テラーノベル
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「お姉、そろそろ寝ないと」
「あ、うん。あとちょっと……もうちょっと」
「珍しいね。お姉がパソコンするなんて。というよりも、パソコン使えたんだ」
「へっへっへ。あたしだって、やるときはやるんだよ、咲良。情熱だせば何でもできるにょ。ちょいちょいちょいっ」
*
病室内は人いきれで熱い生命力に溢れていた。
「瑞奈」「ピッチでまたボール蹴ろうぜ」「俺たちがついてるからな」「バカ、晴翔がついてるだろ」「可愛くなったな」「色気が出てきた」「今、瑞奈が晴翔に『愛してる』って言ったら、晴翔は惚れ直すんじゃない」
お見舞いへの礼節はあっても、病気に対する悲観は表立ってない。瑞奈もリラックスした顔つきで、チームメイトの冗談に耳を傾けている。
東京に戻った俺がチームメイトに瑞奈の病気のことを伝えるや、その日のうちにどやどやと彼らが瑞奈の病室に押し寄せて来た。
「愛してる、そんにゃ歯の浮くセリフ、絶対に言わにゃいかりゃ」
前に聞いたことのある言葉を瑞奈が言う。おおおーっと、やはり前と同じようなリアクションが周囲からあがる。
笑い声、拍手の音、若者らしい熱気で病室内のムードが盛り上がっていた。瑞奈が大口を開けて笑う。本当に楽しそうだ。たとえ、口の開き方が少しぎこちなくても。鼻マスクから零れる息が昨日よりも苦しそうであっても。
そんな矢先のことだった。
ドアがノックされた。
「幸成じゃね。酒の調達から帰ってきた」「幸成がノックなんかするかよ」「幸成入れー」
違う。
俺は少しだけ緊張を覚える。今、ドアの向こうに立つ人は、きっとあの人だ。
俺が呼んだ。皆には内緒で。
本来ならば瑞奈がコンタクトするべきLINEのIDを、俺が利用させてもらった。そうして、その人が所属するチームに出向き、話をしてきた。
「どうぞ」
俺がドアに向けて慎重な声をかけると、皆も何かを察したらしい。少なくとも幸成ではない、と。
ドアがゆっくりと、躊躇いがちに開かれた。
「あ」
瑞奈が誰よりも早く気付いた。
「川南ちゃん」
「お邪魔、します」
川南澪の登場に、病室内の空気がピリッとした。当然だろう、川南は、来週俺たちが決勝で戦う相手チームのエースだ。
「ごめん、遠くまで」
率先して川南に話しかける俺。この張り詰めた雰囲気を和らげたかった。
しかし、そんな俺の気遣いは不要だった。
「川南ちゃーん」
ぱっと顔を輝かせた瑞奈が、おいでおいでとぎこちなく手招きする。ここ数日で、腕をあげることも辛そうだったのに。
「瑞奈、聞いたよ」
つかつかと川南が瑞奈のベッドに歩み寄っていく。自然と人の塊が割れ、川南が通る道が開けられた。
川南から発せられるオーラに気圧されてしまう。声をかけた俺でさえ、こめかみに汗をにじませていた。ただ一人。瑞奈だけが嬉しそうに、近づいてくる川南に向けてゆっくりと両手を広げた。
瑞奈の手を、川南はべちんと叩き落とした。
病室内が瞬時に殺気立った。
病室に川南を呼んだのは……間違っていたのだろうか。
「瑞奈、死んだら承知しないから!」
川南が瑞奈の衿元をぐいと引っ張り上げる。
「おい」川南を瑞奈から引き離そうする俊介の肩を、拓真さんが掴んだ。
「え、ちょっと」困惑した俊介が拓真さんを振り返る。拓真さんは首を横に振った。
「だって」俊介が再度、瑞奈と川南を見やった。
「あ」俊介がピタリと動きを止めた。
背をぶるぶると震わせている川南の吐きだす息が嗚咽まじりになっていた。いまにも慟哭する、その手前で彼女は持ちこたえていた。
「川南ちゃん、ごめんね。決勝は出らりゃれそうににゃい」
パジャマの胸ぐらを掴まれているにもかかわらず、瑞奈は嬉しそうだった。
「そんなの許さないっ。許さないから!」
吠えた川南が首を激しく振った。
「決勝で瑞奈に勝って、セレクションの時から感じ続けてきた引け目を……、どうして、どうして……勝ち逃げするの!」
わああああっ、と絶叫しながら川南が瑞奈を抱き締める。
どこにも行かないで、そんな願いが込められているのが見ているこちらにも分かった。川南ちゃん力つよー、とおどける瑞奈の目にも涙が浮いている。
「あたしの負けだよ。コンディションを整えりゅのも勝負の一つだし。だから、良い状態で決勝を迎えりゅ川南ちゃんの勝ち」
「そんな屁理屈聞きたくない!」
瑞奈の胸に顔を埋めた川南が、くぐもった声で叫ぶ。瑞奈を自分の手が届かない遠くには行かせない、そんな気持ちがひしひしと伝わってくる。
だから、川南が口にした言葉に俺たちは度肝を抜かれた。
「瑞奈、これから一対一の勝負……しよ。勝ち逃げは許せない。不戦勝はもっと許せない。きちんとケリつける。わたしと瑞奈、どっちが上手いのか」
ちょっと待て、瑞奈はそんなことができる体調じゃない!
誰しもがそう思い、誰しもが川南を諭そうと、口を開けようと――
「川南ちゃん、最高。そうこにゃくっちゃ」
瑞奈が愉快そうにへっへっへと声を漏らし、いそいそと床に足をおろした。
嗜めるように俺は瑞奈に駆け寄った。「そんな状態じゃないだろ!」
「んにゃ?」
瑞奈がすくっと立ち上がった。まるでALSの事なんて忘れたかのように。
「へ……? おまえなんでそんなにさくっと立てるんだよ」
考えを巡らすように視線を泳がせた瑞奈が断言した。
「負けられにゃい戦いだからかにゃ。川南ちゃんにも、病気にも」
瑞奈が川南に向き直った。にいっと笑みを刻んで、瑞奈らしく病魔に向かうように。
「一本勝負ね」
立てた指は二本でピースをしていた。
と――、
「うーす、酒買ってきたぞ、っと、あれ? 瑞奈が立ってる? げ、川南」
買い物袋をパンパンに膨らませた幸成が、ぽっかり口を開け石のように固まっていた。
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