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なんとなく若菜が思っていることがわかるのに、正直に答えられないのは歯がゆいし、なにをやっているんだろうと思う。
若菜に彼氏ができる度に、俺のほうが若菜を理解していると思っていながらそれを口にしなかったことと、今は本音を言わないという点では似ているような感じもする。
けど決定的に違うのは、「俺のほうが若菜を理解している」と思っていたあの頃と、「俺のほうが原田に劣っている」と思う今との、劣等感の差だ。
俺よりも原田のほうが、若菜にふさわしい男だと俺自身が思っているから。
思いたくないけど、そう思っているから、なにも言えないんだ。
「ごめん、なんでもない」
若菜は弱く笑った。
そう言うしかないというような、儚い笑みを見ながら、もしかして俺に「嫌だ」と言ってほしいんじゃないかと思うのは、俺の勝手な思い込みだろうか。
……いや、たぶんそうだろうという感覚はあるし、間違っていない気がするけど、俺は言えない。
若菜には幸せでいてほしいと思っているからこそ、俺じゃ役不足で、原田に勝てるところが見つからないんだ。
「原田くん、お父さんのお店のことは、当面原田くんと原田くんのお父さんがなんとかしてくれるって言ってた。
私はお店のことはわからないけど、たぶん大丈夫なんだろうと思ったよ。お母さんも不安そうだったから、それはちょっと安心した」
「そっか」
若菜とおばさんのことを思えば、「よかった」と思うのに、自分が役に立てなかったことが情けない。
「お店のこともあるだろうけど、若菜にとってはたったひとりのお父さんで、おばさんにとってはたったひとりの旦那さんだし、体大事にゆっくりしてほしいよな」
「そうだね」
若菜は弱い笑みをもう一度浮かべる。
「私もお父さんにはゆっくりしてほしいから、原田くんの厚意に甘えさせてもらうのがいいのかなって思ってる。
……そこまでしてくれる原田くんに、私も……ちゃんと原田くんのこと、考えたほうがいいなって……。ちゃんと、考えなきゃって思ってるよ」
若菜の弱い微笑みを見ながら、胸が締めつけられた。
……いや、胸が締めつけられるよりもっと、喉を押さえつけられて呼吸を止められたような息苦しさが襲う。
若菜の性格ならそう思うだろうと思うし、俺より原田のほうがふさわしいと認めてから、若菜自身や、若菜の環境を大事にしてくれそうな原田に目を向けるよう、アシストしたつもりだ。
それは原田のためじゃない。
「俺がそうした」という事実が欲しかったからだ。
それならまだ「仕方ない」と自分に言い聞かせることができるから、自分のためにそうした。
それなのにこんなに苦しくなるなんて思わなかったし、若菜が原田とのことを真剣に考えるとわかって、気が付いた。
俺はずっと、若菜を自分のもののように思っていたんだって。
幼なじみという特別な席に座って、相手も俺を特別に思っているのを知っていたから、勝手に若菜を自分のもののように思っていたんだ。
若菜に何度彼氏ができても、「俺のほうが」と思っていたのだって、若菜にとって俺の存在は特別だと知っていたから、思い上がっていた。
若菜とケンカして絶縁でもしない限り、俺たちの関係はずっと続くはずだから、心のどこかであぐらをかいていた。
自分が若菜に一番近い存在だと自負していたけど、でも、若菜が原田に告白されて、あいつのことを考えると言ったのを聞いて、言いようのない怖さに襲われる。
若菜も俺も、ただ好きだとか、勢いだけで付き合う歳じゃない。
この状況で原田と付き合うなら、結婚がよぎるのは目に見えている。
原田はそういうつもりだろうし、若菜だってもちろん考えるだろう。
若菜をどこかで自分のもののように考えていたけど、結婚すれば一番近しい人は、結婚相手になる。
若菜が原田のものになれば、俺はもう手を伸ばすこともできない。
俺の手の届かない人に―――俺以外の男のものになってしまうなんてこと、わかっていたはずなのに。
結婚すればそれが当たり前なのに、その事実を差し出されて、見せつけられた気がして、心づもりしていたはずなのに、バカみたいに胸が苦しくなった。
「じゃあね」
若菜の声にはっとしてそちらを見ると、眉を下げ、若菜は弱い笑みを浮かべていた。
「もう遅いし、湊も早く寝なよ」
「……あぁ、若菜もな」
なんとか反応すれば、若菜は小さく頷いて背を向けた。
空き地の向こうにある若菜の家へ、若菜が歩いていくのをやりきれなさに唇を噛みしめながら見つめる。
異動まであと10日。
その間に、若菜から原田と付き合うという報告を聞くことになるんだろうか。
……いや、もしかして、その報告は原田からかもしれない。
もし若菜と付き合うと決まれば、原田はすぐ俺に報告してくるだろうから。
(次あいつから連絡が入れば、その報告かもな)
考えると火傷をした時のように胸がじりじりとして苦しかったが、頭を振って想像を追い出そうとする。
そんな報告聞きたくない。
でも現実に起こり得ると思うからこそ、消そうとしても想像が消えることはなかった。
なかなか寝付けないまま朝を迎え、だるい体でリビングに入り、コップ一杯の牛乳をゆっくり飲んだ。
今日は店長の計らいで午後から出勤していいことになっている。
家の車が借りられるなら、若菜のおじさんの見舞いに行ってから出勤しようと思っていた。
「あ、起きたの」
顔を出した母さんにおじさんの見舞いに行きたいことと、車を借りたいことを伝えれば、使ってもいいと了承がもらえた。
「あ、じゃあこれ、多田さんに持って行って。ぶどう買ってたのよ」
母さんがテーブルに置いたぶどうを見て、若菜の家は家族みんなぶどう好きだと思い出した。
「わかった」
「それに湊、あんた来月から○○県に行っちゃうんだし、多田さんに話しておいたら?」
「そうだな」
まだおじさんに異動の話はしていない。
次いつ見舞いに行けるかわからないし、話しておいたほうがいいだろうな……。
テーブルの上にあったバナナを食べ、簡単な朝食を済ませて家を出る。
病室のおじさんのベッドのカーテンは開いていて、俺が中に入るとすぐ、おじさんと目が合った。
「あぁ、湊くん。来てくれたんだ」
「はい、体調どうですか?あ、これうちの母からです」
「あぁ、ありがとう。元気だよ。悪いね、忙しいのに来てもらって」
「いいえ」
ぶどうをテレビラックの下にある冷蔵庫に入れ、脇のパイプ椅子に腰かける。
「時々親から話を聞いてたんですけど、おじさん元気そうでよかったです」
「うん、ほんとぜんぜん元気なんだけどな。なかなか退院させてもらえなくてなぁ。湊くんのほうは仕事は順調?」
「あー……」
苦笑いが零れ、「実は」と続ける。
「俺、異動になったんです。来月から○○県の店で働くことになって」
「えっ、そうなのか。来月ってもうすぐじゃないか」
「はい、わりと急に言われて俺もびっくりしました。でもまぁ、なんとかやっていきます」
「それは驚いたな。清水さんたちもびっくりしてただろ。しばらく戻ってはこない……よな?」
「たぶん。どれくらいかは、わからないですけど」
「そっか、それは寂しくなるな。若菜も知ってるのか?」
「はい」
「寂しがってただろー。なんだかんだで、湊くんとずっと一緒だしなぁ」
そうだ。なんだかんだで俺と若菜はずっと一緒だった。
何か月も顔を見ない時だってあったけど、それでも離れているなんて意識はなかった。
「……すごく驚いていましたよ」
「だよなぁ」
おじさんは感慨深そうに何度か頷く。
「そっか、湊くんも転換期なんだな」
「転換期?」
「俺も店に今立ててないし、湊くんも異動だろ」
「あぁ、そうですね」
「先のことを考えると難しいけどな。俺は小さなスポーツ用品店でも、やれるところまで続けたいなぁ」
苦笑いを浮かべ、おじさんは窓の外に目をやる。
「ほら、若菜や湊くんの同級生の、原田さんところの渉くんが、今代わりに仕事を引き受けてくれてるんだ。最初はそれでいいのか迷ったけど、思い切ってお願いしたら、母さんもほっとしたみたいだし、よかったなと思ってる。まぁ早く退院して、自分で仕事したいけどな」
おじさんは外を見ながら、一呼吸置いて続けた。
「……渉くん、若菜のことが好きらしいんだ。見舞いに来てくれてそれを言われて、びっくりしたよ。でも渉くんは真剣みたいだったし、若菜もいい年だし、親としてはまとまってくれたらなと思うよ」