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めんだこっち
約束の日。
私たちは、華やかな中央区の喧騒を背に、地図から塗り潰されたかのような灰色の街──
スラムへと足を踏み入れた。
高く聳え立つ防壁の向こう側。
そこは、陽光さえも汚濁した空気に遮られ
常に湿った鉄の匂いと腐敗した何かが混ざり合う、この世の果ての異界だった。
肺に吸い込むたびに、喉の奥がざらつくような錯覚に陥る。
「……ここ、ですかね?アルベルトさんの情報と一致しそうな場所」
案内役を買って出たダイキリの声も、心なしかいつもより低い。
彼女は鼻先をマフラーで覆いながら、泥濘んだ路地を慎重に進んでいく。
その足取りには、いつもの天真爛漫さはなく、どこか怯えを隠そうとするような硬さがあった。
アルベルトは、最初から異様だった。
スラムの境界線を越えた瞬間から、彼の歩幅は、あのミリ単位の正確さを失い
視線は彷徨うように周囲の崩れかけた瓦礫を追っている。
その瞳は、何かを見つめているというより、見えない亡霊を探しているかのようだった。
「アルベルト、大丈夫?」
私の問いかけに、彼は答えない。
ただ、肺の奥まで抉るように、この街の澱んだ空気を深く吸い込んでいる。
まるで、体内の血液をこの街の毒で入れ替えようとしているかのように。
「……雨の、匂い」
「え?」
「雨が降る直前の、埃が舞う匂いと……焦げたパンの、臭い。……知っています、ここを」
彼の声が、僅かに震えていた。
さらに奥へ進むにつれ、街並みは崩壊の度合いを増し、道は狭まり、空は低くなる。
家々と呼ぶにはあまりにも粗末な小屋が、互いに寄り添うようにして腐敗を待ち
まるで巨大な獣に喰い散らかされた残骸のようにも見えた。
そんな絶望の極地のような場所で、ひと際異質な存在感を放つ一軒の建物があった。
周囲の瓦礫の中で、その建物だけが微かに、だが確かに「生活」という体温を持って息づいている。
外壁は青白い蔦に覆われ、窓には色褪せたレースのカーテンが掛かり
扉の取っ手には無造作に引っ掛けられた小さな鈴が揺れていた。
それは、かつて誰かの日常を、帰宅を告げるための優しい音だったのだろう。
「待ってください、ここ……見覚えがあります」
アルベルトの呟きに導かれ、私たちは錆びついた門扉を開け、庭へと足を踏み入れた。