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1980年8月。本名・工藤華江(くどうはなえ)は福岡県にて生まれた。父は世界的に有名な俳優・江東甚太(えとうじんた。本名:工藤甚太)。母はファッションモデルの工藤涼恵(くどうすずえ。旧姓:花澤)。5つ離れた兄の工藤夕貴(くどうゆうき)は父を見習い俳優を目指していた。そんな家庭で育った華江は後に俳優を志すこととなる。
有名人の両親は仕事で昼間、夜間に家に滅多にない。そのため兄と華江を面倒見ていたのは祖父母がほとんどだった。しかし、華江が幼稚園生の頃祖母ががんに倒れそのまま悪化していき、息を引き取った。小5の頃には祖父が91歳で老衰で亡くなった。その頃、兄が高1で寮生活を送っているため家には一人華江しかいなかった。
無期限で活動休止を宣言したのは父の甚太だった。娘のためと母に稼ぎを任せて面倒を見ることにしたのだ。
華江が高校へ入学することになった年。華江は兄と同じ高校に進学した。それからは普通の日常を送った。
22歳で華江はオーディションにで俳優デビューする。それから順風満帆かと思われたがそうはいかなかった。華江が売れ始めたのは30歳の時。色々な作品に出ていると有名映画監督である坂口段治郎(さかぐちだんじろう)に才能を見出され主演を務める。すると、それから売れっ子の俳優としてバラエティなどの様々なテレビ番組に出演。同業の旗井蓮(はたいれん)と結婚をし、翌年には息子も生まれた。しかし、華江は売れるに連れどんどんと疲労がたまり体を崩していった。そしてあるものに手を染める。薬物だ。
それから華江の行動は狂っていった。最初のうちは仕事が楽になりよかったが後々華江は幻覚幻聴、情緒がおかしくなったりした。そのことについておかしく思った夫の旗井が華江のことを調べると薬物を発見。警察に通報し華江は逮捕され懲役刑が言い渡された。それから釈放され旗井とは離婚、子は旗井へと渡った。それから華江は驚きの行動に出る。旗井と息子を殺す。そしてその遺体を放置されている野山に埋めた。未だにその遺体は見つかっていない。そして、華江は人が憎くなりこのデスゲームに人を死ぬ姿を見たいという理由で参加した。そしてゲームに参加する理由はすべて嘘だ。
そして今に至る。