これは非常に難しい。
その“落とし物”とやらが、いったい何なのか。 本人をしても分からない以上、探しようが無い。
「たとえばな? それのサイズっつうか……。 小さいもんか、大きいもんか、そいつも分かんねえのかね?」
「はい……」
午前9時の到来を知らせるべく、壁掛け時計がメルヘンチックな音色を奏でた。
「うーん……」
「………………」
彼女が抱える最たる問題は、落とし物云々の前に、やはり“記憶障害”であるということだろう。
その症例は多岐に渡るというが、ふゆさんの場合は記憶の欠落。
素人においそれと手を出せる範疇じゃない。
「医者に連れて行くっていうのは」
「そりゃ無しだろ。人間ならまだしもなぁ」
「だよね……」
記憶障害。
それが単なる混乱に過ぎないのであれば、時間という万能薬が、いずれは解決してくれるのかも知れない。
しかし、彼女の症状を鑑みるに、希望的観測に頼るのは悪手のような気がする。
当の本人はというと、相変わらず“ふわふわ”
何とも言い知れない雰囲気をまとっており、特に困っている風には見受けられなかった。
だからと言って、このまま捨て置くことなど出来る筈もない。
「じゃあ、私たちが手伝いましょうか? その、落とし物を探すの」
そう提案したのは友人だった。
それが妙案かどうか、専門家でない私には分からない。
けれど、光明はあるような気がした。
記憶とは、いわば人生の帳簿である。
これまで、自分がどのようにして歩んできたか。 なにを見て、なにを感じたか。
それら、逐一の情景を記した帳面であり、本来なら自分だけのものだ。
ゆえに、それを探すという行いは、何から何まで他人任せにできるものではない。
しかし、他者にも手助けくらいはできる。
彼女の言う“落としもの”に秘められた何かを解き明かすことによって、あるいは。
「………………」
当のふゆさんは、不思議そうな様子でふわふわと小首に角度をつけてみせた。
相変わらず表情に乏しい先方のことなので、どのような情趣かは判らない。
けれど、その様子はどこか、感謝を表す印のような。 私の目には、そんな風に映った。
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