり過ぎます。なにより、王国は経済的に発展していて、ありとあらゆるものが魔女を凌いでいます。安定した食糧供給、優れた武器防具の作成、医療による病気への対処……。ましてや、傭兵や軍人だけでも脅威でしょうに、それに加えて四英雄まで……。こんなの、絶対に勝ち目なんてありません」
ウイルの分析に付け入る隙などない。
それをわかっているからこそ、ハバネはエルディアにも意見を求める。
「あんたはどう思う?」
「ぐぅ」
「起きなさい」
「痛い! え? 私、なんで殴られたの? しかもグーで」
「馬鹿だからよ」
「それってただの暴力と罵倒じゃん……」
その通りではあるのだが、残念ながら今回の非はエルディアにあるため、誰もフォローはしてくれない。
殴られた頬をさすりながら助けを求めるも、視線の先の少年はどこまでも冷静だ。
「もし、王国を打ち破れるとしたら……、それこそ、ここの人達やハクアさんの協力もなしにそれをやり遂げようとするのなら、数ではなく質で上回るしか、ない」
「私も同意見よ。だけど、そんなことはおおよそ不可能でしょうけど」
「そうですね。理論上は可能なのかもしれませんが、現実的ではありません。王国は四英雄以外にも多数の超越者を有しています。僕の見立てでは、傭兵の中にも三人ほどいますし……。四英雄だって、引退した当主が健在だったりします。年配ながらも超越者であることには変わりありません。それと、あまり知られていないことなのですが、王国軍の中にも多数いるんです。隊長のさらに上の人達が、実際にそうですしね」
超越者。人間を越えた人間。彼らの実力は、推し量れないほどに高い。
拳銃の弾丸さえも受け付けず、ひとたび走れば、雷にさえ追い付いてしまうかもしれない。
魔物さえも怯え逃げ出す存在であり、イダンリネア王国が滅ぼされない最大の要因が彼らと言えよう。
「ほえ~、軍の中にもいるんだぁ。知らなかった」
「なんでエルさんが知らないんですか? それこそ、こういうことは座学で学ぶでしょうに……」
「寝てた!」
「あ、はい。話を戻しますが、王国に喧嘩を売ってる魔女がいるとして、今回倒した女神教がその一人だった、と。だとしたら、賢い連中なのかもしれませんね。王国の戦力を削ぐため、内部から弱らせようとしたのだから。随分と遠回りなやり方ではありますが、エルさんよりは頭が良さそうです」
「あれ? また馬鹿にされてない? 私」
「気のせいです」
「ほんとかなー? 悔しいからとりあえず、びかー」
「ぐわっ! ま、また⁉ お父さんかお母さん、娘さんを止めてください!」
エルディアの魔眼が三度、青く発光する。
問答無用で欲情させるだけなのだが、相性の問題なのかウイルには効果てきめんだ。
苦しみながら前屈みへ移行する少年を眺めながら、スキンヘッドの男が目を見開く。
「今、俺のことをお義父さん、と……。やっと認めてくれたんだな」
「そういう意味じゃありません! た、助けてー!」
自業自得だ。エルディアをからかった罰として、この状況を受け入れるしかない。
「息子がいるとこんな感じなのね~、お義母さんも嬉しいわ」
ハバネもうっとりと顔を綻ばせる。
今までは一人っきりだった。里の長として皆に慕われてはいたが、エルディアを生んだ直後に王国を去ったため、以降は孤独な人生を歩んできた。実は彼女も後天的な魔眼所有者であり、出産直後に瞳が変化してしまったため、里へ帰還せざるをえなかった。
それから二十二年後、エルディアが腕の立つ傭兵へ成長したことを知り、部下に指示を出して魔眼の覚醒を促すも、目論見は見事成功する。
その結果、二人は再開を果たした。
そして、今。時間は限られるも、ゴッテムの訪問によって本来あるべき形へ。
そこに息子が加われば、賑やかな四人家族の誕生だ。
「じゃあ、ウイル君は弟ってことかー。びかー」
「堪忍してー!」
姉と弟。
エルディアはそう解釈するも、父と母は心の中でぼやかずにはいられなかった。
(そこは……)
(夫婦でしょうに)
夜の里に、少年の叫び声がこだまする。
闇を払うように。
強く願うように。
実際のところは泣き喚いているだけなのだが、その悲鳴の力強さは生命力の表れだ。
ウイル・エヴィ。十六歳の若き傭兵。歩む道は不確かながらも、当面の目標は決めている。
一年後の光流武道会に出場し、優勝をかっさらう。建国以来、一度も成し遂げられなかった偉業だが、ひたむきに目指すしかない。
夢みたいな願望だと理解している。
空想や妄想の類だと、笑われたとしても仕方ない。
それでも、やるしかない。
この光景こそが、三人にとっての本来あるべき姿なのだから。