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「ティア、座り心地に文句を言うのは後にして、これを飲め。こいつらの気遣いを無駄にするな」


キツイ言葉使いのはずなのに、グレンシスの声音はしっかり甘さを含んでいる。


それを感じ取れる程度には、ティアはグレンシスに対して心の距離を縮めていた。


「はい。いただきます」


言われるがまま、ティアはグレンシスから差し出された木のコップを受け取る。


一口飲めば茶葉の香りと、もぎたてのオレンジのすっきりとした香りが鼻に抜ける。


喉を滑り落ちる時の冷たさも、とても心地いい。一口だけのつもりが、気付けばコップは空になっていた。


「ごちそうさまです。冷たくて美味しかったです」


ティアの言葉にトルシスは、ぱっと弾かれたように笑顔になり、すぐさまおかわりを注ぎ入れる。


それを横目で見ていたカイルは今度は自分がと、手にしていた皿を差し出した。


「ティアさん、焼き菓子もどうぞ。この飲み物に合いますよ、きっと」

「あ……いただきます」


ティアが、ひと切れ口に含む。


確かに、美味しい。バターをふんだんに使ってあるので、しっとりとしているし、ナッツの触感とベリーの甘酸っぱさが最高のバランスで、文句の付け所がない美味しさである。


思わず口元が緩んだティアを見て、カイルもへへっと照れ臭そうに笑う。くせ毛の彼が笑えば、ぴょこんと前髪も一緒に跳ねる。


ティアは、もともと食に関してあまり執着がない。好き嫌いもほとんどないというより、そこだけ飛びぬけてズボラだったりもする。


忙しい時には食べないし、今みたいな暑い季節は特に食欲が落ちるので、ズボラに磨きがかかって食事を抜くこともしばしば。


けれど、季節に関係なく美味しいものを食べれば気持ちは明るくなるし、妙齢の女の子らしく甘いものには目が無い。


最後に残っている桃は、これまた格別に美味しそうな香りを放っていて、ティアはついついコクッと唾を飲み込んでしまった。


「さぁ果物も食べてくださいね」


ちょうど一口サイズに桃を切り終えたバルータは、そう言いながらティアに……ではなく、グレンシスに皿を向けた。

なぜかグレンシスは、手袋を外していた。


「ほら、食べろ」


阿吽の呼吸で、バルータが手にしている皿から桃を一切れ取ったグレンシスは、自然な流れでティアの口元に運ぶ。


途端に、ティア頬が熱くなる。


さすがに、雛鳥よろしく餌付けをされてしまったら、心臓が止まる。今だって、壊れそうな程、バクバクしているというのに。


けれど、桃の香りは、まるで早く食べてと言わんばかりに誘惑する香りを放っている。


意を決してティアは桃をぱくんと加える。ぐじゅと舌で押しつぶして、ティアは良く冷えた桃を丁寧に味わう。


まったりとコクのある甘味が口の中にとろけるように広がって、ティアは思わず泣き出したい気持になってしまった。


今、自分がいるのは、記憶の中にしかないはずのグレンシスの膝の中。


夏の強い日差しは、ケヤキの木が防いでくれて、心地よい涼しさと、爽やかな夏の香りだけを運んでくれている。


キラキラと眩しくて。まるで夢のようだった。


こんな日が来るなんて3年前には……いや、母親が死んでからもう一度味わえるなんて思っていなかった。


母親が死んでから、ティアは誰かに甘えることを諦めた。そして、ワガママを言うことを放棄した。


それは偏に、自分の居場所を失いたくなかったから。唯一の居場所である娼館の人間に、疎まれたくなかったから。


マダムローズを始め、娼館に身を置く人間はティアにとても優しい。でもそれは、自分がそうしてもらえるように、いつも良い子でいるから。


ティアは、メゾン・プレザンが大好きだ。そこで働く人々も。綺麗な庭も、美しい音楽を奏でてくれる楽団も。美味しい料理を作ってくれるシェフも。何もかも。


けれども幸せな日常は、突然引きちぎられるかのように終わりを迎えることも知ってしまっている。


だからティアは、精一杯、良い子でいる。天の采配で終わりを迎えてしまう以外の理由で、大切な日常を壊さないように。


なのに今、ティアは良い子でいないのに、こんなに幸せで、贅沢な時間を過ごしている。


わざわざ自分の為に、冷えた食べ物や美味しい菓子を用意してくれて。誰かの膝の上で、食べ物を食べさせてもらえるなんて──そんなことは、記憶にすらない。


(この日々が、あと少しで終わってしまう)


ティアは泣きそうな思いを、ため息と共に吐き出す。


気を抜けば、今まで生きてきた中で一番幸せだと思う時間が、これからもずっと続けばいいなんて、馬鹿みたいなことを思ってしまっている。


つんと鼻の奥が痛くなる。誤魔化すように大きく息を吸えば、草木の香りに混ざって、グレンシスの香りが鼻孔を掠める。


桃よりも魅惑的な香りにティアはくらくらと眩暈を覚えた。自制心はあっけないほど薄れていく。


(ちょっとだけ、バレないように……)


細心の注意を払って、グレンシスの胸にもたれてみる。


髪が少しだけ触れる程度だったのに、グレンシスはすぐに察して、ティアをより強く自身の胸に引き寄せた。


大きく節ばった手は、もうティアを拒むことはない。太くたくましい腕は、軽々と自分を支えてくれている。


(あと何回、こんな幸せな気持ちを貰えるのだろうか)


そんなことをふと思ったら、また胸が痛くなった。


でも、こんな宝物を与えられたのなら、これから先、どんなことがあってもこれを糧に生きていける。そんなふうにも思った。


ティアは、「傷跡を一生の宝にしたい」と言った、善良なお騒がせ民の言葉の意味を、ここにきてようやく理解することができた。

エリート騎士は、移し身の乙女を甘やかしたい

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