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向井さんとのご飯会の日になった。
朝はいつも通りに蓮くんとご飯を食べて、駅まで送ってもらってから車の中でお互いを見送って、電車に乗った。
今日は絶対に定時で帰るぞ、と固く心に決めて、パソコンの電源を入れた。
デスク周りの埃や塵を小さな箒で掃きながら、機械が起動されるのを待つ。
掃除も済んで、今日のやることを確認していると、スタート画面に切り替わっていたので、自分のIDとパスワードを打ち込んでEnterキーを押す。
同じフロアで働く人達と朝礼をしてから業務に戻った。
順調に仕事は終わって、定時まで残り一時間というところで、同じ部署の人が「これお願いできないかな?」と中々に厚みのある書類の束を俺の前に提示した。
無下に断るのも感じが悪いし、今日の自分の仕事はもう片付くから、一時間のゆとりはある。だけど、その頼まれごとを全部終わらせるには三時間ほど時間が足りない。
どうしようと頭を悩ませて、俺は苦し紛れに、申し訳なさそうに書類を抱えている人へ返答した。
「私、どうしても外せない予定があって、今日は定時で上がりたいんです。ここまでだったら、ぜひやらせていただきたいんですが、それでもいいですか…?」
その同僚は、少し安心したように顔を綻ばせてくれた。
ありがとう、それだけでもものすごく助かる、と言ってくれた。
全部手伝うことができないのがものすごく申し訳なくて、恐縮するような気持ちだったのだが、その人はとても喜んでくれて、俺の心は温かくなった。
「阿部さんって、仕事すごく早いですよね。いつも見ていて尊敬してます」とその人は言った。
自分としては、普通くらいのスピードだと思っていたので、そう言ってもらえたことに驚きつつ、密かに嬉しくなった。
「そんなことないです」と返すと、「謙虚ですね」と声が返ってきた。
仕事中はあまり周りの人と話さないし、目立つようなタイプでもないので、俺はきっと、パッとしない人間なんだろうと思っていた。そんな俺のことを見ている人もいたんだなと思うと不思議な気持ちになった。
嬉しいような、むず痒いような、そんな感覚だった。
あっという間に一時間が過ぎて、定時を迎えた。
自分がやらせて欲しいと伝えたところまで終わらせた書類を、依頼してくれたその同僚に渡して、俺は帰り支度を始めた。
「ありがとうございました!本当に助かりました!」と何度もお礼を言ってくれた人に、休憩所で買った缶コーヒーを渡して、俺はオフィスを後にした。
蓮くんに「今上がったから、これから電車に乗って帰るね」とメッセージを送った。
会社のエントランスを出て、最寄り駅までの道を歩こうと足を一歩踏み出したところで、「亮平っ!」と近付いてくる人。
その声、その姿は、 紛れもなく蓮くんだった。
「蓮くんッ!まだ人多い時間なんだから来ちゃダメだって…!」
俺は小声で蓮くんにそう伝えたが、蓮くんは「亮平、おかえり」と言いながら、マスクからはみ出さんばかりに大きな笑顔を向けていて、俺の声は届いていなさそうだった。
こんなところにアイドルがいたらまずいんじゃないかと、俺はぎゅっと抱き締めてくれる蓮くんの体を、申し訳なく思いつつ、なんとか引き剥がして車に押し込んだ。
「ふぅ…びっくりした。もしかして迎えに来てくれたの?」
「うん、午前中で仕事終わったから、帰ってきて掃除して、ゴミ出しして、洗濯して、亮平が仕事終わるくらいの時間になってたから来てみた。今日仕事終わってから買い物行くって言ってたし、それならこのまま行っちゃった方が早いかなって思って」
「ありがとう、洗濯までしてくれたの?」
「俺も亮平の役に立ちたかったから」
「ふふ、嬉しい。でも、いつも蓮くんに助けられてるよ?」
「ほんと?」
「うん、蓮くんが隣にいてくれるだけで、元気になれるし、たくさん幸せもらってるの」
「〜っ!!亮平!俺も!!俺も!!!」
「んふふっ、おんなじだね。ぁ、そろそろ行こっか…っ」
「そうだね…っ、いつものスーパーで良いの?」
「うん、あそこが一番安いから」
「了解!」
路上に送迎のために停車できるスペースが満車になりそうだったので、俺達は少し慌ててその場を後にした。
お馴染みのスーパーで今日の夜ご飯の食材を買う。
献立に沿ったものをカゴに入れていく。
俺の後ろから蓮くんがカートを押して着いてきてくれる。
「亮平、お酒飲む?」
「んー、そうだねー…あっても良いと思うけど、向井さんのお話の内容にもよるだろうから、これだけ買っておこうか」
「そうだね、人目を気にしなきゃいけない話ってなんだろうね」
「危険なことに巻き込まれてたりしないと良いんだけどね…」
お会計を済ませて、買ったものをエコバッグに詰める。
蓮くんも手伝ってくれて、詰め終わった買い物袋を全部持ってくれた。
「俺も持つよ?」と言ったのだが、蓮くんは「いいの、これくらいさせて?」と言って持ち手を離さなかった。その優しさと頼もしさに俺もの心はときめくばかりだった。
自宅へ着いて、早速夜ご飯作りに取り掛かった。
休日に作り置きしておいたハンバーグを冷凍庫から三つ取り出して、室温に戻しておく。
ジャガイモ二つを一口大に切って、水にさらす。ある程度アクが取れたところでレンジで温めてから竹串を刺して、芯が無くなったかどうか確かめる。
サクッという感触がないことを確認してから、水気を切って、フォークで潰していく。
牛乳を入れて、混ぜ合わせるとまったりと滑らかなジャガイモになる。
塩と胡椒で味をつけて、付け合わせのマッシュポテトが完成した。
鍋に少なめの水を張って、火にかける。
にんじんを食べやすい大きさに切って、バターと一緒に煮立たせていく。
グラグラとお湯が沸いて、にんじんに火が通ったところで、塩と砂糖で味を整えて、付け合わせ二つ目のにんじんのグラッセが出来上がる。
「俺も手伝いたい」と言ってくれた蓮くんにサラダを作ってもらった。
今日の主役はハンバーグだけど、和風なものも食べたいね、と帰りの車中で二人で話していたこともあったから、サラダは優しめの和の味付けにすることにした。
蓮くんがちぎってくれたレタスに、五等分に切った水菜を混ぜて、青じそ風味のドレッシングに白だしを合わせた創作の調味料で和える。
蓮くんが、一つ一つ慎重に切ってくれたミニトマトを上に乗せて、サラダも出来上がった。
あらかた準備が整ったところで、俺は手を洗って、スマホを握った。
「そろそろ連絡するね」と蓮くんに声を掛けて、向井さんへ連絡した。
「おおきに!これから向かいます!」と元気よく返ってきたお返事にワクワクした。
お友達と自分の家でご飯を食べるなんて、ほとんど初めてに近かった。
ふう、と一息つきながら、ソファーに蓮くんと腰掛けると、蓮くんも楽しみにしているのが見てとれた。
「あと5分くらいだって」と蓮くんに伝えて、「楽しみだね」と続けると、蓮くんは「うん、メンバー以外とご飯食べるの久しぶり」と言った。俺はまた立ち上がって夜ご飯の仕上げに戻った。
フライパンに油を引いて温める。
熱が入った頃を見計らってハンバーグをその上に乗せると、食欲をそそる良い音がした。
ハンバーグを裏返したあと水を入れ、蓋を閉めて火が通るのを待つ。
水分が引いてきた音がフライパンから鳴ってきたのを合図に蓋を開けて、ハンバーグの真ん中に箸を一本刺す。溢れてきたものが透明なことを確認して、火を止めた。
向井さんのメッセージ通り、5分ほどしてインターフォンが鳴った。
蓮くんが応答してくれて、少し経つと二回目の呼び鈴が部屋に響く。
ハンバーグをお皿に乗せたところで、俺も蓮くんと一緒に玄関へ向かった。
「お邪魔しますー!今日はホンマ突然すんません!」
ドアを開けて、元気に入ってきてくれた向井さんを迎え入れて、早速ご飯を食べようとリビングへ向かった。
「うま!ハンバーグ久しぶりやわ!」
「ありがとう、そう言ってもらえて嬉しい」
「でしょ?亮平のご飯は世界一だから」
「阿部ちゃんはどんな仕事しとるん?」
「普通の会社員です」
「ほぉん!これ脱サラしてお店開いた方がええんちゃうか?目黒さんは忙しい仕事やろうけど、休みとかあるん?」
「めめでいいよ、みんなそう呼ぶから。休みはちゃんとあるよ。うちのマネージャーさん、すごいスケジュール調整上手なの」
「ほんなら遠慮なく呼ばさしてもらいます!めめも阿部ちゃんも康二でええで?そんならええね、しょっぴーほぼ毎日テレビ出とるから、芸能人ていつ休んどんのやろってずっと疑問だったんよ」
「不定期だから、二ヶ月先まで丸一日休みがない時とかも、たまにはどうしてもあるけどね」
「そらきついな…」
「「…」」
「……それで、どうしたの?」
「っ…!」
不意に訪れた静寂の後、蓮くんが放った質問に、向井さん改め康二の体はピシッと固まった。
蓮くん、直球過ぎるよ…!と俺は焦ったが、話せるタイミングを伺っているまま、お開きになってしまうのも良くないかと思い直して、俺も蓮くんに続くように、康二に問い掛けた。
「うん、人目を気にしてるみたいだったから、俺たちの家にさせてもらったけど、なにか危ないこととかに巻き込まれてるとか…?何かできることがあったら、なんでも言って?」
康二は、言いづらそうに、重たそうな口を開いて、絞り出すような声を上げた。
「年下の子と付き合うんって、どんな感じで過ごしたらいいん…?」
俺たちが予想していたものとは全く別の角度からの質問だった。
俺も蓮くんも申し訳なくなるほどに拍子抜けしてしまって、しばしの沈黙が生まれる。
ラウールくんと何かあったのかな?と考えていると、俺の隣に座っていた蓮くんが息を吸う音が聞こえてきて、それに乗せて一言だけ言った。
「年は関係ないんじゃない?」
俺も同感だった。
蓮くんと初めて出会った時から今日に至るまで、特に歳の差を感じたことはなかった。流石に康二とラウールくんくらいまで離れているわけではないから、というのも理由の一つにはあるだろう。しかし、自分がもし、蓮くんとそこまで歳が離れていたとしても、特にそこにコンプレックスは感じないような気がした。
「自信ないとか、思わんの?」
と康二は俺に尋ねた。
その問いに、俺は蓮くんと出会って間もない頃のことを思い出してみた。
突然現れては好きだと言う蓮くんの気持ちに、戸惑ってばかりだった頃の俺。
恋なんてほとんどしたことがなくて、自分の気持ちもよくわからず迷っていた頃の俺。
いろんな人の話、それぞれの価値観を聞いて、やっと見つけることができた自分の本当の気持ち。
蓮くんが向けてくれる気持ちも、視線も、全部が大切だと思えたから。
この先も大切にさせて欲しかったから。
だから、自信が持てるようになった。
人を愛す勇気をもらえた。
真っ直ぐに、蓮くんは俺が良いって言ってくれた。
その気持ちを真正面から受け止めていくことに、確かに初めは困惑した。
こんな風に俺を好きだって包み隠さず言ってくれて、全身で示してくれた人は初めてだったから。
俺でいいのかなって悩んで、恥ずかしくて、照れ臭くて、くすぐったかった。
でも、同時にとても嬉しかった。
恥ずかしくても応えたいって気持ちの方が大きくて、気付けば、今は何一つ迷うことなく蓮くんの愛情を受け取れている自分がいる。
こんなに変われたのは、全部蓮くんのおかげ。
康二は昔の俺に似ている気がした。
年齢という超えられない壁のコンプレックスはともかくとして、ラウールくんが向けてくれる真っ直ぐな愛情に戸惑っているように見える。
焦らなくても大丈夫だよって、少しずつ、自分の気持ちを前に出していけたら良いんじゃないかなって、そんな風に康二に伝えた。
「俺も、好きって伝えたいんやけど、引かれたりせぇへんかなって、怖いんよ…」
康二は下を向きながら、両手の人差し指を突き合わせて、曲げては伸ばしてを繰り返してそう言った。
…か、かわいい……。
すごくもじもじしてる。しゅんとした顔が、落ち込んだ小型犬のようだ。
これは、覚醒したら化けるんじゃないか…?と誰目線かもわからない、そんな予感を覚えた。
この可愛らしい不安を、どう和らげたらいいだろうかと考えを巡らせていると、蓮くんが話し始めた。
亮平と二人で、康二が話したいこととはなんだろうと事前に話していたが、その内容はとても可愛らしいものだった。ひとまず、康二が危険な目に遭っていないのなら、それはそれでよかった。
自分の気持ちを伝えて、相手が引くなんてこと、あるわけないのにな、と思う。
「相手が何してても何言っても、可愛く見えるから、そこは心配しなくて良いと思う」
そう伝えると、亮平も俺に賛同するように、康二に自分の意見を伝えていた。
一生懸命に面接の練習をしていた日のラウールを思い出す。
休憩がてら、あの子と恋バナをしたことが懐かしい。
あんなに、大げさに言うなら、盲目的に康二だけを追いかけてきたラウールが、康二の言葉や行動一つで冷めるわけがない。
むしろ、全部好きだって言うんじゃないだろうか、と思う。
康二が、どうしてここまで重く考えるのかについてはよく分からない。
好きって気持ちを隠していたって、相手には伝わらない。
好きだと思うなら、そのまま相手に伝えたいし、したいことがあるなら相手に言ってみたら良い。怖がっていたら前には進めないんだから。
亮平も、俺と出会った最初の頃は戸惑っていた気がする。
俺は気持ちを隠すのが逆に苦手だから、思ったことも伝えたいことも、亮平にそのままぶつけていた。
今思い返すと、あれは少し強引だったような気もする。
振り向いて欲しくて、好きになって欲しくて、我ながらだせぇって思うくらい必死だった。
それでも、いつか、亮平が俺の気持ちに応えてくれるかもしれないって、そればっかりを思っては、暇さえあれば会いに行った。
念願叶って亮平が好きって言ってくれた時は、心の底からの幸せを感じた。
その日、俺は数年ぶりの高熱を出して、意識は半分朦朧としていたというおまけ付きだけどね。
ぼやけた意識がはっきりとしていって、気だるい熱っぽさが体から少しずつ抜けていった頃、俺は亮平に誓った。
「絶対大切にします」と。
その気持ちはずっと変わらない。
亮平は誰よりも、何よりも大事な人。
ずっと好きだった人が、やっと振り向いてくれたっていうこの幸せを、きっと今、ラウールも感じていると思う。
あの子も俺と同じようなことを思っているんじゃないだろうか。
俺たちから何かを伝えるよりも、直接二人で話し合った方が良いんじゃないか?
俺はそう思って、スマホを開き、ラウールへメッセージを飛ばした。
「ラウール、今うちに康二が来てるんだけど、迎えに来てくれない?」
「えっ、そうなの!?いく!」
「住所ここね、遅いから気をつけて」
「ありがとう!10分で行く!」
康二のことになると、いつも以上に一生懸命になるこの子なら、やっぱり何も心配することなんてない。
10分後、時間ぴったりにインターフォンが鳴った。
俺は、康二を驚かせようと思って、来客の正体も伝えないまま、一人玄関へ向かった。
鍵を開けて、渡り廊下でラウールが上がってくるのを待っていると、息を切らせたラウールは全速力で俺のところまで来た。
「っはぁ、はぁ、っ、、向井さんは…っ?」
「中にいるよ」
「教えてくれてありがとう、、っ、ぜぇっ…はぁっ、、」
「息整えてからにしよっか」
「?」
「好きな子の前では、いつでもカッコ良くいたいだろ?」
「! うんっ!」
呼吸も落ち着いたところで、ラウールを家に招き、康二とご対面してもらった。
やっぱり康二はかなりびっくりしていた。
恋は運命的であればあるほど燃え上がるものだから、ちょっとした演出のつもりだった。
しかし、ご丁寧に全部康二に説明してしまったラウールの人の良さに、今回ばかりは頭を抱えた。
「そこは会いたかったから、とかだけ答えとけよ…」と心の中で呟いたが、「会えて嬉しい」とラウールが真っ直ぐに伝えた先で、康二は満更でもなさそうに照れていたから、それで良いかと、俺は肩をすくめた。
これが二人の形なのかもしれない。
俺と亮平の間にしかないものがあるように、きっと、これからラウールと康二の中にだけ生まれていくものがあるんだろう。
この二人がこれからどうなっていくのか密かに見守っていよう、そんな風に思いながら、俺は亮平と手を繋ぎながらラウールと康二を見送った。
康二とラウールくんを見送ってから、リビングに戻ると、スマホの画面が明るく光っていた。来ていた通知を確認すると、それはオーナーからのものだった。
「もうすぐお泊まり会だね。ラウールと康二も誘おうと思うんだけどどうかな?」
オーナーからのワクワクする提案に、「いいですね!楽しみです!」と返信をすると、蓮くんは「いいなぁ…」としょんぼりしていた。
「3日間会えないのは寂しいけど、お仕事頑張ってね」
「土曜日の夜電話しても良い…?」
「ふふ、うん、もちろんだよ。待ってるね」
「うん!待ってて!っしゃぁ、仕事頑張れそう」
「それはよかった、じゃあお皿洗って、お風呂入って、寝よっか」
二人でお風呂上がりのほかほかな体をベッドに預ける。
向かい合って抱き締め合えば、お互いの体温で少し暑くなる。
「亮平」と俺を呼ぶ蓮くんの声に「なぁに?」と返す。
蓮くんは、俺を包む腕に少しだけ力を加えて優しい声で囁いた。
「好きになってくれてありがとう」
康二と話していて、俺と同じように蓮くんも何か感じるものがあったのだろうか。
蓮くんがそう言ってくれるのがとても嬉しい。
でもね、蓮くん。
それは、お互い様だなって、俺は思うんだ。
お風呂上がりの温かさを残す蓮くんのその胸に顔を埋めて、今俺の心に広がる気持ちを蓮くんに伝えた。
「俺の方こそありがとう。俺を見つけてくれてありがとう」
朝を迎えるまで離れないようにと、お互いをぎゅっと抱き締めて、俺たちは夜の中に意識を溶かしていった。
To Be Continued ………………………
コメント
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めめあべの先輩カップル感すきだわ🖤💚
面白かったです!