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テラーノベルの小説コンテスト 第3回テノコン 2024年7月1日〜9月30日まで
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マリアーヌ段丘。海と山岳地帯に挟まれた、緑豊かな大草原地帯。

 しかし、その全てが平地ではない。緩やかな丘があちこちに散見しており、当てもなく直進しようものなら、行く先々で坂を上り、そして下ることになる。

 イダンリネア王国の所在地はこの地の北東だ。分厚い壁で囲まれており、王国の民はその内側で平和な日常を過ごしている。

 反対に、壁の向こう側は危険地帯だ。力を持たぬ者は、成す術なく魔物に殺されるだろう。

 野原に立つ、二人の男女。王国の壁は目と鼻の先にあるのだが、両者がまとう緊張感には殺意すら混じっている。

 周囲を見渡すと、その風景は普段通りのマリアーヌ段丘だ。

 君臨する、人工の壁。

 緑色と茶色で構成された、でこぼこな野原。

 エリシアの大門からそう遠くないことから、二人の門番が立っている様子も小さく見えている。

 この付近には魔物は生息しておらず、この地を縄張りとする草原ウサギは微塵も見当たらない。

 それゆえに、この辺りまでなら子連れの親子が遊び場にすることさえ可能だ。ゴブリンや巨人のように定住しない魔物も存在するため、絶対の安全地帯とは言えないものの、それらとの遭遇はレアケースゆえ、過敏なまでに恐れる必要はない。


「魔法をやり過ごせるのはあんただけじゃないって、教えてあげる」


 少女の声は高圧的だ。終始ぶれないその態度は、その性格に起因している。

 彼女の名前はネイ。

 大きな瞳はかわいらしい反面、その視線はやはり鋭い。

 艶っぽい黒髪は尻尾のように束ねられており、暖かな風によって毛先を揺らしている。

 真っ赤な半袖の上には革製の軽鎧をまとっており、紺色のホットパンツも相まって四肢はありのままだ。

 それ自体は珍しいことではない。半袖短パンの子供を街中で見かけることは珍しくもなく、大人であろうと短いズボンの着用はオーソドックスと言えよう。

 エウィンは長袖と長ズボンを愛用しているが、それしか持っていないという経済的事情に起因している。

 もっとも、先の戦闘で衣服はボロボロだ。

 風の攻撃魔法によって切り刻まれ、さらには雷撃に晒されてしまった。見るも無残に焼け焦げており、いっそ脱いでしまった方が清潔的でさえある。

 それでもなお、この少年は傷一つ負ってはいない。

 対戦相手のキールを打ち負かし、彼は足元で気絶中だ。

 エウィンは勝った。

 だからこそ、次の演目が始まってしまう。

 舞台に立たされた以上、渡された台本に沿って演じるしかない。

 そのはずだが、少年はアドリブで動き出してしまう。


「教えてもらわなくて結構ですので、帰ってもいいですか?」

「ダメって言ってるでしょ? あんたバカなの? それともアホなの?」


 希望を述べるも、結果は罵倒の嵐だ。身構えてはいたものの、年下の少女になじられてしまう。しょんぼりと肩を落とさずにはいられない。


「だったら、そろそろ理由を教えてください。なんで僕は戦わないといけないんですか?」

「うるさいわね。言えないし言うつもりもない。あんたは黙って私達に倒されればいいの?」

「じゃ、降参します。僕の負けです。では、さようなら」


 理不尽な要求に少年は匙を投げる。足元で眠るキールを介抱したいという気持ちはあるのだが、放っておいてもいずれ目覚めるはずだ。

 エウィンは金を稼がなければならない。

 借金を返済するため。

 アゲハを宿屋に泊めさせるため。

 さらには食費も必要な以上、この時間はただただ不快だった。

 ゆえに、このタイミングで立ち去る。キールを殴ってしまったことには心痛むが、攻撃魔法を六回も撃ち込まれたのだから、正当防衛だと自分に言い聞かせる。

 煩わしさを感じる一方、有意義な時間だったことも確かだ。

 傭兵試験に合格して既に十一年。ベテランと言っても差し支えないながらも、他者とチームを組んだことなどほとんどないため、魔法をマジマジで観察出来たことは非常にありがたい。

 急いで帰宅し、着替えて、ギルド会館に向かう。これが今日のスケジュールだ。

 アゲハは明日、退院するらしい。

 その場合、宿代が必要になるのだから、こんな場所で油を売っている余裕などない。

 そういった事情からエウィンは少女をあしらうも、その態度が逆効果となる。

 浮浪者に視線を外され、さらには王国へ向かいだしたのだから、ネイの苛立ちは最高潮だ。


「ふざけん……!」


 最後まで言い切るよりも先に、小さな体が駆動を開始する。

 音もなく腰を落とし、即座に前傾姿勢へ。

 その直後、余韻も無しにネイの姿が消え去る。残ったのは、彼女が舞い上がらせた草と土だけだった。

 次の瞬間、強風がマリアーヌ段丘を吹き抜ける。

 その正体は、飛び蹴りが生み出した余波だ。

 ネイは飛びつくように距離を詰め、猫のように体勢を変えながら、回るようにエウィンの頭部を蹴り飛ばす。相手に戦闘意欲がなかろうと関係ない。彼女は怒りに任せて、勝負を終わらせようとした。

 残念ながら、その思惑は失敗だ。細い右足は空気しか蹴っていない。

 エウィンは立ち去るために歩き出したが、苛立つネイへの警戒を怠ってはいなかった。

 ゆえに、回避は十分間に合う。

 想像以上の速度で距離を詰められようと。

 その脚力が末恐ろしくても。

 来るとわかっていたのだから、体を屈めてやり過ごす。


(こ、この子、怖すぎる……)


 頭上を通り抜けたネイに対し、エウィンは率直な感想を抱く。

 蹴られた場合、どうなっていたのか? 想像したくはないのだが、傭兵は立ち上がりながら体を震わせる。

 一方、彼女は苛立つ一方だ。

 自慢の蹴り技が当たらなかった。

 そればかりか、今もなお変わらぬ態度で自分のことを眺めている。

 エウィンの飄々とした仕草にこれといった意味はないのだが、そうであろうとお構いなしにネイの神経を逆なでしてしまう。


「よけるんじゃないわよ!」

「嫌です! と言うか、蹴らないで下さい!」


 怒声には怒声で対抗だ。少女の要求は理不尽ゆえ、エウィンは食い下がらずにはいられない。

 反抗的な態度にネイはますます腹を立てるも、内心では複雑な感情を抱いている。

 動揺と憤怒の共存。

 キールとの攻防を間近で観戦し、標的の実力をぼんやりと把握したにも関わらず、飛び蹴りが避けられてしまった。

 思い込み、もしくは思い違いだと結果で示された以上、軌道修正が必要だ。


「やっぱり、あんたを帰すわけにはいかない。私が本気で手合わせしてあげる」

(なんでこんなに上から目線なんだろう? 本当に帰りたい……)


 落ち着きを取り戻し、ネイが黒髪を揺らしながら歩み寄る。眼前の男は魔法すらやり過ごす逸材だ。実力の優劣を見せつけるため、ここからは戦法を変える。

 スッと少女が立ち止まった理由は、傭兵との距離を詰め終えたからだ。二人は見つめ合うように立っており、身長差と片方が丸焦げなことから、火事から逃げ延びた兄と生還を喜ぶ妹のようにも見えるが、漂う雰囲気がそれを否定する。


「もう手加減は終わり。さぁ、勝負よ」


 そう言い終え、ネイは威嚇するように両手を掲げる。手のひらも大きく広げており、小さな体が大きくなるも、真意はそうではない。

 そうではないのだが、エウィンには伝わらなかった。


「がおー」

「違うわよ!」

(い、痛い。怒ったり蹴ってきたり、情緒が不安定過ぎる……)


 少年も動物のように威嚇の姿勢へ移行するも、左足をガツンと蹴られてしまった。


「力比べ! それとも何? 私に負けるのが怖いの?」

「怖いって部分は否定出来ないけど……」

「うっさい! ほら! 手を掴みなさい!」


 エウィンは渋々ながらも、差し出された左右の手をそれぞれ掴み返す。

 手四つの状態で、互いを押し合う腕力勝負の始まりだ。

 正しくはそれ以外の部位もフル稼働させる必要があり、背中や足にも力を籠める。

 エウィンの方が一回りは長身なため、押すというよりは抑え込むような絵面だが、少女の表情には余裕が感じられた。


「ちょっと素早いだけで、調子に乗らないで。もしかして、私に勝てるって思ってる?」

「帰りたいと思ってます」

「あっそ!」


 押し合いの始まりだ。

 彼ららしい問答をえて、ネイは苛立ちを爆発させながら全身を使って両腕を押し出す。

 そのつもりでいたのだが、願望は叶わない。


「うっ⁉ まさか⁉」


 そのまさかだ。予想外の事態が、ネイの表情を歪ませる。

 びくともしない。それだけなら互角だったのだろう。少女は押し倒されそうなほどに仰け反っており、この場に審判がいたのなら、勝者の名前が告げられるはずだ。


「あ、あんた、何なの⁉」


 ネイもついに理解を終える。

 眼前の男は単なる浮浪者ではない。

 事前に、傭兵であるという情報は与えられていた。

 それでもなお、見下していた理由は自身の強さを誇っていたからだ。

 過信と言われればその通りだが、努力と経験に裏付けされた実力であり、だからこそ、今回も指名されたと自負していた。

 しかし、この男は何者だ?

 エウィン・ナービス。若葉色の髪をした、十代後半の少年。傭兵ではあるものの、貧困街に住み着いており、その身なりは浮浪者と大差ない。

 ネイとキールは、この傭兵の実力を計るよう指示された。

 どの程度強いのか?

 本当に強いのか?

 その物差しは自分達であり、現在わかっていることは二つ。

 キールよりは手ごわい。

 自分よりも強いかもしれない。

 だからこそ、ネイはこのタイミングで気合を入れ直す。

 このままでは勝てない。

 そう気づかされた以上、押し負けながらも強さの秘密を探らなければならない。

 一方、エウィンは問いかけに対し、諦めるように口を開く。


「今晩の飯代にすら困っている、貧乏な傭兵です」


 こちらの質問には答えてもらえないにも関わらず、なぜ答えないといけないのか? そんな疑問と不満を抱きつつも、覆い被さるような体勢を維持し続ける。力比べでは負けないと誇示することで、帰宅の許可をもらいたいという算段だ。

 残念ながら、その目論見は空振りに終わる。

 なぜなら、戦闘はここからが本番だからだ。


「だったら!」


 叫ぶと同時にネイは後方へ飛び跳ね、場を仕切り直す。

 逃げるためではない。

 自分の流儀で打ち負かすためだ。

 このタイミングで、エウィンも空気の変化に気づかされる。対戦相手が手を抜いていたとは思えないが、キールの時と同様、奥の手を隠していても不思議ではない。


(この子も魔法か?)


 予想は不正解だ。

 この世界には魔法以外にも神秘が存在する。ネイが披露するそれは、もう一つの方だった。


「認めてあげるよ、あんたの実力。だけど……、だったとしても、勝つのは私!」


 宣誓と同時に、少女の体が赤く輝く。その光はあっという間に消え去るも、まとう闘志は別人のように猛々しい。


「せ、戦技……」

「そういうこと。腕力向上、ここからよ!」


 驚くエウィンとは対照的に、ネイは気合十分だ。

 正面からぶつかっても勝てそうにない。

 ならば、ここからは彼女らしいやり方でこの男に土を付ける。

 戦技とは魔法と対を成すような奇跡であり、最大の違いは魔源を消耗しない点だ。

 つまりは、無限に使えるのだが、実際にはそこまで便利ではない。

 なぜなら、戦技のほぼ全てが、再使用までに何十秒、もしくはそれ以上の待ち時間を必要とする。魔法もいくらか待たなければならないのだが、その時間は数秒程度とかなり短い。

 ネイが今回使った戦技の場合、八分もの待機時間が定められている。

 そうであろうと問題ない。

 彼女は不敵な笑みを浮かべながらも、慢心せずに殴りかかる。

 拳の行先は少年の顔面だ。その中心、鼻部分を砕くように狙う。

 当然ながら、エウィンも殴られたいとは思っていない。オーソドックスな打撃が迫っているのだから、右腕を持ち上げて受け止める。

 闘志を昂らせようと。

 戦技を発動させようと。

 彼女の俊敏な動作は据え置きだ。

 今のエウィンなら、回避すらも容易い。

 ならば、顔面に迫る拳も容易に防げるはずだ。

 その目論見は砕かれてしまう。

 今回の攻防だけを切り取れば、勝者はネイと言うことだ。


「あまいよ!」

「うっ⁉」


 刹那の出来事だった。

 両者がぶつかる寸前、ネイは体を捻りながら右腕を叩き込むも、拳が途中でピシャリと止まる。

 エウィンに受け止められたからではない。自らの意志で静止させた。

 打撃はフェイントだ。

 傭兵も一瞬遅れて気づくも、彼女の思惑は既に成就していた。

 抱き着くように懐に飛び込み、対戦相手を押し倒す。間抜けな顔を眺めながら、馬乗りの姿勢に移行出来たのなら、作戦は成功だ。


「さ~て、死なない程度にボコボコにしてあげる」

「そのための戦技……」


 勝ち誇るネイに対し、エウィンはうろたえることしか出来ない。体は仰向けに寝かされ、腰の上に乗られている。自由に動く部位は右腕だけゆえ、手数も状況も圧倒的に不利だ。

 これから何をされるのか? それをわかっているからこそ、少女の体重以上に重圧を感じてしまっている。


(やばい、上乗せされたパンチが……。防ぎきれない)


 不安の原因は、彼女が先ほど使用した戦技だ。

 腕力向上。その名の通り、発動させるだけで腕力が高まってくれる。実際には腹筋や背筋等も強化されるため、上半身全般が別人のように強くなる。

 この状況においては、最も厄介なドーピングと言えよう。今から一方的に殴られるのだから、エウィンの額に冷や汗が浮かぶ。


「確かに、あんたの身体能力は高いよ。だけど、他は全然ダメ。身のこなしなんて素人そのもの。だったら、私が勝つに決まってるじゃん!」


 言い終えると同時だ。ギュッと握った右手が、少年の顔に振り下ろされる。

 大地そのものを震わせるような打撃ゆえ、当たれば絶命間違いなしだ。

 パンと乾いた騒音が草原を賑わすも、エウィンの顔面に傷は見当たらない。

 なぜなら、少女の拳は防がれた。今回はフェイントではなかったことから、傭兵の右手が受け止めることに成功する。

 にも関わらず、両者の表情は対照的だ。

 ネイは見下し続け、エウィンは動揺を隠せない。

 馬乗りという状況は何一つ覆っていない以上、攻防は当然のように継続だ。

 もしくは、一方的な蹂躙か。

 エウィンの左腕は少女の右足に抑え込まれている。腕の数で負けている以上、優劣の差は歴然だ。

 相手は防御に徹するしかない。それをわかっているからこそ、ネイは両腕を交互に振り抜き、傭兵の顔を壊しにかかる。


「さっさとギブアップしたら⁉ さもないと死んじゃうわよ!」


 嵐のような打撃音が鳴り響く中、最終通告が言い渡される。凶暴性を増した拳が無慈悲に降り注いでおり、その衝撃は大地すらも揺らすほどだ。

 右手だけでは到底防ぎきれない。

 その証拠に、少年の右手は眼球部分をかろうじてカバーするに留まっている。

 怒涛のラッシュは頭部や顎付近に容赦なく命中しており、一打一打が轟音を生み出すほどゆえ、殴られる側の絶命は必然だ。

 そのはずだが、ネイは静かに青ざめる。


「ふ、ふざけないで! こっちは腕力向上を使ってるのに!」


 拳を静止させ、脱力したように両腕を垂らす。

 叫んだ理由はそうしたかったから。眼下の男を殺す勢いで殴り続けるも、得られた手応えに闘争心を削られてしまった。

 エウィンは軽傷だ。真下の地面だけがひび割れる中、この傭兵は鼻血を流しながらも、外傷は見当たらない。


「いや、普通に痛いけど……」

「バカ言わないで! このバカ!」

(バ、バカバカ言い過ぎ……)


 形勢逆転という思い込みは、単なる勘違いだ。

 そう気づかされた以上、少女は心底悔しそうに顔を歪ませる。

 戦技で高めた打撃でさえ、調査対象には通用しなかった。依頼主にそう報告すれば、与えられた仕事は無事達成だ。

 にも関わらず、ネイは駄々をこねるように拳を振り上げる。

 まだ諦めたくない。

 悔しさの余り、現実を受け入れたくない。

 本心がどちらであれ、追撃を試みる。鼻から出血させられたのだから、いつかは倒せる相手のはずだ。

 それすらも、思い込みという幻想でしかない。

 エウィンは少女の細腕を掴むと、間髪入れずに体を起こす。腹筋のような動作ゆえ、エウィンにとってはお手の物だ。

 その結果、ネイは仰け反るように姿勢を崩すも、掴まれていた右腕を支点に持ちこたえる。

 片や馬乗りから脱出し、もう一方は相手の太ももにまたがりながら硬直。不思議な状況に移行してしまったが、両者は恋人のように密着しながらも、頭の中は次の一手を模索中だ。


「放しなさいよ」

「言われなくとも」


 エウィンは座ったままの姿勢で少女の腕をグンと引っ張る。たったそれだけの動作ながらも、傭兵の腕力なら人間を投げ飛ばせてしまう。

 仕切り直しだ。

 ネイは放物線を描いた後に音もなく着地する。

 一方、エウィンも既に立ち上がっており、鼻血を吹きながら相手の出方を窺っていた。

 一瞬の沈黙は戦闘の継続を意味する。どちらも方針自体は決めており、後はタイミングを探るだけだ。


「なるほどね。あんたは壁を越えてる」

「壁?」


 ネイの発言は言葉足らずだ。それゆえに訊き返してしまうも、心当たりはあった。

 理由は不明ながらも、この傭兵は己の限界を打ち破ることに成功した。アゲハのおかげだと確信しているものの、当の本人でさえ無自覚なことから、仕組みの解明には至っていない。

 そうであろうと、結果は伴っている。

 エウィンは成長した。

 草原ウサギしか狩れない底辺から、ゴブリンすら屠れる強者へ。

 自身の立ち位置がどの辺りなのかは未だ不明ながらも、強くなれたことは間違いない。


「ねえ? どうやってそこまで強くなれたの?」

(ま、また僕の質問には答えない。く、我慢だ……)


 この少女がわがままかつ傲慢なことは重々承知している。

 壁という単語が想像通りなら、質問内容は把握済みだ。今はグッと堪え、返答に徹する。


「秘密です」

「あっそ」


 理不尽には理不尽で応対だ。そもそも少年自身が理解しきれていないのだから、説明も困難この上ない。

 この返答がネイの機嫌をさらに損ねるも、エウィンは自分の順番だと主張するように質問を投げかける。


「君こそ、どうやってそこまで強くなれたの?」

「はぁ? 喧嘩売ってんの?」

「い、いや、本当に興味本位なんだけど……。だって僕より年下っぽいのに、かなりの手練れだから。そこら辺の魔物ならきっと余裕でしょ?」

「当然! そんなの、あんたも一緒じゃん」


 ネイが呆れるのも無理はない。

 眼前の傭兵もまた、相当の実力を持ち合わせている。未だ底が見えないのだから、この問答には首を傾げてしまう。


「僕は、つい最近まで草原ウサギしか狩れなかったから……」

「意味わかんないんだけど!」


 彼女の反応は至極当然だ。

 戯言としてはつまらない上、嘘だとしたら腹立たしい。

 ゆえに耳を傾ける気になれないのだが、少年の独白は続く。


「イライラしてる君に言っても信じてもらえないと思うけど。僕は君のことを見下したりはしない。だって、その強さは本物だから……。きっと、努力を積み上げた結果だろうから……」

「当然! 姉さんと一緒にがんばったからね! だからハクア様にも認められた! 信頼を勝ち取って、こうして任務ももらえてる! あんたはどうなの?」

「僕は、違う。十一年がんばったのに、結局、草原ウサギしか狩れなかった。だけど……」


 今は違う。

 異世界からの訪問者と出会い、奇跡を体験した。

 その結果が新たな自分自身だ。

 生まれ変わったわけではない。

 ましてや、転生でもない。

 坂口あげは。彼女が流した涙によって、この少年は新たな一歩を踏み出す。

 その結果、ゴブリンを倒すことが出来た。

 生き延びることが出来た。

 当面は生活基盤を整えることに尽力せなばならないものの、最終目標を失念しているわけではない。

 アゲハを地球に戻す。

 残念ながら、手がかりは何一つ見当たらない。

 そうであろうと、諦めるには早過ぎる。探し始めたばかりな上、そもそもスタート地点からサイコロすら振ってはいない。

 ここからだ。

 ここからが二人の旅路の始まりだ。

 それをわかっているからこそ、エウィンは浮浪者ながらも前だけを向けている。


「強くなれたから。ううん、強くしてもらえたから。その恩を返すためにも、最後まで協力するつもり」

「はん! フワフワしたこと言っちゃって! あんた、自分が強いって自覚はあるみたいだけど、やっぱり甘すぎ! この世界にはとんでもない化け物がうじゃうじゃいるの! 自分の実力さえ計りかねてる奴なんか、あっという間に殺されるだけ!」


 ネイは毒づくように言い切るも、この発言こそが真実なのかもしれない。

 この傭兵は、経歴が長いだけの未熟者だ。それ自体は決して否定出来ない。

 エウィンもそれを自覚しているからこそ、活動範囲を徐々に広げるつもりでいる。

 傭兵は慎重なくらいが丁度良い。

 この格言は紛れもなく正解だ。ゆえに、場数を踏んだ傭兵こそ、このフレーズを繰り返し口にする。

 新人に知ってもらうために。

 自分に言い聞かせるために。

 臆病でなければ傭兵は務まらない。エウィンもそれをわかっているからこそ、無謀な依頼には飛びつかない。


「僕は別にいつ死んでも構わないから……」

「あっそ! だったら一人で死ねば⁉」


 少年は呟くように本心を漏らす。

 この発言は紛れもなく本心だ。

 無駄死にはしたくない。

 無駄死にでなければ、死んでも構わない。

 危うい思想ながらも、この考え方こそがエウィンという人間の本質だ。

 十二年前、ルルーブ森林でゴブリンに襲われるも、母が己の命と引き換えに自分だけを逃がしてくれた。

 その結果、六歳のエウィンは王国にたどり着くも、それ以降、無力な自分を責め続けてしまう。

 そして導き出した解答が、この命を誰かのために使いたいという欲求だ。

 あるいは、救済か。

 誰かを助ける過程で死ぬ。母と同じことをすることで、自分だけが生き延びてしまった罪悪感から解放されたい。危うい思想ながらも、この傭兵を動かす原動力となってくれた。

 誰かを救いたい。

 この誰かが、確定した。

 アゲハだ。

 守るために、死ぬ。

 目的を果たすために、死ぬ。

 どちらも道半ばではあるものの、アゲハを生かせるのなら、自分の命はいつでも投げ出せる。

 理想は、彼女を元の世界に戻すことだ。

 それがどれほど困難かは、思い描けてすらいない。

 方法など、存在しないのかもしれない。

 そうであろうと、今はまだ諦めたくない。アゲハに恩義を感じている以上、眼前の少女は単なる障害だ。


「言われなくても、一人で死んでやる。だけど、今はまだその時じゃない。なんなら、君に殺されるほど僕は弱くない」

「な⁉ 調子に乗っちゃって! 確かに強いよ、あんたは。それこそ、あそこでのびてるキールよりずっとね。あいつだって、私と姉さんが三年も鍛えてやったんだ。決して雑魚じゃない。魔力だけでなく冷静なところなんかは、私も評価してる」


 そのキールを破ったのが眼前の傭兵だ。攻撃魔法に晒され、全身は黒焦げながらも、飄々と立っている。


「僕はキールさんに勝った。なんなら、君より強い。それでもう十分なんじゃ?」

「バカ言わないで。私はまだ負けてない。あ、違う。負けるはずない。その証拠を、今から見せてあげる」


 討論会は終了だ。互いの意見をぶつけ合うも、落としどころは見つからなかった。

 ならば、拳を交えるしかない。

 もとよりそのつもりでいたのだから、ネイは走り出すための前傾姿勢へ移行する。


「脚力向上!」


 新たな戦技の発動だ。

 それを合図に、少女の体が一瞬ながらも黄色い光に包まれる。その発光現象が終わるよりも先に、ネイは音を置き去りにしてその場から消え去ってみせる。


(今までより速い。状況に応じて戦技を使い分ける判断力もさすが。踏んでる場数が、僕とは違うんだ)


 周囲を警戒しながらも、エウィンは静かに感心してしまう。

 脚力向上。強化系という戦闘系統の人間が習得する戦技の一つ。これを使うと、下半身の筋肉が一時的に強くなる。

 非常に有能な戦技ではあるのだが、残念ながら万能ではない。事前に発動させていた他の戦技を上書きするため、最後に使用した戦技だけがその効果を発揮する。

 今回の場合、腕力向上が消え去り、以降は脚力向上の恩恵だけを受けることとなる。


「私の得意分野はこっち! スピードで翻弄しながら蹴り飛ばしてあげる!」


 対戦相手の周囲を突風のように駆け巡りながら、その隙を伺う。慎重過ぎる戦闘方針かもしれないが、エウィンの実力を認めているがゆえの判断だ。

 ここは草原地帯ゆえ、彼女が走れば、踏みつけられた雑草が無残にも舞い上がる。

 しかし、その現象は過去の出来事だ。そこに視線を運んだところで、少女の姿は見当たらない。既に通り過ぎた後なのだから当然と言えば当然だ。

 騒音の中心で、エウィンはそれでもなお堂々としている。慌てても仕方がないと理解しており、ましてや答えを導こうとしていた。


「君のそういうところは見習いたいと思う。確かに、僕は色々足りてないから……」

「何をペチャクチャと!」


 独白でさえ耳障りだ。ネイは苛立つように叫ぶと、エウィンの後方にて方向転換を済ます。

 浮浪者と言うよりは焼死体のような背中を見つめながら、その背後へ接近を終えると、次に選択した行動はローキック。右足を破壊し、余裕ぶった態度すらもへし折る算段だ。

 音もなく距離を詰め、間髪入れずに蹴る。一切の無駄がない動作ゆえ、エウィンでさえ反応すらままならない。

 正しくは、反応すら必要ない。


「く、これほどなんて⁉」


 今まで同様、攻撃を仕掛けた側が怯んでしまう。

 それもそうだろう。人間を蹴ったにも関わらず、その手応えは巨木のような存在感だった。

 もっとも、この例えは正しくない。

 ネイは蹴るだけで大木を砕けてしまう。木の幹が太かろうと、それこそ、抱きついた際に指先が触れ合わないほどの直系であろうと、関係ない。全力を出すまでもなく、へし折れる実力の持ち主だ。

 しかし、今回の樹木はよろめくことなく、仁王立ちを貫いている。


「おかげで気づけたよ。君みたいに自分らしさを活かすためには何が必要なのか、を。やっぱり、実力くらいは把握しておくべきなんだ。当たり前だって笑われそうだけど、今の僕はそんな当たり前すら出来てなかった。情けないし、反省しないと」

「ふ、ふん! ほんと、あんたって何なの?」


 久方ぶりに両者の視線が交わる。

 振り向くエウィンと、ジリジリと後退するネイ。二人は戦っているはずだが、それ以上に口を動かしている時間が長い。

 殺し合いではないからか?

 互いに探り合っているためか?

 どちらにせよ、傭兵の独白は続く。


「だから、君を利用して僕は僕自身を知る。君達も、僕がどのくらい強いのか調べに来たんでしょ? その理由まではわからないけど、どうせ訊いても教えてくれないみたいだし……」


 この提案は、二人に利点があるはずだ。

 そのはずだが、ネイは眩暈を覚えてしまう。

 なぜなら、エウィンの発言はおおよそ人間らしくない。

 自分のことがわからないと言い出したばかりか、対戦相手を物差しとしか見ていない。

 彼女は本気で立ち向かっているにも関わらず、利用するだけして最後は軽くあしらうと宣言したも同義だ。

 このような扱いは初めてだったことから、腹を立てるよりも先に思考が乱された。


「あ、あんた、私のスピードについてこれない癖に、ペラペラ偉そうなことを……」

「それも含めて、この戦いに付き合ってあげる。あ、この言い方も偉そうか。慣れないことはするもんじゃないな」

「あっそ!」


 戦闘再開だ。

 黒髪の少女がそこから消え去ると、風切り音だけが野原に響く。

 間髪入れずに、耳をつんざくほどの重低音が幾度となく生まれるも、その全てがエウィンを蹴った際の衝撃だ。

 しかし、何度繰り返しても結果は変わらない。

 この傭兵は一歩も動かない。

 痛がる素振りすら、見せない。

 実は我慢してるだけでいくらか痛いのだが、癪なので無表情を貫いている。


(僕には才能がなかった。だけど、この子やキールさんは自分の力だけでここまで強くなれたのか。本当にすごいな)


 感動すら覚えてしまう。

 目に見えない速度で走り回る少女。この時点で人間業ではないのだが、どれほどの鍛錬を積んだのか? エウィンは想像するも、答えは見つけられない。

 もっとも、努力の量なら負けていないはずだ。

 イダンリネア王国にたどり着いた最初の一年間は、泥水をすすりながらも軍人の真似事で己を鍛えた。枝で素振りをし、貧困街と軍区画の間も駆け足で往復した。

 その後の十一年間は傭兵として毎日欠かさず、草原ウサギを狩り続けた。帰宅後は簡素ながらも筋肉トレーニングに励むも、成長はあっという間に頭打ちだった。

 通常ならば、草原ウサギを数か月も狩っていれば、次のステップへ進めるはずだ。

 筋力。

 反射神経。

 体の頑丈さ。

 その全てが別人のように成長するのだが、この少年は例外だったのだろう。何年経とうと、ウサギ相手に苦戦を強いられた。

 その結果、幾度となく死にかけた。

 それでも諦めなかった理由は、母を見殺しにした罪悪感のおかげか。

 後ろめたい動機ながらも、原動力であることに変わりない。少年は日々の全てを魔物との殺し合いにつぎ込むも、少額が稼げるだけで成長の見込みは一向に現れなかった。

 アゲハと出会うまでは。

 彼女との邂逅が少年を変えた。成長限界という呪いのような壁は取り外され、体の内側から何かがいっきにあふれ出す。

 それは、蓄積されていた努力そのものだ。

 決壊したダムのように、大量の因子が解き放たれた。

 それらはうっ憤を晴らすように、自身の成長を促す。

 十年以上も閉じ込められていたのだから、貯蔵量は想像以上だ。

 エウィンはそれらを余すことなく受け止めた。

 全力で吸収した。

 そうするしかなかったのだが、そう出来てしまった。

 アゲハのおかげであり、エウィンもそのことを自覚しているからこそ、彼女のためにこの命を捧げたい。

 異世界への帰還。現状では絵空事でしかないものの、現状が既に奇跡に他ならないのだから、諦めるにはまだ早い。

 一歩ずつだ。

 暖かなベッドで寝てもらいたい。

 食事も三食与えたい。

 贅沢はさせられないが、保護すると決めた以上、最低限の衣食住は確保してあげたい。

 浮浪者は自分一人で十分だ。

 拾った服を着る。

 貧困街のボロ小屋に居つく。

 食事だけはアゲハに付き合うついでに、腹いっぱい食べたい。その程度のわがままは許されるはずだ。

 そのためには金を稼がなければならない。その方法までは都度考えなければならないものの、依頼という明確な手段が提示されている以上、迷う必要などない。

 立ち止まる理由もまた、見当たらない。

 だからこそだ。一歩を踏み出すように、ハエのようにわずらわしいその少女を、容赦なく地面に叩きつける。


「がはっ!」


 地鳴りと共に、敗者の口から悲痛な声が漏れ出る。

 戦技で腕力を高めようと。

 足を速くしようと。

 圧倒的な実力差の前では無駄な足掻きだ。

 現実に打ちひしがれてもなお、諦めなかった少年。

 舞台に上がるも、与えられた役は道化師ではない。現実を見せつける、強者そのものだ。

 それを主役と呼ぶのなら、そうなのだろう。

 スポットライトが当たらぬ舞台上に、資格を持った人間が現れた。

 少年の名前は、エウィン・ナービス。

 今はまだ、貧しい傭兵でしかない。

 そうであろうと、その実力は本物だ。アゲハに背中を押してもらえたのだから、立ち止まってはいられない。

 命が燃え尽きるその時まで、彼女を守るつもりでいる。

 それがいつになるのか、こればかりはわかるはずもない。

 どうせ最後は独りきりだ。恐れるには早過ぎる。

 アゲハを地球に戻す。その願いが叶うということは、そういうことなのだから。

戦場のウルフィエナ~その人は異世界から来たお姉さん~

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