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いったいどれほどの日が経ったのか。 十日か、一か月か、あるいはもっと長いのか。
ボクには、もう数えられなかった。
時計がない。窓もない。太陽の光も月明かりも、ここには差し込まない。
唯一の変化は、小窓から差し入れられる食事。それが時間の目印のはずだった。
けれど同じパンと同じ水が、同じ無言で差し込まれ続けると、やがてそれすらも曖昧になっていった。
何度目の食事か。今が朝なのか夜なのか。
その違いを区別する気力は、とっくに消えていた。
最初のうちは、まだ声を出していた。
「おい」とか「出して」とか。無視されるのはわかっていたけど、せめて自分の存在を確かめるために。
でも、次第に言葉が重くなった。
喉を震わせるのが億劫になり、声を出すたびに胸の奥がざらつく。
何度も無反応を突きつけられているうちに、やがて「話すこと」そのものが意味を持たなくなった。
気がつけば、食事のとき以外はほとんど口を開かなくなっていた。
床に横たわり、天井を見上げる。
目に映るのは、最初に見たときと変わらない、のっぺりとした白とも灰色ともつかない色。
「…………」
声が喉まで出かかったが、そこで止まる。
何を言えばいいのか、自分でもわからない。言葉を選ぶより先に、もう「言わなくていい」と心が判断してしまう。
そうやって口数が減ると、頭の中の思考まで鈍くなる。
考えがまとまらない。
自分が昨日何をしたのか思い出そうとしても、昨日があったのかどうかすら疑わしい。
パンを食べる。
最初は無味だと思った。今はもう「味」という概念すら浮かばない。
水を飲む。冷たいかどうかも、だんだん確かめるのをやめた。
それは「生きている」と呼べるのだろうか。
ただ喉を通過していくだけの作業。食事を「とる」というより「受け入れる」に近い。
ふと、夢を見た気がした。
学校の廊下を歩いている夢。名前も思い出せないクラスメイトが笑っていて、ボクはその横をすり抜けていく。
けれど、次の瞬間にはその顔がぼやけ、声も消え、残ったのは真っ白な空間だけだった。
目を覚ましても、部屋の中は変わらない。
夢と現実の境目が、どんどん曖昧になっていく。
あるとき、壁に爪を立ててみた。
強くこすれば傷でもつくかと思ったが、何も残らなかった。
皮膚の方が負けて、赤く腫れて痛むだけ。
「……意味、ないな」
かすれた声が出て、すぐに消えた。
その一言すら、どれだけ久しぶりの発声だっただろうか。
ボクは誰だっけ。
ふいに、そんな疑問が浮かぶ。
名前を思い出そうとするが、舌の上に乗る前に霧散していく。
昨日までは覚えていた気がする。でも今日は思い出せない。
「ボク」と自分を呼んでいたはずだ。けれど、それも少し遠くに感じられる。
本当に「ボク」だったのか。もっと別の言い方をしていたんじゃないか。
考えると、頭が痛くなる。
だから思考をやめる。
壁にもたれて座り込む。
小窓からパンが滑り込む音がした。手を伸ばして受け取る。
パンを口に押し込み、水で流し込む。
咀嚼しているのかどうかも、もうあやしい。ただ「入れる」と「飲み込む」だけの行為。
空腹は感じない。満腹も感じない。
食べ終えたあとの感想は、いつも同じだ。
「…………退屈」
それだけ。
気づけば、夢を見る時間の方が長くなっていた。
現実と夢の境目がなくなっていく。
夢の中で誰かが名前を呼んでいた気がする。でも、その声が誰のものか思い出せない。
起きて天井を見ても、誰もいない。
返事をしようとしても、声が出ない。