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部活の居残り練習。体育館には、バッシュが床をこする乾いた音と、ボールを叩く重い音だけが響いていた。
北さんたちが先に帰り、残っているのは自主練に励む宮兄弟と、データの整理をしている私だけ。
「……あー、もう動けへん。腹減って死ぬわ」
床に大の字に寝転がったのは、侑くんだった。
彼は汗を拭いながら、マネージャー席に座る私をジロリと見上げる。
「なぁ、朱里ちゃん。治にばっかり美味いもん食わせんと、俺にもなんかくれや。俺の胃袋は今、枯渇しとんねん!」
「えっ、でも、おにぎりは治くんが……」
「……ツム。お前、うるさい。……枯渇しとるんは、お前の脳みそやろ」
ボールカゴを片付けていた治くんが、無表情のまま二人の間に割り込んだ。
彼は侑くんの顔面に、使い古したタオルをバサリと投げつける。
「痛っ!? 何すんねん治! 兄貴に対するリスペクトが微塵も感じられへんぞ!」
「……リスペクトする価値、一粒もないわ。……朱里、こっち。……ちょっと手伝え」
治くんは侑くんを足蹴にするように無視して、私の手首を掴むと、人気のない更衣室の影へと連れて行った。
「……治くん、まだ片付けが……」
「……ええねん。あいつに構う時間は無駄や。……それより、俺、限界やねん」
彼は壁に背を預けると、私の肩にぐったりと頭を乗せた。
部活終わりの、少し熱を持った彼の体温。
汗の匂いの中に、かすかに混じる石鹸の香りが鼻をくすぐる。
「……お腹、空いたの? おにぎり、一個残ってるけど……」
「……いらん。……おにぎりより、もっと甘いもんがええ」
治くんは顔を上げると、至近距離で私をじっと見つめた。
スナギツネのような細い瞳が、今は獲物を前にした、ひどく飢えた色をしている。
「……今日の弁当のお返し。……まだ、貰うてへん」
「えっ……お弁当、美味しかったって言ったよ?」
「……言葉だけじゃ、お腹空いたままや。……朱里の『一口』、俺にちょうだい」
彼が私の唇に指を伸ばした、その時。
「あーーーっ!! 見つけた! 治、自分だけ朱里ちゃんと更衣室で密会しとるやんけ!! 隠れて不潔なことすな!!」
扉を勢いよく開けて入ってきたのは、タオルを頭に巻いた侑くんだった。
後ろには、スマホを構えた角名くんが「あーあ、いいところで邪魔が入ったね」と、わざとらしく録画ボタンを押している。
「……ツム。お前、ほんまに……死ね。……今、一番大事な『デザート』の時間やったのに」
「デザートって何やねん!! 朱里ちゃん、こいつの『空腹』に騙されたらあかんで! こいつの胃袋はブラックホールや!!」
「……ブラックホールやない。……朱里専用の、貯蔵庫や。……角名、ツムをモップで殴って黙らせろ。……朱里、帰るで」
治くんは侑くんを蹴散らすようにして、私の手をギュッと握ると、そのまま体育館を後にした。
「……朱里。……夜道は危ないから、家まで『一口』お預けな。……玄関先で、きっちり回収させてもらうから」
おにぎりよりも、肉まんよりも、ずっと熱くて甘い約束。
満たされない独占欲を抱えた彼の瞳に、私は抗う術を持っていなかった。